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進化論と学校教育

現在日本の生物教育で採用されている進化論は単なる推論であり、それが事実であるという物的証拠も実験結果もなにも無い訳ですよね。 そのような一部の学者の推測に基づいた理論を、さも事実であるように子供に教える事が果たして許されるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.5

それが「疑う事が出来ない事実である」と教えているなら、確かに問題だとおもいます。 進化論の発達の経緯や歴史、進化論の現状・様々な学説などの知識を総合的に与えるべきだと思います でも、今の学校ってそういうことを教えていないのでしょうか? 私には自然発生説からリンネの分類法、ラマルクの用不要論、そしてダーウィンの進化論、さらに進化論をめぐる新しい動き、と順を追って教わった記憶があります。 ですので、現在の学説が完全とは限らない事、科学が進歩してさらに進んだ学説が現れうる事も学校教育の中で理解できましたよ。 また進化論が推論であると仰いますが、現状では最も推敲が重ねられ もっとも多くの事象を合理的に説明できる学説となっているため「定説」として採用されている訳です 実は現在の学説は殆ど全てが同様の考え方で、もっとも多くの事情を合理的に説明できる説が正しいとされているに過ぎません。 また、学校教育レベルの「物理学」も厳密には正しくなく、例えば学校で習う物体の運動法則も相対論・量子論レベルで突き詰めれば間違っているものが沢山あります。 もっとも通常の人間の意識内ではニュートン物理学レベルで充分正しいと言って問題ないでしょうね 進化論も同様、通常の人間の意識内ではダーウィン進化論でも充分正しいと言っていいじゃないかな?

kunisada
質問者

補足

回答ありがとうございました。 物理学のお話も、確かに仰るとおりかもしれません。 このあたりの話は難しすぎて私にはついていけない分野ですね。(^_^;)

その他の回答 (10)

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.11

> 変化の積み重ね = 進化 が本当に起きたのであれば、進化してしまった生命体、 > つまりゾウリムシやシーラカンス、カブトガニ、アンモナイトなどが、 > なぜ現在も生存しているのでしょうか? なにも矛盾はないと思いますが。どの点が進化論と矛盾するとお考えでしょうか? > 進化論では、なぜオスとメスに分かれたのかさえ証拠に基づいた満足な説明さえできてないのではないですか? 科学は「証拠に基づいた」などという非科学的な話ではなく、科学的な説明は当然あります。真核生物のような遺伝子の量が一定量を超える生物が遺伝子の情報が失われていかないために必要な性質です。

kunisada
質問者

お礼

進化論といっても、現在に至るまで多くの諸説が混在している状態です。 これは、事実でないか、あるいは人間には理解しえない世界であるかのどちらかだからではないでしょうか? 矛盾点ですが、環境に適応するために変化していくなら、その変化する前の形態がそのまま存在するのはおかしいんじゃないですかという事です。

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.10

定説にはべつに証拠が必要なわけではありません。矛盾がなく、現象を説明できる最も有力な考え方が定説になります。現時点で対抗できるような説は皆無なのですから、進化論が定説になるのは当然です。他には、創造論とかインテリジェントデザインのような論外の説しかないのですから。

kunisada
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 進化論は、無から有が発生した(はずだ)という部分に矛盾があると思います。

  • fujishiro
  • ベストアンサー率28% (162/574)
回答No.9

返答どうも。。。 しかし、根本的に勘違いされています。 進化が「なぜ」起こるのか、雌雄の発生が「なぜ」起こるのかという「理由」と「進化という現象が起きた」「雌雄が発生した」という事実の説明は違います。 「なぜ」発生したのかは所詮は推論にしか過ぎません。。。しかし雌雄が進化上で発生したという事実はほぼ間違いありません。 「なぜ」を説明できないからといってその証拠を無視するのは科学的態度ではないでしょうね。 例えばなぜ地球や太陽が存在するのかは説明できませんが地球や太陽があること、地球が太陽の周りを回っていることを否定する人がいるでしょうか。 そして進化してない生物がいるからといって進化している生物を否定する必要があるでしょうか。 シーラカンスなどはむしろ進化論が正しいことを推論させてくれる材料にはなっても、否定する材料にはなりません。

回答No.8

この生物学のカテゴリーでもっとも議論が白熱するテーマの一つですね、進化論は。 進化論を否定すると、残るのは創造論です(あらゆる生物はある「意志」により存在し、偶然の入り込む余地はない、という考え)。 その「意志」の存在を子供達に教育の場で教えることはあってはならないことと思われますが、いかがでしょう? 信教の自由に抵触しますよね、これは? それとも、偶然による(といっても、進化論者のいう進化は「生態系」というシステムの中で起こることなので、「無秩序」とは違いますが)のでもなく、意志によるのでもなく今の生物が存在する、という新たなパラダイムが存在するのでしょうか? それがない限りは学校教育の場で進化論を教えることは妥当なことと考えられます。 観察される事象をもっともうまく説明できる理論だからです。 進化論の現在の理論の不備を指摘することは可能ですし、実験による再現がなされていないのも事実。しかし、そのことのみにより進化論そのものを否定する態度は科学的とは言えないでしょう。 まず誤解を解いていただかなくてはいけないのは、猿(厳密には類人猿)が人間になることを進化と呼んでいるわけではないのです。人間という種が猿のなかから現れたことにより、猿には利用できなかった資源が利用できるようになり、結果、人間という種が栄えた、ということを進化と呼んでいるのです。猿がすべて人間に変わったわけではないので進化論は間違いだ、という考え方は、進化論者が一言も言っていないことをとらえて「へりくつ」によって進化論をこき下ろす行為としかいいようがありません(ダーウィンの存命中にすでにこのような批判は世に満ちあふれていたのですが)。 「村上ファンド」や「ほりえもん」が金儲けをして(一時とはいえ)成功したからといって、日本人がすべて彼らの道に走るわけではないのと同じことです。新しい「生き方」が見つけられたからといって、すべてがそれに相乗りするはずもなく、また、できないのです。地上の生物がすべて「ヒト」に「進化」した世界を想像できますか? そういうことです。 猿には猿の生き方が保証されている限り、猿は存続し続けます。 そのことが進化論を否定することは全くあり得ません。 ただし、猿が生態系の中で利用している資源が他の種(それは人間かもしれません)に奪われたとき、猿は絶滅します。

kunisada
質問者

補足

回答ありがとうございます。 創造論を実際の学校教育に取り入れているところは、諸外国ではあるようです。 しかし、こちらも進化論同様それが証拠に基づいた事実である確認ができないので採用するべきではないと思います。 この質問の主旨ではないのでこれ以上触れませんが、私自身、進化論は推測の域を出ていない単なる仮説であると考えています。 そもそも無から有が発生することはないというのが現在の科学の定説ではないんですか?

  • NATROM
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.7

何を「事実」とすべきかにもよりますが、生物進化は、少なくとも地動説と同じくらいは、「事実」です。太陽系の外から地球の運動を観察した人はいません。地動説を「実験」で確認することはできません。しかし、地球上から天体の運動を観察することなどで、かなりの確証をもって地動説が正しいと推論できます。同様に、大進化を直接観察した人はいませんが、現生の生物や化石を観察することで、かなりの確証をもって生物進化は正しいと推論できます。 日本に限らず、先進諸国では生物進化を生物学上の定説として教えています。プロの科学者で、生物進化を否定する人はいません。ゾウリムシやシーラカンスやカブトガニが現在も生存していることは、生物進化を否定する根拠にはなりません(アンモナイトは絶滅しています)。環境に適応していれば形態をほとんど変えなくても絶滅せずに生き残ることができるからです。「本当に地球が丸いのなら地球の裏側にいる人は落っこちてしまうのではないでしょうか?」と言っているようなものです。「目の前で鯉の卵から蛙が孵化した」などということが観察されれば、逆に軽微な突然変異の累積によって進化は起こるとする現在の進化論は否定されることになります。なぜオスとメスに分かれたのかについては、専門的な文献や一般書に解説があります。 「推測に基づいた理論を、さも事実であるように教えるのは許されるのか」という問題提起もよいですが、まずは、進化生物学について理解してから、つまり、どのような証拠によって生物進化が科学者の間で受け入れられるようになったのかを知ってからにしてはどうでしょうか。

参考URL:
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20050313#p1
kunisada
質問者

補足

回答ありがとうございます。 アンモナイトはオウム貝と勘違いしました。 天体の場合は、観測、つまり計算によって導きだされた結果が人によって異なる事はありません。 ところが生物の進化の場合はさまざまな学者がそれぞれの見解を述べていますが今日に至るまでその見解が完全に一致していません。 参考urlを見てもわかるとおり、進化論そのものを否定している専門家も一部ですがいるようです。 そのような根拠があやふやなものを事実として扱うのはおかしいのではないですか? と思った訳です。

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.6

「進化論」は、「種の多様性が何故生じてきたか」を正しく説明していると思います。 しかし、「種が何故、高度化したか」の説明にはなっていません。すなわち、「進化論」という名称に問題があると思います。「進化」という言葉は、「進歩」と誤解される恐れがあります。 従って、生物教育では、「進化論」を「変化論」、あるいは、「生物多様化論」と名称変更して教えれば、問題ないのではないでしょうか?

  • fujishiro
  • ベストアンサー率28% (162/574)
回答No.4

教育として何を教えるべきか? という問題については、異論は多くあるでしょう。 進化論より優先されて教えるべきものは確かにあるでしょう。 万人に正しくなくとも、世間一般の教養の一部分として教えなくてはならないことも多いことでしょう。 ですから、進化論を教えるべきかどうか?というのは教育態度の問題であって、ここでは置いておきます。 ただ、ひとつ言えることは、いわゆる「進化論」は学説の中でも十分に科学的で、ほとんどの学者に支持されています。 進化のスピード(?)や方法(?)や方向性(?)については様々な説がありますが、「生物が時間をかけて変化の積み重ねをしてきた」こと自体を否定する学者はよほどの主流から外れている人だけです。 まぁ100%ではないですから、それを一部と言われちゃ、お仕舞いですけどね(笑 否定にやっきになっている人がいるからと言って進化論が科学的でないとか、一部の学者の説であるとか、そういった見解は間違い以外のなにものでないでしょう。 実験結果がない=科学ではない、物的証拠がない、というなら人文系の科学性は皆無だ、とでも言う気でしょうか。 それに「生物が長い時間をかけて変化を積み重ねてきた」という物的証拠はありますよ。

kunisada
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >いわゆる「進化論」は学説の中でも十分に科学的で、ほとんどの学者に支持されています。 本当にそうでしょうか? 変化の積み重ね = 進化 が本当に起きたのであれば、進化してしまった生命体、つまりゾウリムシやシーラカンス、カブトガニ、アンモナイトなどが、なぜ現在も生存しているのでしょうか? 進化論では、なぜオスとメスに分かれたのかさえ証拠に基づいた満足な説明さえできてないのではないですか?

  • cubics
  • ベストアンサー率41% (1748/4171)
回答No.3

事実のみを教えてそれをそのまま覚えさせるのは教育ではありませんね。 仮説、仮定を設けて、証拠や論拠を積み重ねて、推論すること、議論することを教えるのは教育としても大事なことだと思います。 また、一部の学者の推測であれば、学校教育で使われることもありませんね。およそ確からしい定説とされるから、採用されるわけです。また、時とともに確からしい学説も変わりますから、確かだとわかってから教えるのであれば、未来永劫正しいことかどうかわかるよしもない事柄は永遠に教えることはできません。 自然科学には、絶対的な真実を求めることができない分野が数多くあります。 進化論といってもいろいろな内容がありますが、おおよそのところは確からしいと思われる学説でしょう。 しかし、人文科学の教育にしても、たとえば、文章の意味や、作者の心情を答えさせるような問題の場合、教科書の解答例が正しいのでしょうか。現代文学では作者自身が首をかしげるような試験問題が出たということも耳にしています。 作者に聞いたという証拠もなく、文章を読んだ解説者の意見だけで、作品鑑賞を「押し付けられる」ということにも疑問を感じてもいいのでは? となると、古典の鑑賞などできなくなってしまいますね。^^;;) 問題があるとすれば、教育内容の項目ではなく、仮説による推論であるとか、仮定があることを省いて、まったくの真実であるかのように教えて、そのまま覚えさせるという教育方法にあると思います。 ですから、確かにそういう仮説という概念を理解できないうちに教えるのには懸念をもたれてもよろしいかと思いますが、だからと言って、疑問をもった子供に、より不確かなことを教えてしまうことは問題だと思います。

kunisada
質問者

補足

回答ありがとうございます。 文学作品の解釈についてはおっしゃるとおりですね。 そういった事は考えてもみませんでした。

  • Chicago243
  • ベストアンサー率38% (401/1043)
回答No.2

物的根拠は示されているのではないでしょうか。とは言っても推論の域を超える性質のものではないのは確かです。私も習いましたが証明できない推論であるということもその時にきっちり教えてもらったと思います。何でも覚えさせてテストしようという姿勢で授業するとこういうところで間違いを起こしやすいという気もしますね。 進化論を教えるのはいいと思いますがそれが事実だと教えるのは確かに間違えです。

kunisada
質問者

補足

回答ありがとうございます。 最近の教育では推論である事を前提にしているのですね。 私の時代はそうではなかったと記憶しています。

  • TTOS
  • ベストアンサー率40% (209/510)
回答No.1

事実と学説を混同することは間違いだと思いますが、進化論を説明するためさまざまな「物的証拠も実験結果も」数多く示されています。 理科教育に選択制が導入され、進化をまともに学習せず社会人になれる日本の学習指導要領はいかがなものかと思っています。 参考URLをご覧ください。

参考URL:
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/
kunisada
質問者

補足

早速の回答ありがとうございます。 十分な時間がなく参考urlの膨大な内容をゆっくり読んでもいられませんが、一つ言えるのは、化石はその時代にその生物が生きていた事実を示す証拠になるだけで進化の証拠にはなりえません。 私が考える進化の証拠とは、例えば目の前で鯉の卵から蛙が孵化したなど、ある生物が間違いなく別の生物に変化する事が確認できるものです。

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