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調性が持つ雰囲気の違い
こんにちは。アマチュアの音楽経験者です。楽典などは少しだけ独学しました。 最近,調性と曲の雰囲気についての質問が多いようで,私も一部に回答していますが,私自身少し混乱してきました。 音律・楽器の構造・等々の要因を総合して,「調性により雰囲気が違う」は事実だと思います。 ところが,その調性による雰囲気の違いが,どこまで「純粋に」成り立っているものなのかが,よく分からなくなってきました。 例えば,半音近く低めのチューニングをする古楽器オケが演奏するフラット系の調性(例えばヘ長調)の曲を,現代オケでの演奏よりもおとなしめに感じるのではなく,より輝かしいとされるシャープ系の調性(ホ長調)の響きに感じる方はいらっしゃるのだろうか?と思ったりします。 また,極端な例で恐縮ですが,同じ曲をMIDIでへ長調とホ長調で演奏したら,どっちが明るく響くのか?とか。 (響きだけから,調性に対する「知識」としてではなく,「感覚」として#系と♭系の違いは感じられるのか?) 質問の焦点が分かりにくくて申し訳ありませんが,調性「そのもの」がもつ雰囲気について,どのような切り口からでも結構ですので,お考えをお聞かせいただければ幸いです。 または,「?」の所にお答えいただけるだけでも結構です。
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こんにちは。面白く難しい問題ですね。 調性「そのもの」がもつ「純粋な」雰囲気の違いはどの程度あるのか,ということだと思いますが,現代の演奏では(全くないとは言わないものの)かなりその要素は減っているだろうと思います。 以前, >同じ曲をMIDIでへ長調とホ長調で演奏したら,どっちが明るく響くのか?とか。 につながるようなことを,別の質問に対する回答で書いたことがあります。 「質問:調性について」 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=164977 そのときは,「オーケストラはもちろん,ピアノや電子楽器などで演奏した時でも,やはり調が変わるとイメージが変わる気がします」と書いたのですが,これはあくまでも,その回答の冒頭にあるように「私の個人的感覚では」という条件付きの話です。 つまり,「絶対音感があり」,しかも「それぞれの調性に対する雰囲気の違いを何となく感じとっている(それは知識としての部分もあるかも知れないけど)」という条件が両方揃った人間が聞いたら,MIDIデータを単純に移調して演奏しても,やっぱり調性の違いを感じてしまうだろうと思います。 でもおそらく,その違いを感じている原因のかなりの部分は,聞いた音を頭の中でなかば無意識のうちに譜面に変換して,調性を判断して,その結果雰囲気が変わったように感じられるという,いわば理屈が先行している部分が大きいのかな,という気もしています。 >半音近く低めのチューニングをする古楽器オケが演奏するフラット系の調性(例えばヘ長調)の曲を,現代オケでの演奏よりもおとなしめに感じるのではなく,より輝かしいとされるシャープ系の調性(ホ長調)の響きに感じる方はいらっしゃるのだろうか? 人間の演奏ですと,調性の違いが演奏者の弾き方にまた影響している可能性もありますので,難しいですね。 実際になっている音は現在のホ長調に近かったとしても,弾く側の意識がヘ長調だと思っていたら,純粋にホ長調の曲を現代のチューニングで弾く場合とは,また弾き方が違ってきそうです。 それと,聞き手が原曲の調をすでに知っているかどうか,にも依るような気がします。 よく聞き込んでいる曲だと,半音程度変わっても,頭の中では元の音程に聞こえてしまう(とくに疲れているとき)ことがあります。(私の絶対音感が甘いからですが) 全然まとまらなくてすみません。 結論としては,純粋な「感覚」の部分は現代では小さくなってきており,「知識」として感じている部分が大きいのかな,と思いますが,実証するのは難しそうです。
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後から気になったことがありましたので追加させてください。 モーツァルトの2つのト短調の交響曲の調性による共通した雰囲気を 私は感じないのですが,楽譜を見比べてみると,楽器編成も違いますが, 25番はいきなりG音で始まるのに対し,40番でのG音は通過音程度にしか出てきません。 25番はG音が重要な音であるのに対し,40番はD音やB音が目立ちます。 そのことと関係するのか,私の印象としては,40番よりも25番の方が3度ほど高い 調性のような錯覚をします。 このように考えると,扱う音域の影響もあるのかと思います。
お礼
旋律線の滑らかさやリズムに影響される部分も大きいとは思うのですが,確かに,モーツアルトの25番と40番では,特に冒頭部分の雰囲気はかなり違いますね。 おっしゃるように,主音のGの音が曲の中で支配的かどうか,主和音が響くときに主音が目立つか,他の構成音(BやD)が目立つか,というのも影響しているように思います。 私は,ト短調の雰囲気には,属和音がD durである事が大きく影響しているように感じているのですが,そういえば,40番ではD dur-G mollの進行はなかなか登場しないようです。 再びのご回答ありがとうございました。
難しい内容ですが,興味深い話題ので参加させていただきます。 結論から言うと,長調と短調の違いは別として,調の特性は, はっきりと決まったものはないと思います。 私に感じる能力がないだけかもしれませんが…。 ただ,理論的には平均律の割り切れない部分で (ド)(ミ)(ソ)と(レ)(#ファ)(ラ)の和音の響きというか, 和音の濁りというか,作曲家には感じるものがあったのでは ないかと想像します。 しかし,今と昔ではピッチも違いますから,モーツァルトが 感じたト短調と,今のト短調では違うだろうと思います。 管楽器のことはよく分からないのですが,弦楽器では, オールドと呼ばれる名器は,今のピッチの張力に耐えるように 改良されていると聞きます。この張力によって音質が変わります。 例えば,極端に5度低くチューニングして,5度高く移調して 弾けば響きは同じになるかです。 楽器の特性がありますから変な音になります。 調性がもつ雰囲気というのは,私は調の特性といよりは, 楽器の特性ではないかと思っています。 それぞれの楽器は,使う音域で音質が違ってきます。 調によって,主になる音があり,使う音域も少し違ってきますので, 全体的に見れば楽器の音質も違ってるということになります。 そのことの影響が大きいのではないかと思っています。 同じ調で演奏していても,ピッチが違うと感じが変わって聞こえるのは このせいではないでしょうか。
お礼
お礼が遅れまして,大変申し訳ありません。 古い弦楽器の改良の話,大変興味深く拝読いたしました。 このQAを持って結論づけるつもりはありませんが,「○調であること」そのものよりも,楽器の特性などの要因で,「実際に響きが違う」事が調性による雰囲気の違いをもたらしている,とお考えの方が多いようですね。 出ている音が415Hzか,440Hzか,あるいは445Hzか,という所も,もちろん曲の雰囲気の違いをもたらすと思いますが(これは,調性というよりは,音程や音色の問題かもしれませんが),「A(イ)」の音を演奏しているという事が,楽器の特性の影響,という点ではより重要なのかもしれませんね。
- terra5
- ベストアンサー率34% (574/1662)
>昔,吹奏楽で原曲がG durのオーケストラ曲をAs durに移調して演奏した事があったのですが,調性が半音上がっているにもかかわらず,響きとしては柔らかくなったように記憶しています(これも知識からの認識かもしれませんが)。 これは調性より楽器編成の影響の方がはるかに大きいと思います。 オーケストラだと弦がメインになりますが、音の立ち上がりの速さ(ADSRで言えばAの時間)とか、音色の倍音構成とか管主体とはかなり違いますから。また、アレンジの問題も絡むでしょうし。 調性を問題にするなら、少なくても編成は同じでないと比較には不向きだと思います。
補足
ふたたびのご回答ありがとうございます。 オケのG durを吹奏楽のAs durに移調したことによる雰囲気の違いについては,ご指摘の通りと思います。 私の疑問は,As durの記譜とGis durの記譜は,演奏する上で,そして,聴く上で何か雰囲気の違いをもたらすのかな?という部分です。 例えば,CとDの間の音,楽器の物理的な状態は同じですが,それを奏者がCisと思うか,Desと思うかで何か違ったりしないかな,と(音律の問題は今回は除外し,例えば等分平均律で調律したピアノであったとしても)。 例示が適切でなかった事,お詫び申し上げます。
- otschan
- ベストアンサー率46% (13/28)
No.3の者です。最後の方が少し言葉足らずでしたので、補足を。 ようするに、調性「そのもの」がもつ雰囲気の違いというのはなくて、感じる方がどのような調性感を身につけているのかによって、その人が感じるところの雰囲気が決まるということのようです。(その人が身につけている音律感によって、同じ演奏でも感じる雰囲気が違うのと同じように。) そして、そのような調性感というのは人が後天的に獲得するものであって、その人が育ってきた音楽環境(ex.どんな楽器をやってきたのか)や文化のありように左右されるということではないかと思います。 ですから、同じような音楽環境や文化で育った人たち同士であれば、調性感を共有し、ある調に対して同じような雰囲気を感じることがあるかもしれませんが、そうでなければ、ある調に対して違った雰囲気を感じるということになります。 長くなり、申しわけございません。
お礼
回答者様がおっしゃる例に,まさに私が該当しているかもしれません。 だからこそ,今回のような質問を思い立ったのですが。 私はピアノなどの音楽教育抜きで,いきなり吹奏楽でトロンボーンを始めましたので,変ロ長調に移調された音感を刷り込まれてしまいました。 (当時へ音記号が読めなかった私は,先輩に,ヘ音記号の「ド」を,「これはレだ」と教えられたのです) 例えば,ヘ長調(本来♭1個ですが,変ロ長調の移調楽器では,#1個に相当します)に#系っぽい雰囲気を感じたり,「ロ」の音が「変ハ」に感じられたりすることもあります。特に金管楽器の演奏だと,そう感じます(常にではありませんが)。 また,曲が変ロ長調の音階で聴こえたり,我ながら滅茶苦茶と思うのですが,Es管の楽器(アルトトロンボーンといいます)を持って,実音の譜面を見ながら,変ロ長調の音階読みで音を出していた時期もありました。 (例を出すと余計ややこしいかもしれませんが,実音Cは,楽譜上は「ド」,頭の中の階名は「レ」,楽器のポジションは「ラ」になります。これで曲がへ長調だとCは「ソ」ですから,これはもうカオスですね,笑) 環境により,調性に対する感性が異なるという事,身をもって体験しています。 その後クラシック音楽を聴くようになったり,オーケストラで演奏するようになったりして,ずいぶんと普通に(笑)戻りました。今では頭の中はほぼドイツ音名です。 こちらこそ,長くなり申し訳ありませんでした。 (私は長文回答大歓迎です。ありがとうございました。)
- otschan
- ベストアンサー率46% (13/28)
私も、最近の質問を読み、気になっておりました。 何か実証的な研究成果はないものかと探しておりましたら、そのものズバリの実験ではないのですが、すこし関連しそうな実験の結果をまとめたものがありました。谷口高士 編著『音は心の中で音楽になる:音楽心理学への招待』に載っている、吉野厳「音高情報処理の発達」(pp.45-46)というコラムです。 そこではいくつかの実験の結果が紹介されています。たとえば、乳幼児にあるメロディを繰り返し聞かせた後、同じ音形で高さの違うメロディを聞かせて、反応を調べるという実験などが紹介されています。 そして、さまざまな実験結果からうかがえるのは、人間は生まれつき、旋律線(メロディライン)に基づいてメロディを認知するが、生まれて間がない頃は、調性に基づいてメロディーを認知しないということです。 つまり、人は、生まれて間がない頃は、メロディラインが違えば「違う」と感じるけど、メロディラインが同じであれば、続けて違う調でメロディを聞かされても、「同じ」だと感じるということです。 そして、年齢が高くなるにつれて、調性という感覚が身についていき、6歳くらいになると、調性に基づくメロディの処理のウェイトが高くなるとのことです。 そして、そういった感覚というのは、その人が育った音楽環境や経験に依存しているとのことです。つまり、西洋の調性をもった音楽の中で育つから、そのような調性感が身についているのだということです。 また、同じ本の別の部分(下迫晴加「音律と聴取印象の関係」pp.103-104)では、さまざまな実験結果に基づいて、音律と印象との関係について述べられています。音律には、平均律、ヴェルクマイスター律、キルンベルガー律、純正律、ピタゴラス音律など、いろいろなものがありますが、曲がどのような曲なのか、そして、聴く人の音楽経験(どんな楽器をしていたかとか、音楽を専門に勉強したかどうかとか)によって、その曲にどの音律が好ましいと感じるのかが異なるという結論が導き出されています。つまり、ある曲が演奏されるときに、Aさんは(イ)という音律で演奏されたときに一番きれいだと感じるけど、Bさんは(ロ)という音律で演奏されたときに一番きれいだと感じるということです。だから、その曲が(イ)という音律で演奏された場合、Aさんはきれいだと感じるけど、Bさんはきれいだと感じないということになります。つまり、印象が人によって違うということです。 以上のようなことをふまえると、質問者さんが言われている「同じ曲をMIDIでへ長調とホ長調で演奏した」場合も、人によって感じ方はさまざまだということになるのではないかと思います。そして、調性「そのもの」のもつ雰囲気というのは「ない」ということになるのではないかと思います。あくまでも、Aさんはハ長調を○○と感じる、Bさんは△△と感じる、というだけであって。
お礼
興味深いお話,ありがとうございます。 「白紙の状態」では,調性の違いによる雰囲気の違いは感じないというデータがある,という事ですね。 おそらくは(もちろん実証は無理でしょうが),人類の文明の歴史と同じくらい長いであろう音楽の歴史の中で,調性という考え方自体が,ほんのここ数百年のものである,という事を考えれば,確かにそれが自然であるような気もします。 調性感覚とは,誰しもが本能的に備えている感覚ではなく,はじめに音律や楽器の構造に起因する響きの違いがあり,その違いを活かした曲が作られ,それが共通認識となり,そういった雰囲気の曲がさらに増える,そうすると,平均律のピアノの曲やMIDIの演奏でも雰囲気の違いを感じる人が出てくる,といったプロセスなのかもしれませんね。 同じ調性でも,人によって感じ方が違うかも,という点については次のお礼にて。
- terra5
- ベストアンサー率34% (574/1662)
私は調のみの純粋な違いはないと思っています。 最大の理由は楽器の特性によるものと思っています。 #系とb系で違いが顕著に出るのは、弦楽器や管楽器でしょう。 弦は指で弦を短くして音程を作るという#の方がより楽器の特性に近いとか、開放弦がその調の音階の一部であるかどうかが大きいです。 私はバイオリン弾くために聞く以上に感じてしまいます。 また、管楽器は移調楽器が多く、ブラスバンドがB(シーフラット)でチューニングすることかも分るように、 楽器がフラット向けにできています。 特に金管楽器はピストン、バルブ、スライドで管を長くして音程を作るという構造上、フラットが得意になります。 これはA=442だろうが415だろうが変わらない性質ですから、そういう意味でピッチがわかっても同じ物を感じます。ピッチが低いという意味ではおとなしく感じることもあるかも知れませんが、それでも#は#系の音になります。 それに比べれば調本来の味というのは無いに等しいと思います。 あと、DTMではこういう特性はまったく現れませんから、絶対的な音程以外は何も変化しないため、感じられないと思いますが。
お礼
私自身,楽器の特性に起因する響きの違いについては,まだよく分かっていない部分があります。 回答者様がおっしゃる通り,弦楽器はニ長調がよく響く,とか,♭系の移調楽器は#系を演奏するときに,より緊張感が高くなる,というのは実感できます。弦楽器は#の方が演奏しやすい,は自分は弦楽器を演奏できないので実感としてはないですが,イメージはできます。 調性が変わると雰囲気が変わる原因の多くはここにある事,私もまったく同感です。 一方で,これはご回答とは切り口が少し違うとは思いますが,#がついた音と♭がついた音の音色の違いは,楽器と奏者,どちらからの影響が大きいのか,私の中ではまだやや混乱しています。 昔,吹奏楽で原曲がG durのオーケストラ曲をAs durに移調して演奏した事があったのですが,調性が半音上がっているにもかかわらず,響きとしては柔らかくなったように記憶しています(これも知識からの認識かもしれませんが)。 しかし,もしもこれがGis dur(現実性には乏しい調性ですが)の記譜であったとして,AsとGis,単音で考えるならば音の出しやすさは同じはずですし,実際に曲中での運指もずっと一緒ですが,それでも響きが変わったりしないかな,と考えていました。 もしも変わるのであれば,それは,演奏者側が自分のイメージで「音色を変えている」,あるいは,特にイメージの違いを持っていなくても,譜面にたくさんついているのが#か♭か,というのが演奏行為(弦や鍵盤へのアプローチの仕方,唇やブレスの状態)に影響している,という事なのかもしれません。 つまり,楽器要因以外にも,奏者要因でもかなり変わるのではないか,と。 *楽器は奏者が演奏しないと音が出ないし,逆もまた然りなので,ここを区別するのはあまり意味はないかもしれませんが。 ご回答ありがとうございました。
補足
すみません。DTM演奏の件,お返事を書くのを忘れました。 (#1様のご回答の中にもありましたが) 万人に普遍的な雰囲気の違いがもともとある訳ではなくて,もしも違いを感じるならば,聴き手が,各々の調性感覚に基づいて自分の頭の中でそれを作り出すからなのかもしれませんね。
お礼
広範な切り口からのご回答,ありがとうございます。 5年近く前からあった話題なのですね。 私の場合も,「知っている(しかも,中途半端に)」という所が,ニュートラルに考えにくくなってしまっている原因かな,と思っています。 「上昇音型は緊張,下降音型は弛緩」「長三和音は明るく響き,短三和音は暗く響く」「属和音から主和音への移行は解決」などは,音楽知識がまったくない人にもほぼ普遍的に感じられる原則と思うのですが(これとて,西洋音楽に一切触れた事のない人や,調性という概念が確立する以前に暮らしていた人がどう感じるかは疑問かもしれませんが),「調性によって雰囲気が違う」は,ある理由のもとで成り立つのは分かるとして,はじめに挙げた例と同列に考えてよいものかどうか,というのが疑問でした。 自分自身,楽器(トロンボーン)も演奏するのですが,♭系の楽譜と#系の楽譜では,演奏イメージは明らかに違います。しかしそれは, ・調性による違いを知識として知っているから ・曲想に合わせると結果として傾向が生じるから(移調曲演奏の問題は#2様へのお礼にて) ・楽譜から得られる視覚的印象 などが理由であって,「○調であること」そのものから感覚的にやっているのではないような気がします。 (もはやこれらの要因を自分の中で切り分けて認識する事はできませんが) お礼の方が一層混沌としてしまいましたが,大変参考になっています。 貴重なご意見,ありがとうございました。
補足
#1様,補足欄をお借りして恐縮ですが。 いろいろと考えながらでないとお礼が書けませんので,若干レスポンスが悪くなるかもしれませんが,ご了承ください。いずれの回答も興味深く拝読させていただいております。