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宗派の違うお経

yuhkohの回答

  • yuhkoh
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回答No.11

 弘法大師は最晩年に『般若心経秘鍵』という、般若心経の論書を遺されています。そこに次のような一文があります。 「医王之目(いおうのめ)には、触途(みちならし)に皆薬(みなくすり)なり。解宝之人(げほうのにん)は、礦石(こうしゃく)を宝と見る」  現代語に訳すると「名医の目には、至る所に薬草が生える。鉱山技師は、鉱石に宝石を見る」という意味です。どういうことかというと、われわれは通常、その真の姿を見ずして表層的に判断する。しかし、その真価を観る目を持てば同じ対象でありながらその価値はまったく異なる。われわれが雑草だと思って見向きしない草でも名医は薬効を見つけ、石ころと思っていても、鉱山技師は宝石と見るように。それは、存在自体は変化はしないが、観る者によって変わる。この観る力。弘法大師は般若心経の冒頭部分の「観自在菩薩」を「諸乗の行人」つまり「もろもろの仏教修行者」の意味と説き、いわゆる礼拝対象の「観音様」というだけでは留まらないと。なぜなら、「観自在」の「観」は瞑想のこと。自在なる瞑想の修行者、いかなる瞑想によるものかというと般若波羅蜜多の大心真言である「ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボウジソワカ」を唱えるという瞑想です。なぜ、仏像を祭るかというと、もっとも理想的なる修行者の姿をまず実際に目で見て、さらには焼香の香りを嗅ぎ、耳で音を聞きなど、五感をフル活動させて理想的なるものと一体となる。それが「観」です。  亡くなった人に心経を唱えることは、自身が般若波羅蜜多の大心真言「ギャテイ…」を唱えるという修行実践を行うことで、故人の真の姿を「仏と観る」。亡くなった人のたたりや霊障などをたやすく口にする人は、故人を、自分の親や先祖を「化け物」と観ている心の段階なのです。そうでなく、故人の本当の姿は仏なんだと「観る」ことができれば、まさに「成仏」は実証されます。であれば、生きとし生けるすべてのものが、大自然が、大宇宙が皆、仏であると観ることもできるのです。  が、これはその日々の実践によってこそ意義のあることですけどね。少なくとも般若心経に対しては、これぐらいの意義を持って般若心経の意味を云々しているのでしょうか。真言宗にとっての般若心経は、弘法大師の述べられた「大般若菩薩の大心真言三昧地法門」、つまり般若波羅蜜多の真言による瞑想修行の実践を説く経典ですから、軽んじられるものではありません。心経を唱えて故人を仏様に変身させるのではなく、自身の心の段階をステップアップさせるのです。  今回のご質問であまり専門的なことや、真言宗の協議のことは発言するつもりはなかったのですが、弘法大師の教えを誤解されては困るなと思い長文を書かせていただきました。心経がなぜ唱え続けられてきたのか、それは真言を唱える瞑想が、唱えること自身が修行だからです。  もしも、弘法大師の説く般若心経の意義について、興味を抱かれたのであれば下記に、信頼のおけて(正直、一般書店で手に入れやすい般若心経関係の書籍は玉石混入どころか、大半が石です)、なおかつ入手しやすい文献をご紹介します。 『真釈 般若心経』(宮坂宥洪/角川ソフィア文庫) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043760019/geoci-2-22/ref%3Dnosim/249-4013968-2110720 『密教瞑想から読む般若心経―空海・般若心経秘鍵と成就法の世界』(越智淳仁/大法輪閣) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4804612106/qid=1132316352/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-4013968-2110720 『般若心経秘鍵入門』(村岡 空/大覚寺出版部) http://www.sagagoryu.gr.jp/jpn/shop/hiken01.html あと、初期仏教の釈尊の言葉では次の本がお勧めです。 『ブッダの教え―スッタニパータ』(宮坂宥勝/法蔵館) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4831872350/qid=1132316602/sr=1-6/ref=sr_1_10_6/249-4013968-2110720 (著者は先の宮坂宥洪師のご尊父で、真言宗智山派管長、名古屋大学名誉教授です)

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