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大相撲:平成元年7月場所、幕下で7戦全勝同士の優勝決定戦が行われているのは何故?

幕下は6戦全勝で残った2人が7番相撲で直接対戦して、勝者が優勝というパターンが殆どなのですが、この場所は何故が貴闘力(西2)、立洸(西53)と7戦全勝が2人も居ました。 この2人は勿論同部屋ではありません。何故7番相撲で両者対戦しなかったのでしょうか? どちらかが7番相撲に十両昇進が懸かって入れ替え戦に回された例はあるようですが(例 平成9年3月場所)、この場所は貴闘力は番付的に既に十両を決めていたでしょうから7番相撲は入れ替え戦にはならないと思うのですが…。 一体どういう割が組まれていたのでしょうか? もし調べられる方がいましたら教えて下さい。

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回答No.1

直接的に、平成元年7月場所のことではありませんが・・・。 一般的に、 >幕下は6戦全勝で残った2人が7番相撲で直接対戦して、勝者が優勝というパターンが殆ど との指摘は正しいと思います。 が、6戦全勝が4名いた場合、7戦全勝がふたり残ります。 (6戦全勝が3名いた場合でも可能性はありますね。) そうすると7戦全勝同士の優勝決定戦は必ず起こります。 貴闘力(西2)/立洸(西53)の場合は、番付もかなり離れていますし、起こりえないことではなかったと推測されます。 記憶違いでなければ、幕下ではなかった(序二段だった?)と思いますが、6戦全勝が5~6名いて、直接対決させたものの7戦全勝が3人出てしまい、優勝決定巴戦をやったことがあったと思います。 余談ですが。 あと、序二段か三段目あたりで、6勝1敗が5~6人いて、トーナメント方式+巴戦で優勝を決めたケースもありました。 幕下以下は、関取に比べて、人数も多い割には、番数が少ないので勝ちっぱなしはでやすいですから、こういうことも起こりうると思います。

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