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ナポレオンは何故死刑にならなかった?

ブレイブ(@bravest)の回答

回答No.3

マクロな視点でみると当時のヨーロッパの君主制は危機に瀕していました。 共和化、民主化の波が押し寄せていたのです。 昔は聖書を読めるのはカトリック系聖職者や貴族階級に限定されていましたが、活版印刷の普及によって聖書が大衆の目に触れる機会が増えてきました。 聖書が普及してなかった頃は王侯貴族や教会といった支配者層が聖書の内容を自分たちに都合のいいように曲解して王権神授説などを打ち立てましたが、民間の知識層や聖書を研究する機会が出来た事により、王権神授などの矛盾や欺瞞が表面化します。 それがプロテスタントを生み出すのですが、アメリカという王侯貴族のいない辺境が独立した事で多くのプロテスタントが新天地に集結して勢力を増すのです。 そういった大局的な流れの中でフランスでは民衆の不満とあいまってフランス革命が勃発するのですが、この革命は知識層と富裕層と一般民衆の意識の乖離によって頓挫してしまいます。 その中で台頭したのがナポレオンであり、欧州の諸王室にしてみればナポレオンとは「王権を脅かす民主化の波を歯止めをかけた成り上がり」なのです。 そのナポレオンを死刑にしてしまっては、ナポレオンの業績を否定する事になります。 即ち、ナポレオンを生かすことで、民主化を否定するという態度をヨーロッパの王室は選んだのです。 ナポレオンを王として遇する事で、フランス革命そのものを完全否定したのです。 つまり、ヨーロッパの王室にとってナポレオンの軍事力よりも、民衆革命の方が脅威であったという事です。 そう感じる事事態が王権の凋落を物語っているのは皮肉なのですけどね。

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