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町人などの着物

時代劇で町人や職人が着てる縞の着物などは木綿の着物なんですか?絹じゃないですよね?

質問者が選んだベストアンサー

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  • Bird1979
  • ベストアンサー率48% (114/236)
回答No.2

こんばんは 江戸時代は、身分によって衣服が決められていて、庶民の場合は木綿ですね。商家の主人は、紋付・小袖、夏用の絹織物の絽(ろ)、縮緬(ちりめん)などが許されていました。しかし中には財力にあかせて贅沢をする者もいて、幕府によってお咎めを受けた者もいます。 洒落者の江戸っ子は、小紋(現在のワンポイントロゴですかね)などで粋を競いました。なかにはお上の目を盗んで、絹などを裏地にあしらったりした者もいて、取締りの対象にもなったようです。 江戸初期に輸入高級品として人気があったのが、「唐桟留(トウサントメ)」=「唐桟」です。(オランダがインドのサントメから持ち込みます)。当時の日本では生産できない細い木綿織物で、絹に似た光沢がありました。最初は裕福な者に限られていましたが、輸入が増え、江戸後期には国産化も進み身分・男女にかかわらず広く庶民の日常着として広まります。 また多彩な模様を染め出した「更紗」も輸入物で、濃厚な色合いと様々な文様で人気を博し小袖や着物の裏地に使われました。これも江戸後期には国産化が進み庶民に普及します。 江戸時代、素材は木綿と限られていましたが、江戸っ子は意外とファッション感覚にすぐれていたそうです。ちなみにファッションリーダーは、歌舞伎役者や遊女だったとのこと。 余談ながら、吉原の遊女が地方の田舎武士を「野暮」としてからかった隠語に「浅葱裏(あさぎうら)」があります。浅葱とは緑がかった薄藍色ですが、この浅葱木綿は庶民の間で一時大いに流行ります。しかしブームが去っても、地方武士は依然として羽織の裏地に浅葱木綿を使い続けていたため、遊女から「今日の客、ほんと浅葱裏でしつこいったらありゃしない」と馬鹿にされたそうです。

mersess
質問者

お礼

唐桟のご教示ありがとうございます。勉強になりました。本当にありがとうございます。

その他の回答 (2)

  • Sombart
  • ベストアンサー率16% (45/267)
回答No.3

 No.2 の回答、概ね正しいのですが一点だけ修正しておきます。 No.2 > 小紋(現在のワンポイントロゴですかね)  江戸小紋の「小紋」とは、「小さな紋」という意味ではありません。型紙を使う細かいパターンの付けられた染め方のされた布や、その布で作られた着物を指す言葉です。以下のサイトでサンプルが見られます。 http://www.edokomon.com/p1.html

mersess
質問者

お礼

一般の木綿と比べてよく見えるのは唐桟ですか、勉強になりました。ありがとうございます。

  • 007_taro
  • ベストアンサー率29% (540/1831)
回答No.1

もちろん木綿です。しかも、大概、着たきりすずめなので、春はリサイクルショップで冬着を売って春物を、冬は春ものを売って綿入れを買っていたそうです。しかも、帯の切れ端を繕ったりしたものや、着物も直したもの、果てまた、締め込み(ふんどし)までもがリサイクルされていたとか。。。

mersess
質問者

お礼

帯の切れ端を使ったりしてましたか、どうもありがとうございます。

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