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教えていただきたいです。
現在の、岐阜市の下川手(昔は「下革手」と表記していたみたいです)にあったお城“革手城”の城名の由来は何なのでしょうか? また、「下革手」という地名からその昔、その地域は皮革(業)に関連する地だったのでしょうか? (全くの間違いでしたらすみません。) どなたかご存知の方おられましたら、回答の程よろしくお願いいたします。
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革手城について具体的には何も知らないので一般論を書きます。 通常、城名は地名からきますので「革手」という地名がありそこに築かれた城郭であることから「革手城」と名付けられたのだと思います。 まれに城主(領主)となった人物が地名を変えたためにその前がついたものもあります。 有名なところでは織田信長によって「岐阜」に変えられたことから「稲葉山城」から「岐阜城」になったものがあります。 「革手」という村が大きくなったことからやがて「上革手」「下革手」に分かれたのではないかと思われます。 「革」という文字が使われているから「皮業」に関連する地であったとは限らないでしょう。江戸時代以前は「皮産業」はどちからかというと蔑視対象となっていたのでそのような地名が生まれる可能性は低いような気がします。 「かわて」という呼び名が先にあってそれに「川手」や「革手」の字を当てたか、蔑視対象である「革」の字を嫌って「川」の字を当てるようになったかのいずれかでしょう。
お礼
全ての疑問に分かり易く答えて下さり有難うございました。 よく理解出来ました。 “革”の字は、「革命」や「革新」の“あらためる”という意からも当てられていたのかな、とも思っています。本当に感謝いたしております。