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神道(八百万の神様への信仰)の歴史

MinmMinmの回答

  • MinmMinm
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回答No.6

神道が今日まで続いた大きな理由の一つとして、 法制度の中に組み込まれて守られてきたことが挙げられると思います。 すなわち、朝廷に神祇官がおかれ、祭祀や神官が保護されていたこと、 そして、天皇を含む皇族等も、自らその祭祀を執り行ってきたこと、 その中で、神祇官や神社は領地を与えられ(許され)、 財政的にも保護されていたこと、などですネ。 天皇家が滅んでいれば、また違ったかもしれませんが....、 うーん、しかし、日本の「神さま」は、自然・災害と結びついて、 その象徴として庶民の間にも浸透していました (というか、もともとこの国にいた庶民達の間で生まれ出た信仰ですね)から、 自然の驚異や災害に対する畏れが存在する限り、 「神さま」もなくなることがなかったんじゃないでしょうか。 また、神道そのものの性格として、他の宗教と必ずしも対立せず、 それらを自らの内に取り込むことができた、という点も、 大きいのでしょうね。 といっても、もし外から自然・災害を象徴する「神さま」信仰が 入ってきていたらどうだったかわかりませんが、幸い、入ってきたのは 「仏さま」だったり、一神教で個々の自然災害そのものを象徴しない 「イエズスさま」だったりでしたしね。 関連サイトですが、神社オンラインネットワーク連盟の、 「神社と神道」 http://www.jinja.or.jp/ が、もっともメジャーであると思います。  *** indiaa さんのご質問からは逸れるので、どうでもいいかナとは思ったんですが(^^; #5 の starflora さんのお話で、明らかに誤解なさっているところ (あるいは詳しくご存知でない方の誤解を招きそうなところ)がありましたので、 失礼ながら、その部分について訂正させていただきます。 >官職は、大きく分けて、「神祇官」と「太政官」になります。神祇官は、神道でまつりごとを行い、太政官は、政治でまつりごとを行うのでしょう。 神祇官は太政官の支配を受ける立場だったことがわかっています。 したがって、官職を大きく分けたときに、神祇官と太政官とが "対" するように位置づけることは難しいです。 また、神祇官は祭祀(まつりごと?)こそ取り行っていたものの、 一般に言う「まつりごと」=「政治」は取り扱っていません。 >神祇官の長官は神祇伯で、これは従四位ですから、参議と同格で、かなり高い位です。 参議(太政官(朝廷の最高機関)の幹部クラス職員)は特権を有する高い身分 ですが、神祇伯の身分は、決して「高い」とは言えません。 太政官の支配する8つの省の長官よりも一段劣る格付けです。 >陰陽道は、神道と道教が混ぜ合わさった奇妙なものですが、仏教というより神道でしょう。 「仏教というより神道」であるのはたしかにそう言えるでしょうが、 あくまでも「陰陽道」であり、神道とはずいぶん異なる別の道ですよね(^^; >仏教に関係した官職は、式部省の明経博士辺りではないかと思いますが、 明経博士は式部省ではなく、大学寮所属の官であり、 また、仏教に関係した官職とは言えません。 ちなみに、文章博士よりも古くから置かれており、 周易、尚書、周礼、儀礼、礼記、毛詩、春秋左氏伝、孝経、論語 といった書物の教授です。

参考URL:
http://www.jinja.or.jp/

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