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三木一草

建武の新政のもと、千種忠顕、結城親光、楠木正成、名和長年の4人を合わせて三木一草と呼ばれていましたが、何故、三木一草なのでしょうか? 木は楠(木)、草は千種(千草)で分かるのですが、他の二人は?

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回答No.1

名和は伯耆守(ほうきのかみ)だった事から 伯耆のきと結城のき

jinchanda
質問者

お礼

伯耆守の「き」だったんですね・・・・ 結城はもしかしたらとは思っていたのですが・・・ ちっとも「木」とは関係なかったのですね・・・・

その他の回答 (2)

回答No.3

三木一草(三つの「き」と一つの「草」) 結城親光、楠木正成、名和長年、千種忠顕の4人のことですが、 *三つの「木」は、三つの「き」 ゆうき親光の「き」、くすのき正成の「き」、名和は伯耆守(ほうきのかみ)だった事から、ほうきの「き」。 *一つの「草」は、一つの「くさ」 これは、ちぐさ忠顕の「くさ」 ということです。

jinchanda
質問者

お礼

千種は千草の別表記なのですぐわかったのですが http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C0%E9%C1%F0&kind=jn&mode=0&type=stick 結城と名和伯耆守の「き」は、ちっとも「木」とは関係ない字なのに「木」にしたのだろうか?ただ単に「草」と関連つけただけなんでしょうかねぇ。

  • tatsumi01
  • ベストアンサー率30% (976/3185)
回答No.2

結城は「ゆうき」の「き」でしょう。 名和は「伯●(ほうき)」の領主だったと思います。 ●は「嗜」の旁ですが、JISでは出ません。「ほうき」は鳥取県の西部。

jinchanda
質問者

お礼

伯耆(ほうき)でちゃんと変換できますよ。 結城の「き」はもしかしたらと感じていたのですが、伯耆の「き」とは、まったく気が付きませんでした。

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