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寺山修司のことば
寺山修司の名言集を読んでいたらこんな言葉が出てきました。 「ぼくのなかで海が死ぬとき、ぼくははじめて人を愛することが出来るだろう」 なんとなく気になる言葉なのですが、意味がさっぱりわかりません。どんな意味なのかご存知の方がいましたら教えていただきたいのですが。
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- 24blackbirds
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マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや 修司を代表する短歌の一つです。絶望や疎外感を感じませんか? ちなみに修司は愛する母・寺山ハツを作品の中で罵倒し続けたことで知られています。創作の中で何度も殺していさえします。愛は苦痛だったのでしょうか? 実際にはお母さまは修司より長生きし、修司の思い出をつづる「母の蛍」という本を書いています。修司の元嫁も「不思議の国のムッシュ」という修司を回想する本を書いており、これら相互の中で嫁姑相互に罵倒しまくっています。逃げ出して、海の所為にしたくなる気持ちもわからなくもない、などと書くと彼の文学的価値を下げてしまうのでしょうか?。 フランス語では母の中に海があり、漢字では海の中に母があります。
こんばんは。 私は今日『誰か故郷を想はざる』を読んでいたのですが、彼の言葉の中には多種の比喩が含まれていて、前後の文脈によってまったく違うところ(凡人には思いつかないような場所から)鮮やかに言葉の表現というものを取り寄せて、掴み、比喩という形で文字にしている気がしました。当時は「オピニオン・リーダー」と賞されていたそうですね・・・。 『誰か故郷を想はざる』は(彼曰く)"自叙伝らしくない"自叙伝なのですが、深く意味を突き詰めて読むと、ものすごく集中力が要る程(単にわたしの文脈読解力が足りないだけなのかもしれないという話もありますが(;--))、ただ思うのは、短編集を読んだ上では「それ単体では(前後の文脈無くして)独立した文章は、独立し得るけれどその文の持つ意味と魅力は半減される」ということです。 ぼくのなかで海が死ぬとき、 ぼくははじめて人を愛することが出来るだろう わたし的には、「海」は彼にとって彼を「支えているもの(諸々のもの)」のようである気がします。 それは「孤独」というのでしょうか。良い意味での孤独です。「孤独」は人を死なすのではなく、人を生かす孤独です。 そしてその「孤独」が死ぬとき、彼は自分という温かい殻を抜け出し、初めて人を愛することが出来るだろう、と言ったのではないでしょうか、、、。 あくまで想像ですが・・(;--)。 ということは彼は「孤独」を愛しており手放せなかったのだと思います。
- nisi_ki
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『寺山修二少女詩集』の中に なみだは にんげんのつくることのできる 一ばん小さな 海です という詩があります。 これから考えると海とは涙のことではないでしょうか? 涙は悲しみ代名詞ですよね。 ぼくのなかで海が死ぬとき=悲しみから解放される時 に繋がるような気がします。 寺山修二の作品は、詩というよりも短編の物語のようであると思います。 言葉の向こう側に、不思議な世界が広がっていますよね。 どこか異国の雰囲気が漂います。 美しい。 繊細。 孤独。 淫靡。 罪深い。 儚い。 死。 そして愛を求めている。 そんな気がします。
- biwako1215
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逆巻く海に翻弄される自分 そして、自分自身を見失っている自分、 自我の桎梏に閉じこめられている自分、 そういった自己をがんじがらめにしている状況から 脱して、無垢の自分に立ち返って、 初めて人を愛することができる。