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日本の小説ではなぜ固有名詞を避けるのか?

日本の小説を読んでいると、ほとんどの場合、出てくる組織(会社、学校など)や地名、商品名などが架空のものとなっています。そこはかとなく「ああ、あれを念頭においてるのかな」と分かることもあるのですが、たとえば「大日本銀行」とか、「帝都大学」とか、酷い場合には「Q女子高校」などといった名前になっていて、すごく読みづらく感じます。 米国の小説などでは、メリルリンチだのコロンビア大学だのといった実名が出てきて、その名称から多くの読者が共通認識を持った上で話を展開させている場合が多いと思うのですが、なぜ日本ではそういった形を取らない(取れない?)のでしょうか。たとえば、「東京大学から法務省に入った主人公」とか、「三菱重工でロケットの製造に携わる主人公」とか書いたほうが「Q県の県庁所在地から程近いA市出身の帝都大学生」等と書かれるよりよっぽど分かりやすいと思うのですが・・・。

みんなの回答

  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.2

↓と共通項があると感じますが。 http://kikitai.teacup.com/kotaeru.php3?q=2378284 http://kikitai.teacup.com/kotaeru.php3?q=2342396 要するに、「個」に対する概念や感覚が、欧米とは正反対だと思うのです。 「曖昧」を好む国民性だとも、よく言われますから。

wheatenterrier
質問者

お礼

大きな意味では共通項があるのかもしれませんね。 それよりも、教えてGooと同じようなサイトがあったことをはじめて知りました・・・。

  • KanKevin
  • ベストアンサー率30% (111/359)
回答No.1

特定の企業名や実在する施設などの名称を使ってしまうと、「宣伝行為」になったりノンフィクション作品と混同してしまう恐れがあるからではないかなと思います TVドラマでも殆どの場合、警察や病院、学校の名前などは架空のものを 使った上で必ず「このドラマはフィクションであり・・・」のテロップが 番組の最後に出たりするのであくまで「架空の話」として 描くためには仕方ないことなのでは。 昔私の地元で「あぶない刑事」のロケがありましたが、出来た作品見てみたら 実際には徒歩では行けない場所同士で撮影した映像(片方はスポンサーだった太陽石油の精製工場が背景に映る場所)が同じ市内の風景として繋げられて使われていたり、警察署の名前が実際は実在しないものになっていたりと地元の人が見ればあれっと思うような仕掛けをしているようなので、現実っぽいけど嘘だよ、という意図が込められているのではないでしょうか。 ただ、さすがにQ県だのA市だのQ女子高校だのは本当に酷いですね。 そこは恐らく作者のリサーチや設定能力が足りてない証拠かなと思います。

wheatenterrier
質問者

お礼

うーむ、よく分からないのは「このドラマはフィクションであり・・・登場する人物や会社名は実物とは関係ありません」とすれば問題ない気がするのですが・・・、というかそのためにわざわざ断りを入れているのだと思っていました。

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