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中訳:彼は再来年には5歳になる。

・皆さん、いつも丁寧な回答有難うございます。何分、走りながら考えているので、変なところもありますがご容赦を。 ・だいぶ、理解が深まってきたので、文法的に論理的に許されるかとは別に、実際に使う立場から、会話するとき、作文するときに倣うべき「実用的な無難な文法ルール」を伺いたいです。 この点は、文法書をいくら読んでも分からない部分なので。 【質問の趣旨】 アスペクト助詞や語気助詞の「了」は、時制とは関係ないと言われていますが、論理的にそうでも、実用では、特定の時制(とくに未来。文法書ではほとんど例文に出てこない。なぜだろう?)とは相性が悪い=あまり使わないとかがあるのでは?というのが確信がない点。そうではなさそうだと分かりつつありますが。 【質問】以下の中訳は?(括弧内は疑問のポイント) ○彼は再来年には5歳になる。(是五歳了?) ○彼も明日には気分が良くなるだろう。(舒服了?) ○明日の今頃には彼は出発しているだろう。(走了?) ○明日の今頃には彼は食事を終えているだろう。(喫飯了?) 【前提】 ・文例では、事柄を単純化させるため、時制を特定する副詞等は省略していたりしますが、当然、付いていること、つまり、時制は特定されていることを前提。 ・「要~了」といった特殊な形を使えば、了で未来を表すことは承知しています。過去や現在で使う「~了」と同じ形でも未来で使えるのか?というのが確信ない点。 ・我明年参加工作「了」、要離開父母。のように「~Vle~、~」という形で、「~してから、~」、「~したら、~」という順序の意味で使う場合には、時制と関係なく了が使われることは承知しています。疑問は、「~Vle」「V~le」「形容詞le」「名詞le」といった単文で使われる場合はどうなるのか?というのも確信ない点。

みんなの回答

回答No.1

うん、難しいですね、中国人です、よろしく! 出された例句は実際にどれを使ってもあいてが理解でき、構わないと思っていますが、文法的に、詳しく学んだことないけど、、、言われた 我明年参加工作了 ではちょっと使われていないが、 我明年要参加工作了 のがもちろん 要・・・了・・・ というのがご存知でしょう、 それ以外の形には 我明年就参加工作了 のもよく使われている気がした、  就 って日本語では もう、もはや と しまいます  の意味を表示できるでしょう、まもなく 何々しよう また まもなく何々になる という場合で使うのです。   それと  我明年就要参加工作了 との就要 も同じ使い方です、 まとめて 要=主観的  就、就要=客観的。   ほかには 我明年参加工作了  だけでは(それきり?)たしかに使われていないですよ、それは変な言い方で、笑われますよ へへ 気をつけてね。 中途半端との感じでしょう。

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