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進化論: 何故、システムとして進化できるのでしょうか?

生物を構成する個々の小さい部品が突然変異と自然淘汰の積み重ねで進化できるのは、わかるような気がしますが、多数の部品が統合されて、全体がシステムとして働いているようなものは、進化論ではどのような説明が可能なのでしょうか? たとえば、「目でモノを見る働き」などが、進化の結果として実現されるためには、眼球のレンズ、レンズを動かす筋肉、網膜、視神経、視覚像を処理するための脳細胞、涙腺、瞼の条件反射などなど、ものすごく多くの部分が全体として調和されて進化して初めて可能だと思います。 しかし、これらのシステムを構成する個々の部品は、それぞれ、別の遺伝子が管理しているでのではないのでしょうか?もし、そうだとすると、レンズができても、レンズの筋肉ができなかったり、たまたま、両方できても、網膜ができなかったり、あるいは、視神経ができなかったりすると思います。 これらの個別部品が、「同時期に一気」に全体が調和するように進化する理由がよくわかりません。また、「同時期に一気」にではなく、「別々の時期に、少ずつ」だとすると、まだ、レンズの筋肉ができていなかったときのレンズは、どうやって体内に固定していたのかとか、そもそも、「見る」という「有益な機能」に至る前の「ただのレンズ」などは、「自然淘汰」の過程で、存続し続ける必然性がないのではないかと思うのです。 ということで、進化論では、個別部品を統合したシステムとしての進化をどのように説明可能なのかを教えてください。

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  • m41
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回答No.25

3時間掛けて書いた 御返事が き・消えた?!(T_T) 補遺即有難う御座います。No21です。昨日一回御返事書いたのですがログインが切れ再ログイン出来ずに返事が消えてしまいました(T_T) 気を取り直してもう一度・・・・・(おかげで もう一度考えを纏る時間は出来ましたが) 現実は、あまりにもきれいに完成しているので> 無駄の無い物は美しい現在生きている生物が現状の環境に最も適していて美しいのは当たり前の事ですが 何を持って美しいと言うのでしょうか?落語の演目に一つ目国というのが有りますが1つ目の国の住人にとっては2つ目の生き物のほうが珍しく価値観は環境や見るものによって代わってきます もし人智を超越した地球外知的生物から見たらもしかしたら今地球上に存在する生物は醜く無駄だらけなのかもしれません。 また有る一定の大きさを超えた「役に立たないけど生存に有害でない」物を持つ生物はハンデ以外の何者でもなく 結局は生き残れなかったのだと思います。 http://members.at.infoseek.co.jp/kawa3104/oumugai.htmlオオム貝はえらが4対有ります http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/ventasutega.html http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/akantosutega.html http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/ikutiosutega.html 初期の両生類は指が8本も有ります 何故5本になったのかは不明ですが退化の痕跡すら残って居無いと言う事は 現在生き残っている種はこれらの物とは別の進化をしたと思われます。 例えば眼はおそらく初期の眼は単眼で光を感じる程度のものだったでしょうそれが二つになった時点で方向や距離を感じる事が出来るようになりそれでお終い!それ以上に増えた種は生き残れなかったのではないでしょうか?例外的に現在の蜘蛛のように8個の眼が合ったり昆虫のような複眼が有るのではないでしょうか? 非常に小さい変化しかない無数の種の化石のセット> 同時期に同じニッチを持った種の競合というのは考えられない 有る新種が今日化石として私たち人間に発見されるだけの個有数になるまでには多くの時間を費やし其の間に枝分かれする前の形態とは明らかに違う個体になってしまうのではないでしょうか?例えば人間を例にとって見るならhttp://www.kataoka-el.co.jp/jinrui.html同じ原人から(それ以前?)進化した アウストラロピテクスとホモハビルスが違う進化を遂げた中で後者が前者に取って代わると其の間の化石は見つからずミッシングリングになってしまいます。 突然変異で、脳みその大きい種ができ> これも違うと思います突然変異で脳が大きくなるまで待っては居られません 毛皮をなくした多くの原人の中で 生き抜く知恵を持っていたものだけが生き残り子孫を残す権利が与えられたのだと思います 当然其の固体は脳の容量も大きかった可能性は否めません其の繰り返しによって進化が出来ていくのだと思うのですが・・・ かなり前の回答に成ってしまいますが 鯨の話も足でも鰭でもない状態が其の時代其の環境においては別段不利ではなく最も適した形であったと思います。先ず両生類が地上に上がる時 地上には敵も無く豊富な餌を独り占めすることが出来ましたどんな不恰好な足であろうと其のニッチには敵が居ないのですから最も優れた形であった事は疑う余地も有りません。 http://www.whalco.jp/kujira/kujira2.html http://www.sanspo.com/fish/labo/monogatari/sakana_kujira1.html に有る様に鯨の祖先がカバの様な偶蹄類であったなら現在のカバも4本足で殆どを水の中で過していますが足が不完全な鰭に代わって行ったとしてもなんら不自由な事は無いと思います。 ペンギンもまた然りです捕食者が居たらとてもあのような不恰好な歩き方で生き残れるとは思いませんしかし現在の北極においては最も優れた形の一つである事も疑いようの無い事実です。 ご紹介した島泰三先生の本は前半はやりすぎだろう?!と思えるくらいダーウインの進化論の不備を書いています。進化の過程が単に自然淘汰や性淘汰、突然変異と漸進論では説明できない事を 強く言っておられます。 私がどうしても不思議でならないのは他の方の質問で書かせて戴きましたが(http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=2174355のNo18)自然淘汰による進化論の落とし穴として人間のように強い生物は自然淘汰されないと言うことです 環境に適応しない種は自然淘汰によって適応力の有る者だけが生き残る・・・何者が人間を淘汰するのでしょうか人間の天敵は?人間?戦争?病原菌? そこでダーウインは直ぐ説明がつかなくなると性淘汰を持って来ます。縄文人と比べ現代人は骨格が細い(これは紛れも無い事実だと思います)と言う事は自然淘汰説・性淘汰説に基づけば骨格が太く筋肉隆々の人間は戦争に弱く病弱で短命 女にもてず子孫を残す機会が細身の伊達男より何千年もに亘って恵まれなかったと言う事に成ってしまいます。 誰が信じます?こんな事?獲得形質の遺伝も有りうるとしか思えないと言う事です。 あっ?!今気付いた逆だ!!!古代では骨の細い優男は生き残れなかったんだ!!力の無い物も生き残れる人間社会が続いたから結果的に骨が細くなった! 有難う御座います1つ問題が解決しました\(^o^)/ 質問の答えの場で論議の場ではない!というルールに反して多くを書いてしまいましたが この質問のやり取りは楽しすぎるので 許していただければ幸いです。

参考URL:
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5218/
kobarero
質問者

補足

ご返事、書き直していただいて大変ありがとうございます。面白い情報とお考えをいただき、よろこんでおります。 >無駄の無い物は美しい現在生きている生物が現状の環境に最も適していて美しいのは当たり前の事ですが 何を持って美しいと言うのでしょうか? 私が言った「きれい」は、「美しい」という意味ではなく、「きれいさっぱり」の「きれい」で、「何もない」と言う意味です。要するに、生物の体には、無駄なものが何もなく、あまりにも、効率的、能率的に構成されているので、不思議だなぁという意味です。もし、本当にまったくデタラメな遺伝子の変異がベースにあるのなら、体のあちこちに、もう少し「何だコリャ?」と思わせるような変で無意味なものがくっついていても、別に生存には邪魔にならないのではないかと思ったのです。 ところで、「美しい」ついては、別の感想があります。人間から見ると、非常に多くの花が「美しく」見えます。これは、すごく不思議です。花が美しくなかったからと言って、人間が生存できなかったとは、とても思えないからです。人間が花粉を運んでくれるミツバチなら、花が「美しく」なろうとするのは、戦略的に理にかなっていきますが、人は花粉を運んでなんかやらないのに、花が人間に愛想を振りまく理由がわかりません。無償の愛でしょうか。 >また有る一定の大きさを超えた「役に立たないけど生存に有害でない」物を持つ生物はハンデ以外の何者でもなく 結局は生き残れなかったのだと思います。 ちょっと、論理展開がよく理解できなかったのですが、「有害でない」のに、生き残れなかった理由は何ですか? 結局、生存する上で「有害だった」から、生き残れなかったのではないでしょうか? そうだとすると、「有害でない」という前提そのものを変更してませんか?  また、URLを挙げていただいた例は、いずれも、生き残った例ですよね。生き残ったからこそ化石がある。その種が、現在まで生き残っているかどうかは別ですが、当時は、かなり長期間、当時の環境に適応できたということだと思います。図を見ても、大変整った形態をしているので、自信を持って堂々と生きていたように思えます。 >同時期に同じニッチを持った種の競合というのは考えられない  前回も書かれていたことですが、どうもこの意味がよく理解できませんでした。「同じニッチを持った種の競合」というのは、具体的にはどういうことですか? それと、私の疑問は、単純化して言うと、「進化の歴史は、地道な小さい変化の累積であって、大きな飛躍の時期はなかったと考えていいのか?」ということです。私は、飛躍的な変化が、要所要所にあったと考えた方が妥当なように思うのですが。 >先ず両生類が地上に上がる時 地上には敵も無く豊富な餌を独り占めすることが出来ましたどんな不恰好な足であろうと其のニッチには敵が居ないのですから最も優れた形であった事は疑う余地も有りません。 ここでも、論理展開がよくわからないのですが、「不恰好な足」と書いていますが、正確には、「不恰好ではあるが、生き延びるには障害にならない程度の足」という意味ですよね。言い換えると、「生き延びるのに障害になるほどの不恰好な足」の場合は、滅びますよね。となると、「良いものは良い、悪いものは悪い」という論理と同じに見えてしまうのですが。 ところで、「クレオドント」という名前がいいですね。特に「ドン」でなく、「ドント」がいいです。「クレオドント」って滅びてしまったんですか? 現代に持ってきても、全然恥ずかしくないほど、立派に完成しているように思えるのですが。何か欠陥があったのでしょうか?  >進化論の落とし穴として人間のように強い生物は自然淘汰されないと言うことです えーと、結局、「人間も自然淘汰されないのはおかしい」という疑問でしょうか? >誰が信じます?こんな事?獲得形質の遺伝も有りうるとしか思えないと言う事です。 有りうると考えておられる「獲得形質の遺伝」って、例えば、どのようなことですか?

その他の回答 (26)

回答No.27

「~の論理でいくと」ということで、回答に対するご自分の理解を示して確認されるのはいいことだと思いますが、もとの説明に対して、無意識ででしょうが、別の仮定を紛れ込ませてしまったり、理論が飛躍してしまっていることが多いように思えます。結論に飛びつく前に、理論の飛躍が無いか、別の可能性は無いかなど、もう少しじっくり考えてみましょう。 >(3)もともと不要な器官--->突然変異で劣化(劣化の意味が不明ですが)--->劣化しても不要なので、自然淘汰されない--->その結果、元々不要な器官を持つ生物は、その不要な器官を持ったまま生き残る。 持ったままのこともあるでしょうし、失うこともあるでしょう。 もし、不用な上に、邪魔な器官であれば、器官そのものが失われるような変異が起こった場合に生育に有利になりますので、器官を失うような選択圧がかかることもあるでしょう。 また、そうでなくても、不用な器官の場合、器官そのものを失う変異が起これば、その変異がそのまま定着しても害がないわけで、長い時間をかければ、器官そのものを失うことが多いでしょう。(その器官を持ち続けることのコストの大きさが、失う可能性の大きさと正の相関を示すと思います。) 一方、もともとまたは環境の変化などで不用な器官であったものに、別の機能を獲得するような変異が起こり、それが生育に有利(または少なくとも不利ではない)なものであれば、その変異も生育への有利さに応じて定着していくかもしれません。 もちろん、別の機能を獲得すると言っても、最初は、もとの機能と近いものであったり、極々原始的なものであったりすることがほとんどで、最初からいきなり全く新しいフルセットの新機能を持てるということはまず無いでしょう。

kobarero
質問者

お礼

>結論に飛びつく前に、理論の飛躍が無いか、別の可能性は無いかなど、もう少しじっくり考えてみましょう。 わかりました。もう少しじっくり考えてみます。 たびたび、ご回答ありがとうございました。

回答No.26

一点、かみ合っていないような部分について。 不用になった器官の退化についてです。 ・必要な器官に関わる遺伝子にも、不用になった器官に関わる遺伝子にも、同じように変異は起こります。 ・必要な器官に関わる遺伝子に、その機能を喪失・劣化するような変異が起これば、その個体は、生存できない/生存に不利になります。 ・不用な器官の機能を喪失・劣化するような変異が起こった場合、その個体の生存には影響を与えません。 ・従って、必要な器官をの機能を喪失・劣化するような変異は、起こっても定着する可能性が低いのに対し、不用な器官の場合は、そのまま定着する可能性が高いということになります。これは、言い換えると、不用になった器官は、消失はしなくても、その機能が退化していく可能性が高いということになります。 地底湖の生物の目の例でも、 ・目があった方が生存に有利な地上の近縁種では、目の機能が失われた個体は生存が不利になる。 ・地底の暗闇では、目の機能を失っても生存に影響はないので、そのような個体も生き残る。 ・従って、地底湖では、目の機能を保っていることもあるが、長い年月をかければ、その間に起こった変異で、目の機能が退化しているものが多いのに対し、地上では、目の機能を保ったものがほとんどを占める。 ここで、重要なのは、ある遺伝子に変異が生じた場合、ほとんどのケースでは、機能は劣化または喪失することになるということです(*)。従って、選択圧の働かない状況下では、世代交代の積み重ねは、機能の劣化・喪失の方向に働くのです。では、なぜ機能の高度化が起こるのかというと、それは、選択圧のおかげということになります。 *例えば、作業指示書に転記ミスがあれば、大抵の場合はできる製品の機能は劣るか全く機能しなくなっていますよね? 転記ミスがいい方に働く可能性は、それに比べるとずっと低いのです。実際には、遺伝子の変異が起こる仕組みは、単純な「誤字」だけではなく、「貼り付け場所の間違い」「二つの文章の連結」などの「編集ミス」のようなものも含むため、「誤字」だけを考えた場合よりは、「新機能」や「機能向上」が起こりやすい仕組みにはなっていますが。

kobarero
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >不用になった器官の退化についてです。 (1)有用な器官--->突然変異で劣化--->その結果、生存に不利になり、自然淘汰でその種は滅亡する。 (2)もともと有用な器官(眼の例)--->地底湖に引っ越した場合は、その器官は不要になる--->突然変異で劣化--->劣化しても(地底湖では)不要なので、自然淘汰されない--->その結果、劣化した眼を持つ生物は生き残る。 ということですね。この論理で行くと、 (3)もともと不要な器官--->突然変異で劣化(劣化の意味が不明ですが)--->劣化しても不要なので、自然淘汰されない--->その結果、元々不要な器官を持つ生物は、その不要な器官を持ったまま生き残る。 ということになりますね。

  • moritan2
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回答No.24

> ある器官(機能)が進化の途上でなくなってしまった結果を見て、「あー、あの器官(機能)は、 > 生存に不利な働きをしたんだなぁ」と判断できるということですね。 上の私のメッセージは、あなたが、どうして無意味なものが「できないのか」という話に対して、答えたものです。なにも無いところから、なにか意味のある構造ができる話に対して答えたので、一度出来たものが消えてなくなるのはまた少し違います。 ただ、私の書き方も今見るとちょっと変で、積極的な有利さが無い限り、「なにもない所からなにかの意味のある構造が生まれることは無い」と修正します。逆にいえば、体の模様など特に情報を必要としないものなら、不利でさえなければいくらでもバリエーションが生まれますね。 何も無いところから、理由も無いのに情報として意味のあるものができるはずはありません。そういうものが出来るには、必ず積極的なそういう情報ができる理由があるはずです。それが淘汰圧です。 一度できたものが消えるのは、前にも書きましたが、やはりその情報を維持する積極的な理由がないかぎり、時間と共に遺伝子にランダムに発生するエラーと共に失われていきます。また、その構造を維持するのに何らかのコストが必要なら、役に立たないならそれは「不利」ですから、この場合は急速に失われていくと思います。

kobarero
質問者

お礼

たびたびのご回答ありがとうございました。

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.23

> 私もその通りだと思うのですが、そうだとしたときの疑問は、何故、現存の生物の体内には、 > 不要物がかくも少ないのかということです。 > > もともと、ランダムな突然変異と自然淘汰によって進化が推進されて来たのであれば、自然淘汰 > にひっかからない、「役に立たないけど生存に有害でない」もろもろのものが、体内のあちこち > に埋め込まれていてもいいのではないかと思うのですが。ランダムな突然変異であるのなら、 > 有益なものが生まれる可能性より、有害か、あるいは、有益でないけど有害でもないようなもの > が生まれる可能性の方がはるかに高いはずすから。 「現存の生物の体内には、不要物がかくも少ない」ということ自体が、不要物を作るということが生存に不利である証拠であると思いますが。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >「現存の生物の体内には、不要物がかくも少ない」ということ自体が、不要物を作るということが生存に不利である証拠であると思いますが。 ある器官(機能)が進化の途上でなくなってしまった結果を見て、「あー、あの器官(機能)は、生存に不利な働きをしたんだなぁ」と判断できるということですね。 例えば、人間が、チンパンジーと人間の共通先祖から分岐した後、体毛がなくなって裸になりますが、この体毛は、人間の生存にとっては不利だったと考えるわけですね。また、しっぽもなくなりますが、このしっぽも、生きていくうえで、不利だったんですね。 何故、不利だったんでしょうね。既に、合理的な説明が一般になされているのかも知れませんが、自分なりに考えてみました。 まず、「裸」の方が「体毛に覆われている」より、生存有利な理由。 多分、共通先祖の一部が、突然変異で体毛を失ったのが、最初ではないでしょうか? その結果、寒くてしょうがないので、病気になって死んでいくものが多かったと思いますが、そのうち、また、突然変異で、脳みその大きい種ができ、「火」を利用したり、他の動物を殺して毛皮を着たりできるようになったので、生存できるようになった。こんな感じでよいでしょうか? また、シッポについては、以下のように考えています。 シッポは、人間の脳みそが大きくなった当初は、まだ、付いていて、後に消滅したのではないでしょうか?初めは、シッポが付いていたので、猿人のときのつもりで、木に登って、枝にシッポをからませてぶら下がろうとするのですが、頭が重くなっていたので、墜落死して、次々と死んでいった。たまたま、突然変異でシッポの短い人間が生まれて、その後は、その種が木から落ちずに生き延びた。こんな感じでしょうか?

回答No.22

「それならば」という議論は別の問題です。 私は、有用(または必要)か不要かという情報が遺伝子に伝わり、遺伝子が改変されるようなことは絶対にありえないと言っているだけです。 結果的に有用(または必要)な器官が残り不要な期間が退化したように見えるのは、それが「必ず」個体レベルの「より生き残りやすさ」に関連しているからです。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >結果的に有用(または必要)な器官が残り不要な期間が退化したように見えるのは、それが「必ず」個体レベルの「より生き残りやすさ」に関連しているからです。 「より生き残りやすさ」に関連しない、しかし、生き残るのに積極的に有害でもないニュートラルな器官は、残りますか、それとも、退化しますか? 私は、残るのではないかと思うのですが。

  • m41
  • ベストアンサー率30% (346/1127)
回答No.21

本当に充実した良い設問と回答ですね実に羨ましいです。 何度も 私も仲間に入れて欲しいと思っていたのですが質問者様も回答者様も鋭い意見の交換で皆さん書かれた事を読むたびに 違う物を調べてみたりとかの作業に追われ 仲間入りする隙が有りませんでした。 私は専門家でもなんでもないので 的外れな事を書くかもしれませんがお許しください。 取りあえず2つ気になるところを・・・・ (1)「純粋にランダムな突然変異」と「自然淘汰」が進化の原動力になっているのなら、積極的に有害ではない(自然淘汰の網にひっかからない)不要物が、何故、もっとたくさん生物に残存しないのか?> 此れに関しては質問者様が自ら >盲腸、へそ、男のおっぱい、腋毛など> と お答えしているように 一杯有ると思います 鶏のとさか等もよく例として挙げられたり(それらの物が本当は意味があるのかもしれませんが今の科学で解明できないだけで) ご紹介の本の中にヌードマウスは胸腺が欠落し感染症により直ぐに死んでしまうという箇所が有ります これを元に著者は人間のヌード化も喉頭形状の変化を同時に招きそれによって言語を話せるようになり結果的に毛皮の無いリスクに打ち勝つ事が出来たとしています。突っ込みどころは確かに有りますが 進化の中に置いて偶発的な複合により本来マイナスであった事がプラスに働く事が有る事は否めないと思います。 無数の動物種が存在したことになると思います> 現在の哺乳類も全てねずみのような種から進化したと考えられています 同時期に同じニッチを持った種の競合というのは考えられないので無数の動物種の存在が無いのではないでしょうか? 現代の進化論に置いてランダムな突然変異と自然淘汰、性淘汰だけでは説明が付かない事は周知の事実であり 私はどうしても獲得形質の遺伝も有りうるとしか思えないことが有るのですが。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4907818475/n08-22/ref%3Dnosim/503-9786289-3631920
kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >盲腸、へそ、男のおっぱい、腋毛などと お答えしているように 一杯有ると思います 鶏のとさか等もよく例として挙げられたり 私は、もし、遺伝子が本当に全くデタラメに突然変異するのなら、もっととんでもないもので、しかし、けっして有害ではないものが山ほど出来たはずだと考えているのです。例えば、眼は初めから中央に2個と設計図で決まっていたわけではないはずですから、進化の途中では、個数、構造、大きさの違う様々な原初眼の形体が登場したはずではないかと思うのです。それらのなかで、現在の眼に至るもの以外は、全て有害だったとは考えにくい気がするのです。例えば、額のあたりに、大昔の原初眼の名残が、盲腸みたに残っていてもいいのではないかと思うのですが。生物が、デタラメな突然変異の結果、出来てきた(もちろん、自然淘汰のフィルターを経てですが)のであれば、無用なものの痕跡がもっとたくさん残っていたほうが、いかにも真実らしくみえるのですが、現実は、あまりにもきれいに完成しているので、真実らしくみえないのです。と言っても、真実ではないと言えるだけの、はっきりした根拠も示せません。そこが、私には、大変興味がわくところです。 >進化の中に置いて偶発的な複合により本来マイナスであった事がプラスに働く事が有る事は否めないと思います。 ヌードマウスの例は、大変おもしろい例ですね。この例がおもしろいのは、ある機能を実現することに関連した構造(胸腺や咽頭構造)が、「しゃべる」という別の機能のために使われた点です。生物進化の過程では、それまでなかった機能(肺呼吸とかしゃべる機能など)が新しく獲得される場合が少なくありません。このような新しい機能が可能になるためには、それに対応した新しい構造が生成される必要があると思います。ただ、そのような新しい構造の生成が、本当に漸進的な変化だけで得られるのか、いまだに、すっきりとは納得できません。 >同時期に同じニッチを持った種の競合というのは考えられないので無数の動物種の存在が無いのではないでしょうか? ちょっとおっしゃっている意味がわかりませんでした。私の質問の仕方が悪かったのかも知れませんので、もう一度、書いてみます。 漸進論者は、例えば、浮き袋から肺までの進化の過程には、大きな飛躍はなく、非常に小さい突然変異の積み重ねで進化が進められたのだと考えているのだと思います(間違っていたら、お知らせください)。すなわち、浮き袋から肺まで、連続的に少しずつ変化するので、もし、全ての化石が残っていたとすると、その化石は、非常に小さい変化しかない無数の種の化石のセットからなっているはずだということになると思います。それで、私の質問は、漸進論者は、本当にそのように考えているのかという確認です。もしかすると、私が勝手に、漸進論者(ネオ・ダーウィニズムと言っていいと思うのですが)の考えを誤解して可能性もあるからです。 ところで、「裸の起源」っておもしろそうですね。内容は、わかりませんが、人間は何故裸にならないと生存していけなかったのか、すごく疑問に思っていたので、今度、読んでみたいです。ありがとうございました。

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.20

> また、もし、そうだとすると、浮き袋原初肺から哺乳類高度肺に至る、中間段階の途上肺を持った > 無数の動物種が存在したことになると思いますが、それらの動物種の化石は、そんなに数も多くな > いので、たまたま、発見されていない(やがて、発見される可能性がある)という認識でよいでし > ょうか? 化石でなくても現在の両生類の肺などはどうでしょう? > 体に役に立たない何かがついていたら、それは、中立でなく、有害なのか? > 体に役に立たない何かがついていたら、うっとうしと感じるものなのか?  > そして、うっとうしいと感じたら、有害なのか? > > 盲腸、へそ、男のおっぱい、腋毛など考えると、答えは、NOのような気がします。 そうですね、たしかに一度出来た構造は完全に消えてなくなることはないですね。痕跡だけはのこりますね。人間の尾骨などもそうですね。他には洞窟に住んでいる生物の目とか。使われていないと退化してしまい痕跡だけになってしまうということよく知られている事実です。 遺伝子というものは有用でないなら、有害でなくても自然に劣化していきます。というのはDNAの複製で一定の割合でエラーが発生するからです。複製のエラーに抗して遺伝子が生き残るにはそれが有用であるという淘汰圧が必要です。また、大部分の真核細胞のように遺伝情報量が多い生物では、遺伝情報を維持するためには淘汰圧だけでは不十分で、必ず性のしくみによるエラー修正のシステムが必要です。哺乳動物のY遺伝子には性によるエラー修正のシステムが働かないので、現在も遺伝情報のエラーの蓄積が進んでいて、いずれ痕跡のみになる運命にあります。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >化石でなくても現在の両生類の肺などはどうでしょう? 済みません。私の質問の仕方が適当でなかったみたいですねので、質問を少し変えさせていただきます。 質問:また、もし、そうだとすると、現代の進化論(あるいは、ネオ・ダーウィニズムと言うべきでしょうか)では、浮き袋原初肺から哺乳類高度肺に至る、中間段階の途上肺を持った 無数の動物種が存在したはずだ、そして、その多くの化石は、たまたま、発見されていないだけだと信じているのでしょうか? >遺伝子というものは有用でないなら、有害でなくても自然に劣化していきます。というのはDNAの複製で一定の割合でエラーが発生するからです。 「有用ではないけれど、積極的に有害でない遺伝子が自然に劣化する」というのは、どういう意味ですか? 「劣化」というのは、有害になるという意味ですか? それとも、消滅するという意味ですか? 例えば、もともと無害無用であった遺伝子が、DNAエラーで特性が変化したとします。この結果、以下のいずれかのことが起こるのではないかと思います。 (1)DNAエラーの結果、再度、無害無用の遺伝子ができる。 (2)DNAエラーの結果、有害な遺伝子ができる。 (3)DNAエラーの結果、有益な遺伝子ができる。 (2)の場合は、自然淘汰のプロセスで排除されると思いますが、(1)や(3)の場合は、排除されないと思いますが。でも、確かに、(2)の発生確率は、ゼロではないですから、非常に長期の時間の中で、同じ遺伝子コードに何度も何度も繰り返しエラーが起こる可能性はゼロではないと思います。そのような場合のことをおっしゃっているのでしょうか? よくわかりませんが、DNAエラーは、無害無用な遺伝子にのみ選択的に生じるわけではなく、有益な遺伝子にも平等に生じる可能性があるわけですよね。すなわち、もし、劣化ということがあるのなら、有用、無用に関わらず平等に劣化すると思います。 済みません。だんだん頭がこんがらかってきましたので、私の論法がおかしいかも知れませんが、取り合えず、質問させていただきました。

回答No.19

ある器官が不要だからということを理由として、それが代々に渡り消えていくことはありえないので、そこを誤解されないように。 それが致死を招く可能性が高い場合は、個体数の減少につながり、結果的にその器官を持つ種が絶滅することはあります。 器官の不要が何らかの形で遺伝子に伝わり、遺伝子が変異を起こすことはありません。

kobarero
質問者

補足

>ある器官が不要だからということを理由として、それが代々に渡り消えていくことはありえないので、そこを誤解されないように。 私もその通りだと思うのですが、そうだとしたときの疑問は、何故、現存の生物の体内には、不要物がかくも少ないのかということです。 もともと、ランダムな突然変異と自然淘汰によって進化が推進されて来たのであれば、自然淘汰にひっかからない、「役に立たないけど生存に有害でない」もろもろのものが、体内のあちこちに埋め込まれていてもいいのではないかと思うのですが。ランダムな突然変異であるのなら、有益なものが生まれる可能性より、有害か、あるいは、有益でないけど有害でもないようなものが生まれる可能性の方がはるかに高いはずすから。

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.18

私の#17に読み返してみたら誤解をまねく表現がありました。質問者さまが創造論とかインテリジェントデザインの影響を受けている、と私が示唆しているように読めるかもしれません。これは私の表現がまずいせいで、そういう意図はありません。申し訳ありませんでした。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 創造論とかインテリジェントデザインについての私の考えは、100%否定はしないけれど、「知的には全くつまらない」ということです。要するに「思考停止」する以外にないような気がします。 ただ、私がいくらつまらないと思っても、創造論とかインテリジェントデザインを100%否定するつもりもありません。 私の興味は、神やスーパー知的生物による創造力に頼らずに、物質的原理のみで、どうやって進化が可能になったかのしくみを知ることです。 これに関しての現在の主な疑問は以下の2つです。 (1)本当に漸進的進化だけで、構造的変更を伴う進化が説明できるのか? (2)「純粋にランダムな突然変異」と「自然淘汰」が進化の原動力になっているのなら、積極的に有害ではない(自然淘汰の網にひっかからない)不要物が、何故、もっとたくさん生物に残存しないのか?

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.17

> そう考えると、例えば、えら呼吸していた動物が、肺呼吸する動物に進化する過程では、 > えらの近くに、突然変異で肺房の細胞がたまたま一個できたとすると、それに向かって、 > えらと繋がっていた血管が近づいて行き、うまく酸素と炭酸ガスのやり取りをするので、 > うまくいくということになります。 > > しかし、この場合は、筋肉と違って、えらと肺というような、構造的に異なるものが相手なので、 > そんなに都合よく、酸素と炭酸ガスの交換ができるものだろうかという疑問が沸いてしまいます。 > 都市ガスがなくなったので、代わりに、水素ボンベを繋いだら、うまく、料理ができたという > ような話に思えてしまうのですが。 肺になった元の臓器は魚の浮袋です。魚はこれを使って水中での浮力を調整していました。浮き袋は当然空気を取り込みます。一部の魚は水に溶けている酸素が少ない時、浮き袋の酸素も利用します。さらに一部の魚は水が干上がっても浮き袋で呼吸し生き残ることができました。現在でもハイギョはこうしています。このように自然な流れで肺の進化が行われたわけです。進化というものは計画性がありませんから、こういうような道筋が偶然そろわない限り新しい構造なんか作ることができません。 こういうことが分かっていれば、創造論とかインテリジェントデザインとか出てくる余地はありません。 > それと、もう一つ、もっと根本的な疑問は、えらの近くに、都合よく、肺房の細胞が一個できる > 可能性よりも、全く別のものができる可能性の方がはるかに高いのではないかということです。 > すなわち、皮膚の一部とか、爪の一部とか、単なる肉腫とか、要するに積極的に有益ではないが、 > しかし、積極的に有害でもないようなものが出来る可能性の方が圧倒的に高いと思うのです。 > その場合、積極的に有害でない以上やはり、血管が近づいていって、生体系システムに取り込む > はずではないかと思うのです。しかし、現実の生物には、そのような、不要の部品の存在があま > りにも少ない気がします。これは、何故なのでしょうか? なにか構造ができて役に立たないなら、ほとんどの場合、中立ではなく有害です。あなたの体に役に立たない何かがついていたら、うっとうしくないですか? そこをケガして出血するかもしれませんし、少なくともその構造を作るためのコストがかかります。そういうものを作る遺伝子は当然消えていきます。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >現在でもハイギョはこうしています。このように自然な流れで肺の進化が行われたわけです。 なるほどね。確かに説得力がありますね。 この考えに基づくと、ハイギョのような浮き袋利用の原初肺と哺乳類のような複雑高度な肺までの進化の過程は、非常に小さい突然変異の積み重ねで、決して大きな飛躍はなしで、連続的に行われてきたと考えていいですか? また、もし、そうだとすると、浮き袋原初肺から哺乳類高度肺に至る、中間段階の途上肺を持った無数の動物種が存在したことになると思いますが、それらの動物種の化石は、そんなに数も多くないので、たまたま、発見されていない(やがて、発見される可能性がある)という認識でよいでしょうか? >なにか構造ができて役に立たないなら、ほとんどの場合、中立ではなく有害です。あなたの体に役に立たない何かがついていたら、うっとうしくないですか? いずれにしても、「中立でなく有害」であれば、それが「自然淘汰」で消滅していくのは理にかなっています。そこで、問題は、以下の2つです。 問題1:体に役に立たない何かがついていたら、それは、中立でなく、有害なのか? 問題2:体に役に立たない何かがついていたら、うっとうしと感じるものなのか? そして、うっとうしいと感じたら、有害なのか? 盲腸、へそ、男のおっぱい、腋毛など考えると、答えは、NOのような気がします。 ただ、これらの例は、過去の進化途上において、何らかの有益性があったものの痕跡として残っているという説明が成り立つと思います。でも、だからと言って、「進化の過去の途上において、何らの有益性もなっかたもの」は、全て、積極的に有害であったり、積極的に「うっとうしく感じる」という理由もないのではないかと思います。もちろん、生存に有害でない場合に限っての話ですが。その点がやはり疑問として残ります。

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