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しつけと体罰の境界線。

最近こんな記事を読みました。少し前の話です。 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/7895/taibatsu.html   女性が働くなかで家庭では子供のしつけがままならず、  知識は「塾」で習い、しつけは「学校」が請け負って いるという現状にあると新聞記事で読みました。   わたしたちがまだ幼い頃は、子供が悪いことをすると 地域や父親がびしっと子供を叱ってくれいました。 悪いことをすれば頬を叩かれることもありました。 でも叩かれたら絶対もうやるまいって学びました。   でも今は地域の怖いおじさんもいない。父親も子供に甘い。 学校側に子供のしつけを任せている状態なのに、 教師が子供を少しでも叩けば、親が体罰だと訴える。   もちろんむやみに手をあげることはいけません。 でも自分の子供が学校で煙草を吸ったり、他人に何度も 迷惑をかけるようなことをしたら、軽くひっぱたいて 欲しいと私は思うんです。怒られることで学ぶことも 多いんじゃないかと。   だからケースバイケースで、手をあげることが全て 絶対悪いとは言い切れないと思うんですよね…。   このケースみたいに、子供が明らかに周りに迷惑をかけ、 教師は軌道修正をしたにすぎないのに、親が教える側を 訴えるというのは、おかしいのではないでしょうか? 言葉で言ってもふざけてばかりで分からない子供に、 どうやって悪いことだと教えればいいんでしょうか?   子供は周りに迷惑をかけてうるさく騒いでいる。 学校でも塾でもお金を払ってるから教室からは出せない。 叱ってもふざけてばかりで全く子供が言う事をきかない。 頭をこづいたりお尻や頬を叩いたら、 「体罰だ」と騒ぐ親がいる。   こういう状況で皆さんだったらどう対処しますか?

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  • kevinkun
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回答No.15

#14です、朝は時間がなかったので簡単に書きすぎたように思うので、再度登場させてください。(#13様へ) 二人の娘が小さかったときの事です。 上の娘は慎重派というのか臆病というのか、3歳くらいのときでもコンセントに手をだしたりヒーターの送風口に手を出したり等、一度<危ないからメッ!よ>、と言っただけで二度ど触りませんでした。 反対に下の娘はだめよと言われると余計に手を出す子で、何度か口で言っても分からないときは、理解しなくても良いから二度ど触らせない意味で思い切り叩いた事があります。 危険だからです。分からなくても触ったら怒られると理解してくれればその時点ではOKだからです。 本気で怒っているのが分かると一切手を触れなくなりました。 二人の性格の違いを、今話して聞かせることが良くあります。 (もちろんどっちが良いとか悪いなどとは言いません) 小さい頃のエピソードとして色々話してあげると、二人で声を上げて大笑いです。 もちろん下の娘はそれが原因で私を恨んでいるなどありません。 こういった話にウンウンとうなずいてくれるお母さん、全世界でどの位いると思われます? それでも私は<子供に暴力・体罰を与える鬼のような母親>でしょうか? 私の娘も<暴力・体罰を受けて育ったから、そのうち人様に暴力をふるうように人間に育つ>と予言でもされるのでしょうか?

その他の回答 (17)

  • tetrarch
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回答No.18

塾の意義としては勉強をさせる所です。 しつけなど言っている時点で親の育児放棄です。 塾に入ることは、講師としては「勉強」を教える、生徒としては学ぶという契約が結ばれたと考えるべきです。 私の対処としては、このケースは、生徒側に契約違反があったわけで、この生徒を辞めさせればいいわけです。殴るなどは論外です。口頭で理解できない子供は、今までの人生(親など)がひどかったのだと思い、あきらめるだけです。高校生ともなると表面の修正はできても、根本の修正はできないと思う。    回答を見ていると、回答者どうしでの口論になっていますね。  コンセントとかが危険だと判断できない子供には、できる限り隠すなどの手を施して、目に入ること自体を減らします。親が危険だと分かっているものを近くに置いとく自体間違い。すくなくとも、子供より大人のが知能が上なのですから。

  • kevinkun
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回答No.17

質問者様 直接の回答から少し外れたところでこの場をお借りして、申し訳ありませんでした。 #16様 最後の投稿となります。 >でも、叩かなくても、親が真剣に危険だからだめだということを伝えるだけではだめだったのですか?叩かないとわからなかったのでしょうか? いるのです。そういった子は世の中にたくさんいます。 真剣に危ないからだめだと伝えるだけで聞くお子さんしか見た事のない#16様には、理解不可能なのでしょう。 そして、そういった子には<叩く>という事が必要という事、それが<暴力>だと決め付ける事しかできない方には、何を言っても無駄だという事が分かりました。 根本的にどこかが違うのでしょう。 父親だから、と言うだけではないようです。 #16様のお子さんも、お母様に手を出される事があるようす。 <理由の如何を問わず、親に暴力を振るわれた子は、さまざまな機会で暴力を正当化するようになるものと思います。> <自分が正しいと思えば、人を力で屈服させるようになるんです> <しんぼうが効かない子と言ってもいいでしょう。> という事なので、お子様が真っ当な人生を歩める事を祈ります。 暴力の再生産にならないように、という事も。 お付き合い頂きありがとうございました。

回答No.16

#14、#15様 「手をポンと」というのと「理解しなくても良いから二度ど触らせない意味で思い切り叩いた」はちょっと違うでしょうね。 でも、叩かなくても、親が真剣に危険だからだめだということを伝えるだけではだめだったのですか?叩かないとわからなかったのでしょうか? その点が得心いきません。 理由の如何を問わず、親に暴力を振るわれた子は、さまざまな機会で暴力を正当化するようになるものと思います。 やはり、これが私の見解ですし、せっかくのご意見いただきましたが、どう考えても自分がおかしいとは思えません。 9割以上のご家庭でこれが容認されているとしても、賛同できるものではありません。 どうしても、譲歩の余地はお互いなさそうです。 私のような考えの者もいることを知っておかれるだけでけっこうです。 ありがとうございました。

  • kevinkun
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回答No.14

再度回答させていただきます。 えーと、どういったら通じるのでしょうか? >手を叩いたりお尻を叩いたり等は小さいお子さんのいる家では、日本だけでなく世界中どこの国でもあってもおかしくない光景だと思います。 あくまで、<物心のつかない小さい子供>の事ですよ? 危険が分からず、コンセントの穴に指を挿そうとした。 母親が、危ないからいけませんよと手をポンと叩いた。 そういったレベルの話ですよ? 多くの家庭にありませんか? >これを体罰(暴力)というのなら、9割以上の子供は大きくなって人に暴力を振るうようになってしまいますね。 という話です。 その程度で暴力だ・体罰だと騒ぐ親がおかしいのではないか、と、言っているわけです。 それさえも体罰だと言い張るのでしたら、意見交換など難しいですね。

回答No.13

#5、#8さんへ 違うんですよ >9割以上の子供は大きくなって人に暴力を振るうようになってしまいますね 9割以上のそういうお子さんは直接の暴力を使うかどうかはともかくも、自分が正しいと思えば、人を力で屈服させるようになるんですよ。 しんぼうが効かない子と言ってもいいでしょう。 人に、その行動の非違をきちんと教えて、本当の反省を求めることは本当に手間がかかってたいへんなことです。 でも、手間がかかっても、本当に相手の認識を変えることこそ大切です。 暴力や職位上の立場などで、表面的にその場で相手を従わせても、本当の相手の向上には役に立つわけもないでしょう。 卑怯者を育てているだけではないですか? 我が家には、さまざまな国からさまざまな信仰の方がホームステイにいらっしゃいますが、いずれにせよきちんとしたご家庭のご子弟で体罰を受けていた方なんて皆無ですが。 結局、口ではきちんと指導できない者が安易に選択するのが体罰ですね。 とりあえずおとなしくさせるために暴力なんて野生動物以下のレベルですね。 正当化はやめて反省をしてください。

  • happyaa
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回答No.12

力のある大学生や高校生だったら、まだしも、相手は小学生だったら、暴力を振るうのは卑怯ですよ。 軽くぽかっという程度ならいいですけど、力の差があるのに、意図も簡単に大人の権力で手をあげるのは大変卑怯です。 実力のある教師は、手をあげなくとも子どもを納得させる教育力をもっています。 つまり、手をあげるということは力量がないということです。 人間だれだって最初っからプロにはなれない、子どもに対して手をあげることは誰しもあると思います。 でも、そのあと、 ・あれは子どもが悪かったから私が手をあげたのも仕方なかった と考えるか ・ほかのやり方はなかったのだろうか?本当にあのやり方しかなかったのだろうか、 と悩むかでは、その後の力量が大きく変わると思います。 ちなみにわたしは、大人が本気で子どもをぶっても犯罪にならないのに、どうして子どもが木刀をもって大人を叩くと犯罪になるのか!と思っています。

  • marine55
  • ベストアンサー率11% (2/17)
回答No.11

我が家の11歳になる娘に体罰を行った事はありません。 boukenohさん同様、言葉で諭してきました。 物事を論理的に捉えることが出来る娘になったと思っています。 娘の学校でも、授業参観などの行事で騒いだり、お友達に意地悪をしたりするお子さんを何人か見かけます。その後、廊下でその子のご両親が頭を小突いたりされています。「諭すことなく」です。 私の見ている範囲では、いきなり小突いたり、怒鳴ったりされるご両親のお子さんは、問題行動が多いように感じられるのですが・・・。 私自身、母親から体罰を受けて育ちました。しかし、結局、体罰で教えられたことには『叩かれるのが怖くて止めた』であり、『悪い事と理解して止めた』訳ではありませんでした。色々な経験や知識、人間関係によって学んで行った様に思います。 私の育った時代(ベビーブームです)では、体罰を容認する風潮もありましたので、母親は疑問すら持っていなかったようですが、私の子育てを見て「私もそんなふうに育てる事が出来ればよかったのに・・・」とつぶやいた事があります。 その言葉を聞いた時、過去の体罰での母親への感情で、胸が苦しくなった覚えがあります。 そういう時代でしたので、学校でも体罰が日常的に行われていました。 同じ教師に張り手をされ、2回も鼓膜を破られた友人もいます。その教師には処分もなく、別の生徒にも同じように手を上げては怪我を負わせていました。 極端な例かも知れません。しかし、体罰をどこのラインで『冷静な(或いは愛情からの)体罰』と『感情にまかせた(或いはストレスのはけ口)体罰』と線引きが出来るのでしょうか。 聖職と言われる教師の犯罪が新聞で賑わっています。悪質なものも多数ありますよね。こんな世の中で、体罰という“解決手段”を安易に与える事は避けたいと私は思います。 また、子供達にはせっかく今から伸びて行く“頭脳”を大切にして、物事を頭で考えて、言葉で表現できる大人になって欲しいと思います。

回答No.10

#3、#6、#7です。 一部、繰り返しになりますが、ご容赦くださいませ。 我が家の小1の娘は、私同様、叩かれたことはないはずですが、それで何ら問題はまだ起きていません。 言葉では叱ることもありますが、そのこと自体、めったにないことですので、その叱り方で娘は学んでいると見られます。 絶対にいけないことをしたときですから。 たとえ、軽くではあっても、暴力の形で子供を従わせることは、力の強いものが勝ちというおかしな社会観を作るものではないでしょうか? 最後は最強の軍隊で鎮圧する論理ではありませんか? 大人の言うことに表面上は従い、本当に弱くて助けなくてはいけないものへの愛情が育つようには思えませんね。 暴力は思考停止ですから。 そういう従順な子育ての方針家庭で育った子は、がんばっても中間管理職どまりのつらい人生を送る危惧まで感じてしまいます。 日本がまた戦争をやる国造りには模範生かもしれませんね。

回答No.9

No.2です。ご質問を頂いたのでお答えします。 >“何度も同じことを言わせるようなら殴る”と何度も忠告したにも関わらず同じことを繰り返すというのは、何故起こってしまうのでしょうか?最近の子供は大人を見下す傾向にあるのでしょうか? →最近の子供は、ではないと思います。中高生の特徴的行動であり、それをたしなめられるか?が指導者の力量に掛かっていますね。 「何度も同じことを言わせるようなら殴る」という宣言自体が間違ってるという持論です。それじゃあ「やれるものならやってみろ」と思われるのも仕方がありません。   >何度も言葉で言っても解らない子供に、手をあげずにうまく言い聞かせるにはどうしたらいいと思われますか?ご教授願えると幸いです。 →私は指導者ではなく、一親・一保護者としての考えです。 言い聞かせようとはしません。何度言っても解らない相手には逆に質問をします。相手に考えさせます。 この場合なら「キミはここをどういう場所だと考えている?」生徒は勉強以外の事で質問される事に慣れていません。質問されるとたじろぎます。大体は最初の質問で悪い行動は止めます。屁理屈の返事が返ってきたら、「じゃあ何故そう思う?」と更に質問を続けます。 こういう会話は最終的には屁理屈が利かなくなり、非を認めか逆切れするしかなくなります。私だったら逆切れされても質問を続けますけれど。実際に自分の子供にそうしました。 これはあくまでも私のやり方なので、正解はないし、誰にでも効果があるかどうかは判りません。 とりあえず私の周囲の子たちは、そのやり方で反省してくれていますが。 表題の質問の最終的な回答をしていなかった事に、書き込みをしてから気がつきました。 その立場になってみないと、ここで書いても模範解答にしかならず、実際とは違うかも知れない事をことわって。 軽い一発で本人が反省していて自分から事情を話したらそれで終わり。でも子供が悪くても酷い怪我をしていたら、やっぱり抗議はすると思います。体罰にも限度があるでしょう。流石に警察に通報はしませんけれど。 多少の体罰教育をする先生である事を学校(経営側)が知っていて肯定してたとしても、病院へ行かなければならない程の怪我する体罰はしてはいけないし、その事を経営側が知らないままなのも良くないと思いますから。

  • kevinkun
  • ベストアンサー率9% (53/551)
回答No.8

#5です お礼ありがとうございました。 ちょっと言葉が足りなかったようで(意見交換ということで)再度投稿します。 >言葉で諭して分かる子と、(愛情を持って真剣に)叩かれて分かる子と、子供も様々です。 これは子供が小さいうちの事です。 少なくとも小学校高学年になってからは、叩いた事はありません。 話せば分かりますから。 中学生の今は私に似ず、争いごとの嫌いな穏やかな娘に育っています。 危ない事かどうか3~4歳でも言い聞かせて分かる子もいるし、とりあえず止めさせるために叩かなければいけない場合も、という意味です。 手を叩いたりお尻を叩いたり等は小さいお子さんのいる家では、日本だけでなく世界中どこの国でもあってもおかしくない光景だと思います。 これを体罰(暴力)というのなら、9割以上の子供は大きくなって人に暴力を振るうようになってしまいますね。 こういった躾と、自分の感情で子供に暴力を振るう事を同じレベルで考える人がちょっと違うのではないのかと書いたわけです。 >頭をこづいたりお尻や頬を叩いたら、「体罰だ」と騒ぐ親がいる。 そういった親が >精神的に健やかに歩んでこなかった人ではないのかな と思ったわけで。 日常的に躾ではなく暴力を振るわれて大きくなった子は、どんな愛情をもって叩かれたとしても暴力としか捉えられないという事はあると思いますが。

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