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大東亜戦争が祖国防衛戦争であった理由を教えてください。

パールハーバーに至るまでの道って、 日中戦争→三国同盟→ →アメリカ、キレる→ABCD包囲網 →日本、困る→インドシナ侵攻 →アメリカ、さらにブチギレ→石油禁輸 →ハルノート って道筋だったと思います。(間違ってたらご指摘ください) んで、ハルノートの条件を飲むのが嫌だった日本はアメリカ相手に一発かまして 譲歩してもらおうと真珠湾攻撃に至ったと思うのですが、それがなぜ祖国防衛のための戦争ということになるのか理屈がわからないのです。 教えてください。

  • 歴史
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  • ベストアンサー
  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.24

#21です。「アジアから欧米を守っていたのか」じゃなくて、「アジアを欧米から守っていたのか」でいいですよね。 日中事変は後々、侵略か否かの議論につながっていきますので、大変難しい問題です。 しかし「事変」という名がついているように、日米の太平洋戦争に発展するまで、この戦線は事変でした。つまり国同士の戦いとは認定されず、蒋介石政権と日本の戦いです。このとき蒋介石の後ろには英米がついていました。アジア地域に本国があり権益を守れる国は当時は日本しかありませんから、中国(蒋介石政権)と戦っていても、英米と戦っているのと同じです。 また、これとは別に毛沢東の赤軍もあり、こちらにはソ連がついていましたので、当時の中国を国という単位で捕らえるのは難しく、中国側から見ても自国の防衛「戦争」といえるのか?日本もそれをもって祖国防衛「戦争」といえるのかときかれれば、交戦権の発動ではありませんので、戦争ではないです。日本に限らず既得権を守るための争いです。としかいえません。 またフィリピン・インドネシアについてですが、ここは植民地ですから、国権の発動たる戦争は自国で行うことが出来ませんでした。 この時代、近代的主権国家は欧米諸国と日本それと出来たばかりのロシアぐらいしかアジア地域にはいません。 自分の国を守るために、本当の意味で国として戦争が出来たのは、アジアでは日本だけなのです。 確かにそのためににアジアに防衛線を引いたのは事実です。(多大な犠牲がでました) しかしその前に、欧米諸国が行った植民地政策の内容を考えれば、欧米列強の影響力を少しでも少なくするよう「アジアのために日本が戦う」という言葉は、理想主義的に過ぎるかもしれませんが、まったくそのようなことが無かったと言い切ってしまうのも無理があると思います。 また太平洋戦争までの日本には、その後各国の独立に大きな役割を果たす、アジアの人材が多数留学していました。かれらも近代国家を打ち立てた日本に、同じアジア人として学ぶことがあると思って留学していたはずです。 さらに、太平洋戦争後の各国でそこに残った日本人将校が、各国の独立戦争に参加したという事実もあります。これは当時の日本に理想にすぎないとはいえ、「アジア人のための戦争」が日本人にもアジア人にも心に通じる理想であったためと考えています。 ですから理想主義的に言えば、インドネシアもフィリピンもインドも含めて祖国(多分に日本を意味しない)防衛戦争をしようとしたといえると思います。 私は明治以降戦前・戦中の日本人の見識の高さとプライドを、とても高く評価しています。 戦後の私たちは、犠牲者に対して反省と自戒の念はひつようですが、同時に日本人の誇りも必要だと思います。 #23さんへ #23の内容に対しては、まったく同感で、確かに戦争はとるべきひとつの手段ですし、経済的な損失を考えれば、今は出来ません。 しかし当時は出来ましたし、戦争に勝てば経済的に利益になったのです。ですから現代に比べれば戦争をさけることはとても難しかったのだと思います。 それと国家と郷土・国民と政府に対する考察もまったく同感です。 ただ私は新聞・テレビ・雑誌で得た情報・結果だけで、外交努力や内政に対する責任を負っている人たちをバカにする勇気を持ちません。日露戦争の講和のことを思い出すまでもなく、つねに私たちは踊らされているのかも知れないと深く洞察する姿勢が必要だと思います。(多分この点は同じでしょう) ようは国を先に見るか、民を先に見るかの違いなのでしょう。

raky753
質問者

お礼

訂正&丁寧な回答、ありがとうございます。 祖国防衛戦争での祖国とは、大東亜共栄圏だったのですね。 一つだけ誤解しないで欲しいのは、私は当時の日本首脳陣をバカにしたり切って捨てたりする気はありません。 彼らは一生懸命で、真剣に考え抜いた結果がああだったということだけは確かですから。(宣戦布告伝えそこなったあほな外交官もいましたが) ただ、これから日本を動かす立場にある私ら(歳がばれる)にとって、「あのときの日本の行動は正解だったのか」 「もっといい手立ては本当に無かったのか」 と言うことは常に考えなければいけない問題です。 それでなければ歴史を学ぶ意味はありません。 そして、そのためには「あれがベストの選択肢だった」 という人の主張を徹底的に理解しなくてはならないというのが僕の持論です。 親切に答えていただいてありがとうございました。

その他の回答 (25)

回答No.26

歴史的経緯については、ほぼ他の回答者さんの意見で良いかと…。しかし、大東亜戦争が「祖国防衛」であったというのは大間違いです。確かにそういう部分も考えられますが、じわじわと首を締められているかのように追い詰められていた中権益確保・拡大のために事を起こしたのです。ちなみに事実、当時の識者の中には『この戦争は負ける』と分かっていたそうです。 「祖国防衛」と言えば聞こえは良いですが、権益確保・拡大を目的とした侵略戦争であることに変わりはありません。恐らく貴方は、教科書の中のわずかの記述や断片的情報をなかば信じている?(信じていないのならば良いです)ので今回のご質問となったものと想像されます。

raky753
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 教科書の中のわずかの記述や断片的情報をなかば信じている …とはどういうことでしょうか。 教科書に嘘が書いてあるのでしょうか。 まあ少なくとも大東亜戦争が「祖国防衛」であったとは、某団体の発行している教科書以外には一切書いていないと思いますが。

  • Kohki2666
  • ベストアンサー率23% (5/21)
回答No.25

あなたの知識レベルを考慮せず、先の時代を理解している前提で語ってしまったことを深く反省します。 アカのせいであるとか、画一的な批判の話ではなく、前時代から繋がっているお話なのです。 ソ連に関しては、第1次大戦のシベリアで日本軍に大量の虐殺と略奪をされていますし、その略奪した資金を私有して工作資金につかって総理になった(陸軍機密費事件といいます)田中義一がロシア大使館に駐在していた頃にロシアと接しての流れ。 日露戦争後、急速に悪化していった日米関係。 更に、田中義一が日露戦争時にロシアから寝返らせた盟友で失脚中でもあり殺される必要が全く無かった張作霖がなぜ田中義一の首相時に爆殺されなければならなかったのかなど、先の流れがわからなければ、あなたが行っているようにただの責任転嫁に思えてしまうのも仕方なかったかもしれません。 人の歴史は感情と思惑が前後の時代につながっています。 願わくば、短絡的に一部だけを切り取って大きな流れを見誤らんことを。 人に説明することの難しさを改めて痛感しました。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.23

様々な方向の話が続いたようなので、整理目的で質問に正面から・・・ 日米の対立の元は、「中国での覇権を日本が独り占めするかどうか」で、これは米英に支援された軍閥と、日本に支援された軍閥が争っていたころ(つまり満州事変以前)から継続している問題です。 で、日米が交渉で解決を図るなら、中国をアメリカと山分けするしかないと考えますが、直接、血を流している日本としては、独り占め以外の結論は出せず、日米の対立が深刻になっていく過程で第二次世界大戦が始まり、一気に対立がエスカレート。 自分の理解している経過は、以上です。 従って、アメリカの要求は、「満州や台湾も捨てて、中国から出て行け」という非現実的なものにはならないはずです。(現実には、戦争した結果、そうなってしまいましたが) まして、日本の滅亡を要求しているわけでもありません。 日本が滅亡寸前の状態になったのは、日本から開戦した結果です。 つまり、 「アメリカとの戦争が祖国防衛の戦争になる」 とは、 「中華民国と停戦し、占領地から撤兵すれば、日本はオシマイ」 という理屈が成り立てば、話が通りそうですね。 自分には理解できない流れですけど・・・。

  • babel3
  • ベストアンサー率27% (9/33)
回答No.22

21番さんに対して… 自衛権、交戦権はわかります。 私のいってることはひとつの理想に近いですね。現実論だけでいえば通じないし、逆に極端な話、今、急に自衛隊なくします、とかやったらアジア全体の軍事バランス的には、各国には逆に迷惑だったりして。 しかし、戦争もある程度法律や手順でやってます。 回避するため、2カ国間で不可侵条約を結ぶこともできます。 軍事力だけでなく、経済力などを背景にした外交もできます。 現実に完全非武装国家も存在しています。スイスじゃないですよ。 軍隊をもってない国家です。周囲との約束の仕方、関係の持ち方です。 逆に戦争はどこまでも手段のひとつです。なにかケンカ好きの論調に思えるのですが、戦争は手段、前提条件のわずかな部分です。 どうやるかは知恵と工夫です。目指す方向性の問題です。 経済的にかんがえれば、本気で全面戦争なんて経済的損失が上回ってできないのが実際でしょう。特例もありますが。 で、国家に対しての義務は国家が国民への義務を守った場合です。 国民は国家をみかぎってもいいんです。契約関係ですよ。国家制度なんて対等の契約関係です。どうしてもアホな国なら別の国の国民になったっていいんですから。 日本人と日本国政府はたいした間柄じゃないですよ。ただ税金はらって行政サービスうけるだけです。まぁ国際的な代表権委任してますが… 「郷土」と国家はちがいますよ。別に国がしっかりしないなら義務もなにもありません。国民のがえらいのが現代民主主義国家です。国民につくせない国家へ義務などいりません。(別の国籍えらぶとき年金の掛け金とかかえしてもらえるのかなぁ…) このへんで双曲線になりそうなので私はもういいのですが、交戦権の否定は現実的でないのは認めます。目指していきたくはありますが。 少なくとも最近構想のある、アジア共同体の現実化が近づけば、平和条約の流れも強くなるでしょう。そういう方向を願いますし、努力したいものです。 「戦争する努力」をしたい人はいないでしょう? で、一応ふれときますが、このような様々な意見があるので、また法律面もあるので、拡張された交戦権・自衛権の解釈なら「防衛戦」という用語も生まれるでしょう。逆に当然でしょう。 重要なのは、その意味するところでしょうか。 できたら、そのことが未来に大して有益に働く思考であることを望みますが。 ※脱線気味の論議でまことにすみません

  • Kohki2666
  • ベストアンサー率23% (5/21)
回答No.21

スパイという語感で誤解をさせてしまっているようなので補足します。 当時は、他の人々が書いている通り、イデオロギーのせめぎ合いが世界的な流れでした。 そのため、19世紀末から20世紀初頭というのは、違うイデオロギーの人間が敵対するイデオロギーの輪に入り込んで内ゲバをさせたり情報を流したりとする活動が頻繁に起こるようになります。 これが、スパイの源流です。 このため、スパイというのは最前線である各種機関の中枢にいる人々のみならず、それをバックアップし、つなぐ人々が大量に付近に潜伏して手助けをしました。 スパイというと、007であるとか現代ではチープなイメージですが、当時としては、イデオロギーの戦いの基本的な戦術でした。 だから、少人数で優秀だなどというものではなく、大規模(で違法)な政治活動だったのです。 アメリカは、戦後レッドパージ(赤狩り)と呼ばれる強烈な国策レベルでの共産主義者狩りを行い、結果としてスパイの多くはイギリスへ移り、スパイの本場がイギリスへと移行した結果、007のようなスパイ映画ができるような大衆的なチープな認知のされ方へ変わっていったのです。 当時、共産主義はソ連以外に国家を持たなかったため、勢い共産主義の聖地のような存在となり、ソ連に出来た共産主義者の養成学校に世界中の共産主義者が集まり、そこで育成された共産主義者がコミンテルンの指示を受けて、自分の国の共産革命を目指す、という形が形成されてゆきました。 (大戦後の独立国で社会主義国家が林立できたのも、その養成学校で下地となる人材を各国に作っていたためです) 戦後の日本の共産党幹部も殆どは、ソ連の養成学校出身であるように、それが世界的な共産主義者のスタンダードだったのでした。 祖国防衛という概念も、元々あった考え方を、彼ら共産主義者が利用して、より自分たちに利する形へと流れと勢いを調整していったのです。 現在の日本人が、謝罪一辺倒でなくそれらを議論する土壌が出来てきたということは、ようやく彼らの洗脳が解けてきた、とも言えるのでしょうね。

raky753
質問者

お礼

皮肉が通じなかったようなのできちんと書きます。 僕は「都合の悪いことはすべてアカのせい」みたいな責任転嫁の仕方は大きらいです。 日本やアメリカにたとえスパイが紛れ込んだとしても、政策を決めたのは日本であり、アメリカで、スパイの考えで政策が決まるわけじゃないでしょう? 百歩譲ってアメリカなり日本のやることがすべてソ連の思惑通りだったとしても(もしそうだったら満州国なんて作るはずないんですが) それはアメリカなり日本がソ連の言うことが正しいと判断して実行したと言うことになるだけです。 そんな「悪いのはすべてソ連だよ」みたいなことを言うのは戦前さんざん戦争をあおっといて戦後になったら「我々は政府に圧力をかけられたから仕方なく戦争を煽った」 とか言い出して責任転嫁する朝○新聞と同じレベルですね。

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.20

国の主権になぜ自衛権そして交戦権が含まれるか補足します。 国を超える調整機関が無いからです。もちろん国連や国際司法裁判所がありますが、多数決の同意も必要ですし、常任理事国が拒否権を行使したら役に立ちません。 国の中では、警察もありますし、民事訴訟を起こすことも出来ます。 たとえ話をしますが、ある事業がありその事業は特殊な技術なので、参入している会社は5社ぐらいしかありません。 そのうちの1社を排除しようとほかの4社が結託したらどうでしょう。ハイ、カルテルですね公正取引委員会に摘発しまいます。 このような我田引水の事例は個人レベルでも、会社などの組織レベルでも、国のレベルでもどこでも起きています。 しかし国以下のレベルと違って、国同士がこのような争いを起こしたときに、ハイどうぞと譲ってくれる国はありません。仲裁してくれる権力もありません。 もちろんだからと言ってすぐに戦争になるわけではありません。戦争はものすごく国力を消耗しますので、相手に譲歩してペイするならそれもOKです。 しかし相手が譲歩せずに、こちらだけ譲歩するというのは、相手に「喧嘩したくないんだ」と弱みを見せることでもあります。 ですから、「やるならやってもいいぞ」という気迫を見せなければ相手から譲歩を引き出すことができない場合もあるでしょう。 これが、交戦権を認める最大の理由です。 IFの話をしますが、もし日本が軍隊を持っていて戦争を辞さない国だったら、北朝鮮拉致問題は起こったでしょうか。 ペルー日本大使館人質事件はあんなに長引いたでしょうか。 竹島や尖閣諸島の支配権でこれほどの問題になったでしょうか(逆に北方四島は実力行使で決着がついているはずです) すでに日本の周りの近隣諸国は自分たちの利益と自分たちの理屈で、行動を起こしています。 交渉というのは常に剣呑なものです。 相手に「いいよ譲歩できないんだったら、戦争しちゃうよ」と言わせないために必要なものがあるはずです。 #9さんが、ハルノートを受け入れることは近代国家として消滅することだと書いておられますが、そのとおりです。 当時は今の国連のような考え方も無く、戦争することが悪いことだ(平和に対する罪)という考え方もありませんでした。 自国の不利益を甘んじて受け入れ、戦争という手段にでないというのは、近代法・国際法に支えられた独立した国家の取るべき道ではありませんでした。 それはどこかの国の影響を受け入れる(属国になる)ということだったのです。 そのことを考えずに、個人の側から単に「戦争反対」というのは、そもそも国を構成する国民としての義務と権利を放棄したことになります。 国がなければ、自分たちの生活も無いのだということをわすれてはいけません。

raky753
質問者

お礼

ありがとうございます。先ほど見返して気づいたのですが、 >日中戦争(日華事変)がどう「アジアから欧米を守っていたのか」お願いします。 >その「祖国」とは、インドネシアやフィリピンは入っていたのですか? これに答えていただくともっとうれしいです。 揚げ足取りになりますが、北朝鮮は重武装している韓国の人間も拉致していますよね。

  • babel3
  • ベストアンサー率27% (9/33)
回答No.19

ちょっと補足で 18番さんの意見に賛成するところが多いです イデオロギー的に、侵略、防衛論をいうのは私も好みません 問題は、戦争を国家の権利でどこまで認めるか。現在でも、多くの国では一応認めています。 が、私は認めない派です。 なぜなら私は国家が合法的大量殺人をすることを認めたくない=自分が参加したくない、自分が合法的に殺されたくない、からです。 戦争を認める=「自分は戦争で殺されても文句いわない」 ですが、みなさんわかってますか?自分ごとじゃないからいうんですよ、戦争は仕方ないって。 私がいうのは本来、外交・渉外担当者が死ぬ気でやれってことです。 戦争にいたらない解決策をみいだすべきなんです。 国家全体の経済にかかわるなら、経済の責任者、大企業経営陣が死ぬ気で解決すればいいんです。死んでしまえってぐらいで^^ 一般国民の生命と財産を危険に陥れる国家責任者、経済責任者なんかいりません。やめさせてしまえ、です。特に生命。経済落ち込んでも、殺されるとこまでいかんでしょう。なんで国民まで命かけなきゃあかんのですか。 というわけで戦争は未然に防ぐもの、別の解決策を探すもの。 攻め込まれたら、まぁ殴り返さないわけにはいかないですが。当座は。 少なくとも自分から攻め込むなんて工夫も知恵も、責任感もなんもかんもたりなさすぎなんですよ。無能! そんなのを防衛戦争とかでごまかされては国民がたまらない。 国家は国民のためにある。戦争を選ぶなんて最悪な選択するアホ政治家なんか、ホントやめさせろ、です。(物理的、人的資源の損耗、自然環境破壊、なんかいいことあります?) 当時の社会風潮ではなかなか通じにくい論調をいってますが、皆無でないこともしってます。 そういった上から「防衛戦」といいたい人には「防衛戦」であろう、ということです。そういいたいことを否定はしません。 ※「防衛戦」といいたい人に対しての質問なのにすみません

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.18

>日本がその国に頼らざるを得ないくらいには貿易してた 最初から結論が出ている人に理屈で説明しても理解得られるとは思えませんが、一応補足しておきます。 "困る"と単純に一言でばっさりとまとめていますが、その"困る"にも色んなレベル、観点からの"困る"があるのです。 例えば17番さんの指摘されているような(近代工業国家としての生産力を維持するための)"困る"とかと、所謂ABCD包囲網の"困る"はまた別次元の"困る"です。 ちなみにABCD包囲網とは当時のマスコミの造語に過ぎず、これら4ヶ 国がそれぞれ何らかの条約を結んで対日禁輸制裁をしたということはありません。オランダは日本とそれなりに交渉していましたし、原油を購入してさえいました。 一番日本にダメージを与えたのはアメリカが日本にはくず鉄や原油(より正確には航空機などの燃料になる特殊燃料)を売らないと決めたことです(絹などの一般商品の貿易に関しては、別にABCDに限らず、ブロック経済下でそもそも売れなくなったというのがダメージですが)。 そのため燃料の備蓄が向こう3年、戦争をすれば1年ちょっと分しか無くなってしまったということが決定的になってしまい、アメリカの言い分を完全に飲むか、今やるかの二者択一になってしまったと。 ただ"困る"と言っても別段その時点で"困った"訳ではありません(3年分の備蓄はある訳だし、入手しようと思えば原油を手に入れることはできなくもなかった)。これはいざというときの選択肢が無くなるという意味の"困る"です。 自主独立を果たすというのはそれだけしんどいことでもあります。 現在のように自主独立をなげうって完全にアメリカに従属してしまえば、そういう意味の(いざとなれば一国でも戦争を遂行するという気構えを持ちその準備を怠らないという)"困る"こは無かったでしょう。ただそれとは別の意味で"困る"ことがまた出てきます。中国の恫喝におびえて、北朝鮮の暴走を懸念しても有効な対応が打てず、アメリカの無茶な要求に涙を飲むというようなそういう"困る"です。 ただ今の日本人と違って当時の日本人は真剣に自主独立を果たそうとしていました。その彼らの真剣さを一番汲むことが出来るのは、時代が移り変わったとしても、やはり日本人しかいないのではないかと思う訳で。 色々"困った"挙句の彼らの行為を、今の価値感からみて一刀両断に切り捨てるのはそりゃ気持ちの良いことかと思いますが、今の日本があるのはそんな彼らのお陰であり、もちろんそれを引き継いだ自分たちの祖父や両親の世代の人たちが、例えば公害や過労死や、今の価値観からみれば愚かしい行為としか思えない基準でもって対応してきた結果です。少なくとも今の日本は色々と"困る"ことは多々ありますがそう悪くないと私は思います。別段そんな彼らに対して無条件に感謝しろとは言いません。ただ彼らの真摯な心意気は汲んであげるべきではないかと思います。

raky753
質問者

お礼

ありがとうございます。やっと、あなたの回答で、目の前の霧が晴れたような気がします。 今まで、どうしても防衛戦争だと分からなかった原因が 「結局日本は戦争に負けてアメリカに屈服したけど国家は消滅してないじゃん」 という思い込みだったと、はっと気づかされました。 日本と言う国家は戦争に負けた時点で終わっていたのですね。本当にありがとうございました。

  • koon1600
  • ベストアンサー率51% (200/390)
回答No.17

この問題はイデオロギーというものに非常に左右されますね。 この質問の場にも、非常に極右的、もしくは逆に極左的な考えを、歴史という本来的に一歩引いた立場で見るべきものと混ぜて、思いっきり主観視点でぶちまけている人がおりますので・・・(このごろは右の方が少々出てきたような気がします)。 まあ、私も完全に中立かといわれれば、人間ですからどちらかには偏っているのかとは思います。 何を持って侵略戦争とするのか?先に仕掛けたらそれは侵略戦争ではないのか?それとも、相手にそうするように仕向けられたから防衛戦争なのか?そもそも本当にそうするように仕向けられたのか?だとしたら原因はどちらにあるのか?仕向けられる理由があったのではないか? では、防衛戦争とはなにか?仕掛けられたら守る、それが防衛戦争ではないのか?それともあの戦争は、防衛戦争をするように仕向けられたものなのか? 等々・・・いろいろな疑問があるはずです。 私の見方としては 防衛戦争でもなければ侵略戦争でもない、ただの戦争。 というものです。 本来的に戦争に防衛も侵略もないはずなのです。どちらも自国のために正しい(としている。と思っている)イデオロギーのぶつかり合いです。 どちらが正しいとか間違っているというのは本来的にはありません。 なお、自国のイデオロギーを一方的に押し付けるいわゆる植民地会得のための戦争は、少々色が違うというのはあると思います(力関係があまりに一方通行のため)。 しかし、日本は当時あくまで「列強」の仲間であると、自他共に認めているのですから、これとは違います。 ついでに、人道的見地から見てみれば・・・戦争という、国際法で認められた公的な殺し合い自体に問題があります。でも、これは正当な行為として認められています。 では、なぜ「防衛戦争」「侵略戦争」なんていう言葉がでてくるかというと・・・ 簡単です。そういうことに「したい」人がいるからです。 今のアメリカ大統領しかり、大昔の足利尊氏といった武将しかり、いわゆる指導者というのは、こういった武力行使を「正当化」するために腐心します。そうしないと誰もついてこないからです。 防衛だとか侵略だとか言っている人たちの考えでいえば、負けた日本は「アメリカからするように仕向けられた防衛戦争」としたいでしょうし(ただこれに関しては実際にそういう側面があるのは確かです。近代国家の血液たる石油が日本国内ではほとんど出ません。石油の枯渇が近代国家の死滅に直結しているのは確かなのです。今でもそうなのですけどね。まあこれは別の話)、勝ったアメリカは「自国が巻き込まれた侵略戦争」としたいでしょう(こちら側の側面も、もちろんあるのです)。逆に日本がそういった、軍事国家的にならないように「あの戦争はこっちが仕掛けた侵略戦争(もちろんこの側面もある)」としたい日本人もいます。逆にアメリカの中でも、ヨーロッパ戦線への参戦の方法などから「日本に仕掛けさせた日本の防衛戦争(そして、この側面ももちろんある)」としたい人もいるはずです。 結局、侵略戦争とか防衛戦争というのは、そう他人に「捉えさせたい」人が言っていることであり、本来的にイデオロギーの衝突である戦争とはまったく別次元である、内政教育の問題なのです。 回答としては、ちょっと変化球になりますが 防衛戦争とか侵略戦争とか言っている人に振り回されずに、あくまで自分であの戦争がどういったものなのか捉えましょう。自分なりの考えを構築することが、あの戦争がどういったものかを考える近道。 でしょうかね・・・長くなりましたが、こういうものなのだと思います。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.16

#9です。どうやら私の意見が上手く伝わっていないようなので再度補足します。 > 受け入れがたい要求を飲む=近代国家としての消滅というところに若干の無理があるような気がします 例えば、日本にでは石油はほとんど出ません。石炭はありましたが鉄やゴムその他の工業材料はほとんどありません。したがって、これらに対する輸入が不可欠なわけです。逆に言えば、もし輸入をまるきり止めて自給自足経済に戻るとなれば、江戸時代の経済にまで戻らなければなりません。 つまり(国家体制というより工業国という意味での)近代国家としての日本は、消滅せざるを得ないわけです。 したがって、資源輸入は日本が近代国家として成立し続けるための最低条件な訳です。だから > 日本がハルノートを飲むということは、近代国家として早晩消滅することを意味 するわけです。 したがって、近代国家(体制ではなく工業国)としての日本を守るという意味で「防衛戦争」な訳です。 この見方だけが正しいのではなく、#16の回答にあるように「境界線を最初に越えた奴が侵略者」という単純極まりない見方も、私は好まないのですが、勿論あります。

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    日本は60数年前にハル・ノートによりアメリカとの戦争に突入し、負けてしまいましたが、それならば仮にデス・ノートを日本が持っていれば日本は勝っていましたか?月(ライト)君の持っていたノートです。

  • ロシアってハルノートを突きつけられた日本みたい?

    ウクライナ侵攻に踏み切ったロシアって、ハルノートを突きつけられてブチ切れて戦争始めた日本みたいな立場に追い込まれたんですかね? まあ、資源のない日本と違ってABCD包囲網とかはないでしょうけど、NATOの東側への拡大って、満州を放棄しろと言われたハルノートと同じ状況じゃないですか? 当時の日本は満州は防衛ラインであって放棄するわけにはいかなかったので、戦争始めるしか無いと思いこんでしまったわけですよね。 ロシアも似ていませんか? ウクライナまでNATOに加盟して緩衝国もなくなるなら、奪ってしまってアメリカもイギリスも倒してしまえる力を持った方が良いと。 結果、経済制裁食らって今まで手に入れたものをドンドン失っておりますが。 でも日本も一説によるとハルノートを受け入れていれば、満州は失うけど、台湾や北方領土は失わずに済んだという話ですよね。 なんかそれと似てませんか? 結局、原因はアメリカなのも同じw ホント、アメリカって余計なことばっかするよなぁ・・・ 真珠湾攻撃は攻撃されることをアメリカは分かっていながら、大義名分を手に入れるためにあえて犠牲にしたなんて話もありますが、米軍を撤退させて攻めやすくさせたのもこれに似てますよね。 今回は自国ではなく他国を犠牲にしましたが。 ただ今回の誤算は資源のない小国である日本と違って、大国をブチ切れさせてしまった。 アメリカはこの責任をどう取るんですかね? 追い込まれたという点では、ロシアも同じではないでしょうか? 日本人の中には「戦争いくない」と言いつつもロシアに同情してる人もいるのでは?

  • 太平洋戦争で日本が得たもの

    太平洋戦争は日本が開戦すべく開戦し、敗戦すべく敗戦したと言えると思います。 確かに、ハルノートは日本が到底受け入れることができなかったというのは分かりますが、 どうせ勝ち目の無い戦争に望まないでハルノートを呑むのも選択肢の一つにはあったと思います。 結局、日本は満州だけでなく、台湾と樺太も失ってしまい、おまけに原爆まで落とされてしまいました。 そこで質問です。日本がアメリカと開戦したのはネガティブな理由であれ、ハルノートを蹴って戦争に踏みきったことには結果的にはどんな意味があったのでしょうか?