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「ひなたぼっこ」の『ぼっこ』の意味って?

starfloraの回答

  • starflora
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回答No.3

    「日向ぼっこ」で検索すると、色々なサイトがヒットするので、色々な説が紹介されているのだと思いますが、わたしは少し違う意味が込められているのではないかと思います。古語辞典でひくと、「日向誇り(する)」という動詞で、「日向ぼっこ」と出ており、出典が、今昔物語ですから、古くからあった言葉だと思います。     しかし、検索で調べても確実には出てこないのですが、「日向ぼっこ」以外に、「影ぼっこ」「雪ぼっこ」「座敷ぼっこ」などもあるはずなのです。影ぼっこと雪ぼっこは検索で出てきますが、どうも、誰かの造語のようです。しかし、「座敷ぼっこ」は、座敷わらしと同じはずですが、これはあるようです。     影ぼっこも雪ぼっこも言葉としてあると思ったのですが、ないようなのですが、しかし、やはりあるのではないかと思います。     この場合、「ぼっこ」の意味は、おそらく「ひとりぼっち」の場合の「一人法師」と同じで、起源的に「法師」で、それが、「ぼっち」から「ぼっこ」となり、「子ども」の意味が出てきたのではないかと思います。ただし、妖怪というのか、何か霊的な民俗的なイメージの子どもです。(または、「おぼこ」という言葉がありますが、「おぼこい子」で「ぼっこ」なのかも知れません。無邪気な童心の妖怪・神のイメージです)。     「雪ぼっこ」は、雪のなかにいる、子どもの姿の妖怪または妖精で、子どもと遊ぶのです。     「影ぼっこ」は、「影法師」と同じだと思うのですが、自分の影にひそむ何かの妖怪、霊的な存在で、それも子どもです。子どもにとって、自分の影は、もう一人の子どもに思え、不思議な妖怪=子どもに思えるのでしょう。     「座敷ぼっこ」は、座敷わらしと同じで、家に住みつき、子どもなどの目には見える、家に幸運をもたらすとかいう、子どもの姿の妖怪です。     「日向ぼっこ」は、仲良く日の光を浴びている姿が、子どもの妖怪が並んでいるようにも印象されます。あるいは、日向ぼっこをしていると、何時の間にか、知らない子どもも一緒に日向ぼっこをしていて、後から、あの子どもは誰かというと、誰か分からない、実は日向に現れる妖怪だったという話です。     「ぼっこ」というのは、「ほこほこ」して気持ち良いので、「日向ぼっこ」なのかも知れませんが、何故「ほこほこ」が気持ちいいことなのかという疑問も湧きます。(「ほこほこ」は「ほかほか」の変形かも知れませんが、「日向ぼっこ」にだけ目を向けるのではなく、「ぼっこ」をそれとして意味を考えると、色々、意味深長な言葉だとも思うのです)。     言語の語源的解釈もありますが、こういう場合、後からの意味付け、解釈付けも意味を持っています(民俗的な意味が、かなり重要な気がするのです)。「何ぼっこして遊ぼうか?」というような言い方があるような気がします。「鬼ごっこ」の間違いではないかとも思うのですが、「ごっこ」と「ぼっこ」と何か関係があるような気がします(勝手にそう思っているだけかも知れませんが、そういう「感じ」を他の人も感じるようなら、こういう感じには、一種の民俗的というか、古い心の深層の真理に迫るような、共同無意識の像が隠れているとも思えるのです)。     「ぼっこ」は先に云ったように、民俗的な妖怪または、子どもの姿をした神なのかも知れません。そういう意味から、「日向ぼっこ」の意味も読み解けるような気がします。  

RINGO1017
質問者

お礼

なるほど、アリガトウゴザイマス。 確かに、「ぼっこ」というと子供的なイメージがありますね。 納得です。 それにしても、こんな風に言葉のルーツを探るのは本当に楽しいですね。 学生のあいだにもっと研究すればよかったです・・・まったく・・・

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