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日本古代の葬送

日本古代における火葬の始まりが意味するものは何か?古代は土葬が当たり前であり朝鮮半島から火葬をする文化が伝わってきたそうです。自分的には宗教観の変化かなと思うんですが…

みんなの回答

  • sekai_s2
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.5

火葬の始まりが意味するものは、畿内大和への仏教の普及とヤマト王権の成立です。 大化2年(×646年→○696年)に出された薄葬令(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3#.E8.96.84.E8.91.AC.E4.BB.A4)により 僧侶では700年4月3日に道昭(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%98%AD)が 天皇では大宝2年12月22日(703年1月13日)に持統天皇(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E7%B5%B1%E5%A4%A9%E7%9A%87)が火葬されたのが、畿内大和での火葬の始まり しかし、仏教が早くから伝来したいた九州ではもっと早くから火葬が行われていたと考えられます。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC
noname#22268
noname#22268
回答No.4

敢えて異見を唱える。古来人々は日月星の何れかを主として、其の主の巡りに従い、其の主の動きを暦として暮らしました。ですから人が死去すれば其の魂を主の元へ送り届けようと言う優しさがあった。 世界中が土葬でした。肉体だけは元の土に返そうとしたのです。所が寒冷地は凍結していて掘れないので荼毘に付して魂と共に肉体も煙に載せて星の元へ届けようとした。インドは灰をガンジス川に流しました。 聖なる川が、やがて月のみ元へ運んでくれると信じたからです。でも日本では土葬が続いた。 しかし葬祭を簡単にして合理的にして、其の分、快楽に生活しようとした渡来人たちが日本を変えました。其の結果において、やがて苦しみと戦争の多い時代にしました。

  • WOcWOc
  • ベストアンサー率66% (4/6)
回答No.3

火葬の始まりが意味するものは仏教の普及だと思います。 でも、火葬自体はなかなか受入れられなかったようですね。 日本で最初に火葬したのは、記録では仏僧の道昭が最初で、 道昭は唐で三蔵法師玄奘(西遊記で有名)の門下だった人なので、 朝鮮半島経由ではないと私は思いますが、 それ以前からぽつりぽつりと仏教は半島経由でも入っていますから、 記録にない火葬はあったかも知れませんね。 当時、火葬は完璧に仏教儀式で、価値観的にとんでもない葬儀でしたから、 宗教観の大変化だと私も思いますが、 当時の葬儀式だった、遺体が白骨化するまで祭っておく方法は 臭くてたまらないという事情もあったようです。 ただし、朝廷でも仏教に帰依した持統天皇は火葬にしましたし、 皇族や貴族の間にも広まりはしましたが、 当然ながら支配階級だけの特別なものでした。 日本人のほとんどは、時代によって火葬が流行ることはあっても、 基本的に昭和になるまで土葬です。 鎌倉時代の記録には、農民が火葬を嫌がったので、 仏僧が無理強いするのを諦めた話もあるようです。 説得してもだめだったとは、仏教もどこまで信じられていたのやら(笑) 仏教は平安時代には庶民の間に広まっていますから、 推測ですが、以後もずっと一部の人の特別な儀式だったのではないかと思います。 天皇の火葬塚は沢山ありますが、徳川家代々でも土葬ですし。

noname#24872
noname#24872
回答No.2

日本における火葬は七世紀末、僧侶の間で始まりましたが、一般に広がるきっかけとなったのは、持統天皇が火葬により埋葬されたことです。 当時、貴人の葬儀には、殯(もがり)を行う風習がありました。つまり遺体を白骨化するまで殯宮(もがりのみや)と呼ばれる別室に安置し、その間何度も供膳、歌舞などの儀式を行い、最後にお骨を盛大な葬儀で墓に埋葬するのです。当然数ヶ月~数年の長い期間と莫大な費用がかかりました。これは豪族が巨大な墳墓を建造していた古墳時代の名残なのです。 結局葬儀にかかる費用は、領民への増税で賄われました。しかし火葬なら遺体はすぐお骨になるため殯の必要は無く、葬儀にかかる費用は少なくて済みます。持統天皇が火葬を希望されたのは、熱心に仏教を信仰していたことのほかに、646年に制定された大化の薄葬令に従ったという意味もあります。つまり、無駄な出費を抑えて領民の負担を軽くしようとする儒教的徳治思想に基づいていました。 古墳時代から続く殯の風習がいかに強いものであったかは、持統天皇でさえ一年の殯のあとで荼毘にふされたことからもわかります。しかし火葬が次第に広まっていくにつれて、殯の風習も廃れていきました。つまり火葬の始まりは、古墳時代が完全に終焉し新しい時代が到来したことを、広く世に知らしめることにもなったのです。

  • tamm
  • ベストアンサー率50% (14/28)
回答No.1

仏教の伝来により、宗教観の変化もあると思いますが、もっと現実的な問題があったかもしれませんね。 もともと土葬は、腐臭・腐敗や伝染病など衛生的に難があり、その点、火葬はそういった問題も解決してくれます。 それに、土葬ですと葬送場所(古墳・石室など)にスペースをとりますが、火葬すると不謹慎な言い方ですが、省スペースになり、現在のような同じ墓に追葬することもできます。 しかし、火葬は経済的な負担もおおいため、普及は遅かったようです。

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