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中世ヨーロッパの封建社会の流れとキーワード解説
- 中世ヨーロッパの封建社会の流れを解説します。キーワードとしてツンフト、ギルド、二院制、三院制、古典荘園、純粋荘園などがあります。
- 中世ヨーロッパの封建社会では、古典荘園から純粋荘園へ移行していきました。この移行の背景や理由についても解説します。
- 中世ヨーロッパの封建社会における時代の流れ、都市の流れ、商業の流れ、宗教の流れ、農村の流れなどを詳しく解説します。
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中世ヨーロッパにおいて、時代の転機となったのは、やはり十字軍遠征でしょう。 十字軍遠征がヨーロッパ社会に何をもたらしたかといえば、 (1)教皇権の衰微(アナーニ事件・教皇のアヴィニョン捕囚などをまねく)、 (2)諸侯・騎士階級の衰微(自らの地位を守るために王権に頼るようになった)、 (3)商業活動の活発化(地中海等を利用した遠隔地貿易・自治都市の発達)、 (4)王権強化(王権も打撃を受けますが、やがて諸侯や騎士が王権に依存すると共に、都市市民も経済活動の保護を求めて王権に接近していく) です。 ただし(4)についてですが、イタリア・ドイツは逆に地方分権がすすみます。 「どうして古典荘園から純粋荘園に移ったのか」ですか? この辺の全体の流れを主として回答しましょう。 商業活動が活発になると言うことは、ヨーロッパ社会が現物経済から貨幣経済に変化したことを意味するのはわかりますね。つまり荘園領主である諸侯は、租税を銀で納めさせるようになったわけです。 しかし、農奴にとっても、それはありがたいことだったのです。なぜなら、農奴は農作物を銀に換えることにより、蓄財が可能になったからです。コツコツと蓄財し、地位向上をねらいます。 一方の諸侯は、十字軍遠征に従軍することにより、荘園を長期間留守にしたり、戦死したり、捕虜になってしまったり…と没落していきます。 つまり、このような変化の中で、領主と農奴の力の差が縮んだわけです。この時農奴は、領主直営地での労働を拒否します。直営地の生産物は、すべて領主のものですからね。 しかし、これは領主にとっては収入減になります。そこで領主は、収入減を少しでも抑えるために直営地を保有地にかえたわけです。純粋荘園の成立ですね。 ところが貨幣経済が浸透すると言うことは、貨幣を直接入手しやすい生産者(農奴)の地位を向上させます。しかもペストが流行して人口が激減し、領主は農奴確保に四苦八苦し、収入もますます減少します。 ここで領主は、苦肉の策として古典荘園を復活させるわけです。そしてそれに反発する農奴が反乱を起こすわけです(ワットタイラーの乱やジャックリーの乱…)。これに平行して行われていたのが英仏百年戦争。これで英仏では、諸侯・騎士は没落が決定的になりました。逆に王権がますます強化されるわけです。国王による本格的な中央集権化の始まりです。 また、自治都市が特に発達していたイタリア・ドイツでは、市民たちが諸侯に対する自由を守るため、経済活動で他の都市に負けないために、都市同盟を結びました。ハンザ同盟・ロンバルディア同盟が有名ですね。 もともと強力な権力者がいなかったイタリア・ドイツでは、こうして諸侯の力が没落する一方で、大きな経済力を持った自治都市が特に発達したため、ますます地方分権がすすむのです。
お礼
ありがとうございます! とても参考になりました。テストも頑張ったのでなんとかなるかな~。 本当にありがとうございました☆