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日本人の視線
今、色んな国の人が大勢集まるところへ参加しています。 時々言われるのが、「どうして日本人はすれ違いざまに、じろじろこちらを見るのか?」と聞かれます。 実は、海外にいく毎に私も自覚するのですが、確かに日本人らしき人は、こちらをチェックしてきます。そして自分もそうだなって気がつきます。 ほかのアジア人らしき人は、決してこちらをみることなくすれ違います。 そうやって意識してみると、特に日本の女性は、よくよくこちらを見てるなあと感じます。特に女性→女性をよく見てると思います。 これはなぜだ?と聞かれるのですがなぜでしょうか?
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昔私もあまり他人を気にしていなかった時期があるのでわかるんですが、他人と言う者を意識しないで、自分の中の法則にのみしたがって行動すると、他人を気にする意味がありませんから、まっすぐと前しか見ない状態になります。 逆に他人との関係を重んじている人間は、他人をチェックして確認する必要性が出てきます。結果習慣的に人を見る癖がつくのです。 アメリカの会社員などは、「何時から会議で、何時からミーティングで」と計画が分刻みにあり、移動中も「次の会議ではこういう風に喋る」などといったことを考えているのですから、他人なんかに構っている暇などあるわけないのです。頭の中に他人が入る余地がありません。 日本人の特に女性は、他人とのコミュニケーションの中に自分を置いているのですから、他人を見て、怪しい人物なら切り捨てる、そうでないなら、どういう人間か確認して頼れる分だけ頼る、そのための情報収集を怠るわけには行かないわけです。何度もそういう理由で人を見ているうちに習慣的に人を見る癖がつくのでしょう。 そういう生活習慣の元、人を見る癖がつくかつかないかが分かれるんだと思います。 ちなみにアジアと日本の違いですが、日本が島国であると言うところに大きな依拠があるのではないでしょうか。島国と言うことは、「表立って戦えば皆仲良く他国に襲われて沈没する」ことを意味するので、相手との(少なくとも表面上の)争いはなるべく避けたいのでしょう。逆に大陸は、「相手が嫌いなら別の場所に逃げる」と言うことが可能です。ですから「排除したければ排除しても自分は困らないし、相手も大した抵抗をしないで出て行く」という意識も持ち合わせているのでしょう。したがって日本のほうが他人の目を気にすることに価値を置くことになるのだと思います。嫌な他人から逃げられないことが他人を気にする大きな要因となりえているのではないでしょうか。少なくとも、「私の居場所はここしかない、ここで上手くいかなかったら他でも上手くはいかない」といった具合のことを考えているのは確かだと思いますが。
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- hakobulu
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◇ 未熟さの現われではないでしょうか。 自分というもの、人間というものをグローバルに捉える視点が他人種より劣っているのでしょう。 絶対的な個の確立などは考えたこともないし、あくまで相対的評価だけが重要なのだと思います。 行動の規範が「どう見られるか」ということにしかなく、結果として「自分はこう思う」という意見を述べ自主的判断をするのが苦手な民族のような気がします。 また、それが「和」を保つために必要だと信じ込んでしまっているわけです。 和は人のためにあるのですが、和のために人が犠牲になるのは当り前だと思わざるをえない思考形態につながっています。 むろん、これは「イラショナルビリーフ(不合理な思い込み)」の一種であって、ディベートなどが苦手(あるいはその必要性を認識する度合いが低い)などということとも通底しているでしょう。 ◇ 端的に言うと「私は私」という自信に乏しい、あるいはそのような環境下に育ってきたということです。 「誰かがいてこその私」ということになりますから、その誰かが「どんな人なのか」を確認しないと自分自身も成立しないわけで、それが不安になるのだろうと思います。 尤も、海外という状況で同じ日本人を注視するのは、「異国を訪れている同胞同士」という連帯感と好奇心が加わるようにも思われます。 女性にその傾向が強いのは、偏見の謗りを覚悟で述べれば、やはり自立心の低い人や依存心の強い人には、統計的に見て女性の方が多いという事実があるのではないかと推測する次第です。
お礼
非常に参考になりました。 なるほどだな~と思い読ませていただきました。 >「私は私」という自信に乏しい そうですね。そう思います。もともと日本人は人を気にしすぎますね。 >その誰かが「どんな人なのか」を確認しないと自分自身も成立しない 分かりやすく説明してくださって嬉しいです。まさにそのとおりですね。周囲を確認して、そこにある自分を見るわけですね。なるほど。 確かに、女性の方が依存心は強いですね。それは私も思います。 大変参考になりました。 ありがとうございます。
面白い質問ですね。↓から上ってきました。全然根拠なしです。 ボケーって歩いていたら、中国系アメリカ人に声をかけられたことがあります。 パーソナルスペースを侵されるかどうか見極めの距離がたまたま視線の合う距離(≒すれ違う距離?)に当たるんじゃないでしょうか。しかも、日本にはキスしたり抱き合ったりする風習がない分、パーソナルスペースを侵されることに対する警戒が大きいかもしれません。女性の方が警戒心が大きいのはなんとなくあり得そうな気がします。おまけに、一般的に日本人は外国語を得意としないし、香りで自分を主張する風習もないし、耳や鼻からの情報はあまり頼らず目からの情報を重視することになるのではないでしょうか。結果「なんでじろじろ見るんだ」ってことかなと想像します。 女性ー女性についてはよく分かりませんが。視線を向けた時点で他の情報も一緒に入って来て、「おしゃれ」とか「その逆」など感じてしまうと見る時間が長くなるのかも知れません。
お礼
ありがとうございます。 >パーソナルスペースを侵されるかどうか見極めの距離がたまたま視線の合う距離 なるほど。そういわれてみればそうですね。自分もそう感じます。 女性の場合の「おしゃれ」「その逆」で見てしまうというのも同感します。 参考になりました。
- t78abyrf9c
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キーワードは「世間の目」でしょう。 http://d.hatena.ne.jp/dice-x/20050824 http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002046.html
お礼
ありがとうございます。 内容が私には難しかったのですが、だいたい言わんとすることはよく分かりました。そうですね。この「世間の目」がおるみたいですね。 大変参考になりました。 URLありがとうございます。
- jyamamoto
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もしそういう国民性があるとすれば、日本人の「ムラ意識」(帰属意識)の表れかも知れませんね・・・。 日本人は、よく「村意識」と言って、「気心の知れた集団」の中に帰属していると安心感を抱くと言われてきました。その関係で、自然に相手が自分の「ムラ」にとってどういう人なのか(仲間なのか、敵なのか) 見極めようとする癖がついているのかも知れませんね。
お礼
ありがとうございます。 なるほど。「村意識」ですね。 そうですね、どういう人なのか??って意識があるでしょうね。 また、その意識が強いのかもしれませんね。 参考になりました。
お礼
ありがとうございます。 生活習慣によって、「癖」がつくんですね。 確かに、、「癖」というかんじですね。 島国日本はもともと古来からこんな傾向だったのかもしれませんね。 大変参考人なりました。