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杉原千畝がユダヤ人にビザを発行した目的は?

ZeroFightの回答

  • ZeroFight
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回答No.8

7です。 昨日のドラマはチラチラと見ましたが、外務省がナチスのユダヤ人差別政策に加担したかのような描き方で、おかしいと思いました。 本省がビザの大量発行を許可しなかったのは、ドイツに同調したためではなく、旅費のない難民を入国させて、面倒を抱え込みたくなかったからです。だから、杉原のビザの大量発給は、違反ではありましたが、国策に反するというような、重大な違反ではありませんでした。杉原はカウナス退去後も、ロシアの専門家としての能力を発揮して、順調に出世し、44年には勲章まで貰っています。 もともと日本には反ユダヤ感情はなく、日露戦争の時には、戦費調達のためにユダヤ人銀行団に助けてもらいました。日本の国債は、何度も暴落寸前までいきました。もし、暴落していたら、戦費が調達できず、大陸の日本軍は、武器弾薬が切れて、全滅していたでしょう。 ナチスが出てくるまでは、ロシアは世界で一番ユダヤ人差別が激しい国でした。ポグロムというユダヤ人虐殺事件をしょっちゅう起していたので、欧米のユダヤ人銀行家は、破産覚悟で、日本の国債を買い支えてくれました。だから、軍部や政界の一部には親ユダヤ感情がずっと存在していました。満州国の中に、ユダヤ人自治区を作り、ヨーロッパからユダヤ人を呼んで、経済特区にしようという計画までありました。 対米戦争が始まると、送還すべき母国を持たない国内のユダヤ人は、上海のユダヤ人居留区に送られましたが、それは差別のためではなく、治安上の理由からです。居留区は出入り自由で、比較的安全に暮らせたそうです。 一部に、杉原のビザ発行は、本省の指令に従っただけという説がありますが、杉原の独断を咎める公電が発見されているので、それが誤りであることは証明されています。 〈金を受け取っていないからといって、金目当てではなかった、とは言えないはずです。〉 何が言いたいのか分かりませんが、杉原はロシアの専門家という自負を持ち、周囲からも評価されていましたから、外交官をずっと続けていくつもりだったのは間違いありません。GHQが役人の大量リストラを命じなかったら、ソ連大使は無理でも、かなり出世していたでしょう。外交官を続けるつもりだったのだから、金目当てということは、ありえません。

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