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希望とは?

memorunetの回答

  • memorunet
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回答No.2

私も20代の中盤で絶望という状態に陥りました。 一ヶ月先がどうなっているのかさえ全く予測できない状態。 絶望すれば人間、死ぬことを考えますよね。 ところが死ぬのもなかなか難しいというか・・・ 自殺も未遂に終わりついに死にきれませんでした。 こうなると絶望よりもすでに何も感じなかったように記憶しています。 死ねない、生きるしかないと開き直って就職活動を始めたときは、まさに毎日が「無我夢中」 絶対なのは「無」かもしれないと思うのですが・・・・

maddog
質問者

お礼

心中お察し致します。 私も不運には恵まれており、自殺には事欠きませんでした。 なるほど、確かに心理学では、人間の心が陥る最終形態は「虚無」であると言われています。 こうなると中々自分で這い上がるのは難しく、復帰できたmemorunet様は、さぞ苦労されたかと思います。 個人的には「無」とは絶望による結果と存じております。 「無」からは逆に、心のリセットによる何かを生み出す空白作用があり、絶望的側面ばかりではないというのが自論であります。 恐らく、「死」による「恐怖」が、そこに至る為のストッパーではないか?というのが私の考えです。 しかしながら、絶望はその死による恐怖さえ超越してしまい、これに拮抗できるのが唯一「希望」ではないか?というのが私の結論だったのですが、どうもそうではないようで…。 そもそも、希望が無い状態が絶望でして…ブツブツ 興味深い御意見、実に有難う御座います。

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