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「芸がある」 「芸がない」とは?

ここ最近はお笑いブームですが、中年~高齢の人たちがよく「最近の芸人には芸がない」と若いお笑い芸人を批判する姿を見かけます。少し前ではダウンタウンがこの手の批判をよく受けていた気がします。 正月のお笑い特番で、若手からベテランまで多くの芸人を見て、どちらも面白かったのですが、「芸がある」「芸がない」の違いを感じることは出来ませんでした。むしろ個人的には若手芸人の方が個人的には面白かった感じさえします。 お笑いの世界における「芸がある」「芸がない」とはいったいどのようなことなのでしょうか。素人にも分かりやすくお答えいただけたら幸いです。

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  • ベストアンサー
  • patofu
  • ベストアンサー率23% (137/591)
回答No.3

まず、芸とは普通の人がそう簡単に出来ないものと承知してください。 お笑いブームに乗って出てきたような芸人はまだそういう芸がないということです。 彼らがやっているコントを例に取りますと、奇怪な動き・奇抜な発言を除けば何が残っているのでしょう? 最初の設定からなんの進展も見せないストーリー、なにかわけの分からないまま終わって全く落ちていない。 話で言うと、起承転結のうち、起承しかないものが多くあります。 若い人には面白いかと思いますが、芸としては成り立っていません。 子供が変な言葉でも笑うように、若い世代も奇抜なだけで笑います。ですが、いろいろ観てきた人にとってはそれで物足りないのです。 漫才も基本的に同じことが言えます。 しかし、コントと違い自由度が少ないので、よりしっかりネタが練られているのが分かります。 だから、漫才師という言葉あります。コント師なんて言葉はまだありませんしね。 ですが、まだ結の部分が弱いと感じるところがあります。 ベテランのように上手い落とし方が出来ていません。 この時の上手い落とし方というのは、 最初の設定やボケに絡めて、多くの人が予想しながらもそれより一枚上のオチということになろうかと思います。 これが出来て初めて、全体の構成が出来たといえるのです。 また、一発芸的なことをしている人は典型的な奇抜系です。 そのギャグをとったら何が残るのか? それを考え付いたことは認めますが、それが受けるかどうかなんてバクチ以外の何物でもありません。 それに頼る芸人は芸が有るのではなく、運が有るだけということになります。 また、そんなギャグは一通り浸透したら他人が面白おかしく真似して使います。 そうなってしまってはお終い。価値はありません。本人がしなくても、誰でも出来る。悲しいかな後は消えていくのみです。 最近でも消えていった芸人(ダンディ坂野・テツトモなど)を今でも面白いと思いますか? 他人に出来ないことが出来ると思いますか? コント・漫才からはなれて、司会をする芸人がいます。 喋りが出来る分、転向しやすいです。 しかし、これも芸がいることです。 他人に話をふる技術、その話を広げる技術、大物の話を邪魔しない技術、つまった時にフォローする技術。 ダウンタウンは、人と違った感性を持っているといわれます。 それを素晴らしいとする一方、多くの人に分からない笑いなど存在価値なんてありません。 私はそう思っていますから、ガキの使いなどは見ません。しかしMCとしての技術は一級品と思っています。 これも立派な芸です。 テレビを見て面白く思うのは、笑い声が聞こえてくるから、おかしく思えるだけです。 もし、お笑い番組で、周りの笑いの効果音がなければ、たぶん笑えませんよ。

その他の回答 (2)

  • a375
  • ベストアンサー率30% (439/1421)
回答No.2

むつかしい問題ですね。「芸」が何をさすかそれぞれ見方によります。漫才なら例えば三味線が弾けるだけでなく曲引きも出来たり、声が良くてその道の人さえ凌ぐような力を備えている。落語家なら座ったままで日舞をしたり、小唄、端唄、長唄、新内がプロ並みにこなせるといったこともそうでしょう。いわば素人ではまねできないものをもっていることとも取れます。しかし、単にしゃべくり漫才でもやり取りに絶妙の「間」をもつことも大きな芸でといえます。昔あった漫談(綾小路きみまろの、ような)が殆ど姿を消した状態の中で(さんま、伸介、など)バラェテー番組の司会で座談を裁く力も「芸」とみていいとと思います。>中年~高齢の人たちがよく「最近の芸人には芸がない」と若いお笑い芸人を批判する姿を見かけます。 此れは昔の芸人さんをたくさん見て大変目が肥えているのです。私も今人気の若い方々のコンクールなどまず見ません。なぜか?とても昔なら人前でやるような状態でないのがわかるのです。いわゆる「芸がない」と言うことになるのです。しかし今は若い方々がそのような芸でもよいとされていますのでそれはそれで「芸」として成立しているのでしょう。さりながら消耗度合いはすざましものがあることも否めません。TV側としても芸能会社としてもロウコストで賄えますので重宝なことと思います。もう一つ最近芸人さんが(内弟子)を余り取らなくなったことも「芸」がないとされる一つの原因でしょう。師匠に5年10年と仕えて「芸」を自然と身につけるほど本人も世間もそれを許すほどの時間を与えてくれません。又これほど大勢の若い方々が「笑いブーム」に殺到することは異常なことです。で、学芸会の続きのような「芸」でなく単なる「ネタ」を見せられることにより中高年はくい足らず、「芸」がないの批判となるのです。 テレビのおかげでたくさんの人に見てもらえるようになりましたが、自分の力になるかどうかは疑問です。小屋で見巧者に笑ってもらって初めて一人前という古典的な方法で世に出ることを今一度若い芸人さんに顧みていただきたいなと思っています。

回答No.1

私が思うに、この場合の芸の有無は面白いか面白くないかではなく多分、落語や昔の漫談師のように韻を踏んでいたり時事ネタを取り入れた古典芸能的な芸ではないでしょうか? 実際少し前にNHK?でやっていた番組では笑点のような形式で新旧の漫才師(スピードワゴンやいま・いくよくるよ他にもいたけど忘れました)と若手落語家の方たちが出演していましたが漫才師の方たちはスベリまくって散々な結果でした、そういう意味では芸が無いと言えるのではないでしょうか。

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