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この世界は本当に3次元か? もしそうなら、なぜ3次元なのか?
この現実の世界は(いわゆる時間軸を除いて),本当に3次元でしょうか? 直感的には3次元だとしても,それならなぜ3次元なのでしょうか? 「4」でも「2」でもなく,なぜ「3」なのでしょうか? 何か「正当な」理由があるのでしょうか? それとも,これは単なる偶然であって, ほかのどこかに4次元の世界や,2次元の世界とかが広がっているのでしょうか? また,なぜ人間には,互いに直交する4本の直線が想像できないのでしょうか? (いや,もしかすると,想像できる人がいるかもしれませんが・・・) それは,単に想像しにくいだけで,答えを示されれば理解・納得するのでしょうか? それとも,人間が3次元の存在なので,(その思考も制約されて) 3次元までしか想像できないという原理があるからなのでしょうか? それとも,そもそも,そうした物(4次元)が存在しないからなのでしょうか・・・? どうぞよろしくおねがいします。
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#20です。 (i) 「ピントの問題」と「次元の圧縮」について。 >あくまで「経験の反復」による「体感の集積」であって、 私の説明がまずかったのでしょうか? #20で私が書いたことに対する返事になっていないように思います。念のため、#20の結論部分だけ、以下にもう一度、コピーします。これで、問題があるのでしょうか? 経験の産物を考慮に入れないというのが、quantum2000さんの前提条件のようなので、その点を考慮した結論なのですが......。 <#20の結論> 結論として、「経験の産物である遠近感を考慮しなければ、目で見た世界は2次元映像のように見える」と考えれば良いと思います。「経験の産物って何?」とか、「2次元画像、3次元画像の概念は、経験の産物では?」とか、「何故、経験の産物をはずさなければいけないの?」とかの疑問は取り合えず、横に置いておきます。
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- kobarero
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#19です。 (2) 2次元画像と3次元画像について。 (i) 「異なった点(重ならない点)」 今回の説明で、quantum2000さんの説明は、「ピントの問題」と「裏側が隠れて見えない」という全く別の問題を同時に取り上げていると思いますので、初めに、ちょっと整理しておきます。まず、「裏側が隠れて見えない」については、全くおっしゃるとおりだと思います。一方、「ピントの問題」は、机の上にリンゴとナシが横に並んでいて両方とも見える(互いに隠す関係でない)ような場合のことです。このような場合、ピントや左右の目の視差により、リンゴがナシよりも手前にあるように見えることもあると思います。しかし、そうであっても、「それは、錯覚だと考えるのであれば、2次元画像と考えても良い」というのが、前回私が説明したかったことです。これに対して、quantum2000さんは、「ピントによる遠近感」は「経験の産物」だとおっしゃっているので、結論として、「経験の産物である遠近感を考慮しなければ、目で見た世界は2次元映像のように見える」と考えれば良いと思います。「経験の産物って何?」とか、「2次元画像、3次元画像の概念は、経験の産物では?」とか、「何故、経験の産物をはずさなければいけないの?」とかの疑問は取り合えず、横に置いておきます。 (iii) 「全球面的画像」 「体を動かさず、頭も回転させなければ、半球的画像に見える」 「体は動かさず、頭を回転させれば、全球面的画像に見える」 「体を動かし、頭も動かせば、3次元的画像に見える」 とういうことでしょうか??? 視点の移動を持ち込むと、話が混乱するように思います。視点の移動を考慮せず、以下のようにまとめてしまえば、取り合えず、話はクロースすると思いますが......。 「視点を固定して見た世界は、経験の産物である遠近感を考慮しなければ、2次元映像のように見える」
お礼
いつもよく考えていただいてご回答をいただき、ありがとうございます。 「2次元画像と3次元画像」をめぐって、 (i) 「ピントの問題」と「次元の圧縮」について。 例えば、机の上に横に並んだリンゴとナシについては、 「ピントや左右の目の視差により、リンゴがナシよりも手前にあるように見えることもあると思います。」 とのことですが、 「ピントの差」や「左右の目の視差」により、リンゴがナシより「手前にある」ように見える、 というのは、(繰り返しになるようですが、) あくまで「経験の反復」による「体感の集積」であって、 例えば、生まれて間もない赤ん坊が、その「リンゴとナシ」を初めて見たときに、 「リンゴがナシより手前にある」と感じるかどうか? ということなのですが・・・ (もちろん、赤ん坊が「リンゴ」とか「ナシ」とか「手前」とかいう概念を、その時点で持ってはいないでしょうが、 赤ん坊の目に映った「映像」を、我々が想像してみると、 ということなのですが。) つまり、 「リンゴがナシより手前にある」と感じる という「認識」は「錯覚」ではありませんが、 「リンゴがナシより手前にある」と見える という「視覚」は、そういう意味では「錯覚」といってもよいかもしれない、 と思うのですが・・・ ちょうど、No.8の回答で取り上げられた「立体メガネ」や、 「3D(平行法)」とか「3D(交差法)」と呼ばれる2枚1セットの「印刷物」のように、 その「印刷物」上では、リンゴ(の印刷部分)とナシ(の印刷部分)についての「前後」はない訳ですから。 (iii) 「全球面的画像」について。 「体を動かさず、頭も回転させなければ、半球的画像に見える」 「体は動かさず、頭を回転させれば、全球面的画像に見える」 「体を動かし、頭も動かせば、3次元的画像に見える」 ということでよいと思います。 私がここで言いたかったのは、(繰り返しになりますが、) 私の「視覚」の「蓄積」によると、 この現実世界全体は、私の周りに私を中心とする「全球面状」に広がっているように感じる、 ということだけです。 ですから、回答者さんの 「視点を固定して見た世界は、経験の産物である遠近感を考慮しなければ、2次元映像のように見える」 というまとめには、同意します!!
- kobarero
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#18です。 (1)重力と空間の歪みについて >「では、なぜ空間は(重力によって)歪むのか?」といった疑問が残る気はしますが・・・ 「なぜ重力が発生するか?」という疑問が、「なぜ、重力によって空間が歪むか?」という疑問に置き替わっただけで、依然として疑問が残ることに変わりがないではないかという疑問ですよね。そうであれば、まさにおっしゃる通りだと思います。違いは、どちらが、より矛盾なく多くの疑問に「統一的」に答えられるかということだけだと思います。 (2)2次元画像と3次元画像 >視覚の全体が「平板的」(または、「半球面的」)に見えるから、これを「視覚は基本的には2次元的である」と表現したい、ということです。 異なった点(重ならない点)についての遠近感は、錯覚に過ぎないと考えるのであれば、2次元と考えても良いと思います。 >「3次元視覚」とか「3次元映像」、「3次元画像」とかいうものは、存在しない(概念である)、ということなのですが・・・ これは、定義の問題なので、全然反対はしません。ただ、一般常識的定義であれば、以下のように考えることができると思います。一般に、「映像」と言うと、ビデオ、TV、映画、DVDを思い出します。これらは、2次元映像表示装置ですので、その映像を2次元映像/画像と呼ぶことは、一般には妥当だと思います。また、立体テレビがもうすぐ商品化されますが、私は、原理はわかりませんが、例えば、一辺50セントの透明な立方体の任意の位置(x,y,z)に、ビームを当てて、任意の色で発色できるようなものだとします。その透明立方体内にリンゴや、野球場や、歌手を映し出すことができるとします。そのような形で映し出された映像を3次元画映像/画像と呼ぶのは、常識的には自然だと思います。商品が出てきたら、従来の2次元映像と区別するため、恐らく3次元映像と呼ばれるのではないかと思います。ただ、これは、あくまで言葉の定義の問題ですから、そのようなものは、3次元映像とは定義しないという考えがあっても良いと思います。 >しかし、もしその「形状」をイメージとしてより良く表現するとしたら、「全球面的画像」のほうがよりしっくりくるのでは? 全くその通りだと思いますが、ただ、もし、そうなら、「3次元画像」も認めることになりませんか? というのは、目で見ている世界が「2次元画像」だと言うのは、静止画的に、ある一瞬の画像を見るから言えることであって、もし、自分の視点を移動させて、例えば、机の上のリンゴの周りをぐるっと回っても良いのなら、それは、3次元画像になってしまうのではないでしょうか? もし、その場合でも、「いや、それも2次元画像の集合体に過ぎない」と考えるのであれば、同様な理由で、見ている世界は「全球面的画像」ではなく、「半球面画像」の集合体ではないでしょうか? 人は、視点の移動なしに自分の全周囲(上下左右前後)を同時に見ることはできないですから。もし、「半球面画像」を寄せ集めて「全球面的画像」と判断できるのであれば、リンゴの周りを回って収集した「2次元画像」を寄せ集めて「3次元画像」と判断できるのではないでしょうか?
補足
繰り返しご回答をいただきありがとうございます。 (字数の関係で、「補足」の欄に書かせていただきました。) (1) 「重力と空間の歪み」については、大方、様子が分かりました。ありがとうございました。 (2) 2次元画像と3次元画像について。 (i) 「異なった点(重ならない点)についての遠近感は、錯覚に過ぎないと考えるのであれば、 2次元と考えても良いと思います。」 とありますが、いわゆる「ピント」の問題は前にも話が出ましたよね。 ピントの差は「錯覚」ではないと思いますが、 その「ピントによる遠近感」も、基本的には「経験の産物」のような気がします。 ピントが合っていても合っていなくても、その対象物の裏側の対象物は、基本的には全て見えないので、 その意味で「視覚」については、見えている空間がその見えている方向の次元が「つぶれて」、 2次元的に見えている、という感じなのですが・・・ 例で示せば、平面に描かれた2次元の絵を真横から見ると、 その絵はただの直線状にしか見えませんよね。 つまり、見ている方向に対して「対象物」または「画素」が重なる形になるので、 「2次元的情報」であったものが、「1次元的情報」になってしまった、 という感じです。 (ii) ただし、確かに「ホログラム」とかNo.19さんが書かれている「立体テレビ」といったものは、 「立体的画像」と言ってもよいかもしれませんね。 そして、そういうものを「立体画像」というのであれば、 例えば「鏡の中の像」といったものも、立派な「立体画像」かもしれません。 鏡の中の像は、それこそ本物とまったく同じように超「立体的」ですから!? さらには、何も「ホログラフ」とか「立体テレビ」などと言わなくても、 現実の物体を直接見ている「映像」も、もちろん「3次元的画像」ということになるでしょうね!! これが、正にNo.19さんの言いたいことかもしれませんね!!! (iii) なお、「全球面的画像」ということについては、 1つの対象物をその周り中から眺め回す、という「全球面的」ではなく、 この現実世界全体を見つめている私の「視覚」は、私を中心に「全球面状」に広がっている、 (もちろん、その全体を一度には見ることはできず、頭を回さないといけない訳ですが) ということを言いたかっただけなのです。 1つの物を周り中から眺め回す場合は、それこそ「立体的画像」が得られると思いますが、 「見る位置」を固定して(厳密には数cm程度の誤差は出ますが)、自分の周り中を眺め回した場合は、 上述と同じような「立体的画像」は得られない気がするのですが・・・ つまり、「自分の周り中」をその(外側の)「周り中」?から眺められれば、 「立体画像」も得られるでしょうが・・・ という感じです。 どうでしょう?
- kobarero
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#14です。 (1)空間の歪みについて >実際には、「引力」によって光路が曲げられたりしているだけ、ということですよね? そのように考えるのも一つの考え方です。もう一つの考え方は、「空間が曲がっていて、光はそれにそってまっすぐ進んでいる(正確には時空間にそってまっすぐ進んでいる)」という考え方です。どちらの考え方を取るかは、現象をより正確に、かつ、統一的に説明できるかによると思いますが、もし、「引力によって光路が曲げられる」という考え方を取った場合には、「何故、光は引力によって曲げられるのか」とか、「そもそも、2つの物体があると、何故、その間に引力が働くのか」とかの疑問に答えられないという問題が残ってしまうと思います。従って、「空間が歪んでいる」と考えた方が、一般的には「便利」だと思います。 >それによって「第4の次元」を認識することができる、というのは難しいのではないでしょうか? 正確に言うと「第4の次元」というより「3次元空間の歪み」と言った方がいいのかも知れませんね。というのは、3次元空間は、たとえ歪んでいても、3次元空間には違いないからです。ただ、「3次元空間が歪むためには、当然4次元空間の存在が前提になる」ということで、間接的に4次元空間を認めていることになります。2次元の例で考えると、球面は2次元空間ですが、それが存在しているのは、3次元空間であるのと同じ関係だと思います。別な言い方をすると、この世界をユークリッド空間(学校で習った平面幾何学の世界)とみるか、非ユークリッド空間(曲面上の幾何学の世界)と見るかの違いだと思います。非ユークリッド空間であれば、三角形の内角の和が180度以上の場合もあれば、以下の場合もあることが当たり前であり、重力レンズなども統一的に説明できます。 (2)2次元画像、3次元画像について >私の認識では、この世の中には「私」の外側に客観的な「3次元的存在」があり、それらに対して、例えば「視覚」という「2次元的な画像(映像)」や「触覚」という「2次元的?感覚」などを通して認識していく、という理解なのですが・・・ 「2次元的な画像(映像)」。「的」の解釈次第で、私も同じ考えですね。quantum2000さんがおっしゃっているのは、外の世界は3次元だけれども、それを見取った結果、我々の心に映っている世界は2次元的である。あたかも3次元であるかのように見えるのは、経験の結果によるものであり、そのようものは3次元映像ではなく、3次元のように見える2次元的映像だということだと思います。 「2次元画像」ではなく「2次元的な画像(映像)」だという点については、私は、以下のように考えています。 a.まず、「2次元画像」と言い切ってしまうと、本当に2次元面上に全ての画素が乗っているという確証は逆にないわけなので、無理があると思います。そういう意味で、「2次元的」と考えます。 b.遠くを見るときと近くを見るときで、焦点が合ったり合わなかったりすることや、左右の目の映像差を通して、遠近の距離感が認識できるのは、経験を通して学んだ結果であることは同意しますが、経験を通せば学べるということは、逆に言えば、「2次元情報」以上の情報が含まれていることを意味すると思います。もし、本当に2次元情報しか含まれていないのなら、たとえどんなに経験を積んでも前後の判断はできないと思います。 c.これは、2次元的であることに対する反論ではないのですが、我々が見ている世界は、「2次元的」であるという場合、もう少し正確に言うと「自分の鼻の頭を中心とする半球の2次元半球面画像」であるような気がします。少なくとも2次元「平面」的ではないような気がします。
補足
いつも丁寧なご回答をありがとうございます。 同じような内容の繰り返しになりそうですが・・・ (字数の関係で、「補足」の欄に書かせていただきました。) (1) まず、「重力と空間の歪みについて」と「第4の次元と3次元空間に歪みについて」ですが、 No.18さんのお話をまとめてみると、 4次元(以上の)空間の中に存在している我々の3次元空間は、重力によって歪みを生じているが、 その歪みによって起こる「重力レンズ」などの現象を観測することによって、 我々はこの現実世界である3次元空間の「歪み」を認識し、 さらには、間接的に「4次元(以上)の空間」の存在を認識できる、 という感じでしょうか。 ただし、このように考えたとしても例えば、 「では、なぜ空間は(重力によって)歪むのか?」 といった疑問が残る気はしますが・・・ (2) 次に、「2次元画像と3次元画像について」。 ここはかなり認識が違うところな訳ですが、 「2次元」ではなく「2次元的」のほうがよい、 という点については全く同感です。 「2次元的視覚」、「2次元的映像」、「2次元的画像」、・・・ 私が言いたかったのは、例えば人間の目による「視覚」については、 基本的には視覚の方向に沿って存在している「対象物」(または、No.18さんのおっしゃる「画素」?) はすべて、「重なり合って」見えてしまうので、 (つまり、1つの「対象物」または「画素」?の「後ろ側」の「対象物」または「画素」は、基本的には見えないので) 視覚の全体が「平板的」(または、「半球面的」)に見えるから、これを 「視覚は基本的には2次元的である」 と表現したい、ということです。 ですから、私にとっては「3次元的」なイメージや情報を与えてくれる「視覚」とか「映像」、「画像」 (この「画像」という概念は、No.18さんのものとは違っている訳ですが。) という概念は存在しても、「3次元視覚」とか「3次元映像」、「3次元画像」とかいうものは、 存在しない(概念である)、ということなのですが・・・ なお、蛇足ながら、 「我々が見ている世界」は正確に言うと「半球面的画像」である ということですが、基本的には、 2次元的であれば「平面的」と見なしても「半球面的」と見なしても、本質的には問題ない とは思います。 しかし、もしその「形状」をイメージとしてより良く表現するとしたら、 「全球面的画像」 のほうがよりしっくりくるのでは? (一瞬一瞬の「視覚」は「半球面」状でしょうが。) またまた、同じような事の繰り返しになってしまったようですね・・・ スミマセン。
- shiara
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No15です。疑問点に対する考え方は、空間の歪みなど考えずに、質問者様が自分で述べられている「重力の作用」としてどうなるかを考える、ということです。
お礼
再度のご回答をありがとうございます。 「空間の歪み」と「物体の歪み」について、 ご指摘のとおり「重力の作用」としてどうなっているかを考えてみると・・・ 物体が重力の働いている空間にあるとき、 (1) 自由落下している場合は、 いわゆる「潮汐力」という引っ張りの力が物体に働くので、物体は重力の方向に「細長く歪む」が、 (2) 台の上に載って静止している場合は、 「垂直抗力」が物体に働いているので、物体は重力の方向に「つぶれるように歪む」し、 (3) 物体がつるされるようにして静止している場合は、 物体全体が重力の方向に引っ張られているので、物体は重力の方向に「細長く歪む」でしょう。 ですから、いずれにしろ、 物体が「重力の作用している空間」に入り込むと、物体に歪みが生まれる、 ということになるから、これを幾何学的解釈に翻訳すると、 物体が「歪んだ空間」に入り込むと、「物体も歪む」、 ということでよい訳ですよね。
- shiara
- ベストアンサー率33% (85/251)
No15です。質問者様の理解でよろしいと思いますが、最後の「物体までが歪む訳ではない」については、そう言えるのかは私としても明確ではありません。「物体の歪み」とは何を指すのかがよく分かりませんが、例えば、重力場内を自由落下する物体は潮汐力を受けますから、そのような場合、物体は力を受け、「歪む」(変形する)ということはいえると思います。 それから、「空間の歪み」は、「あたかも歪んでいるように解釈される」という以上に物理的な意味を持つと考えます。私がどちらの見方もできる、といったのは、どちらも物理的に意味を持つということです。適用を誤らなければ、空間の歪みという考え方をしても、矛盾はありません(ただし、現時点ではマクロの範囲であって、量子力学を扱わなければならないミクロの範囲では、事情は異なります)。
お礼
繰り返しのご回答をありがとうございます。 「「物体の歪み」とは何を指すのかがよく分かりませんが、・・・」 ということですが、 この事は、No.12の「お礼」からNo.13の「回答」・「お礼」の中で書かれているとおり、 例えば、「スクリーンに映し出される映像」のように、 スクリーンが正しい平面(で正しく投影される)ならば、映像は歪みませんが、 歪んだ面に投影された映像は歪みますよね。 それと同じように、 「空間というスクリーン」に「物体という映像」が載るとき、 もし「空間というスクリーン」が歪んでいると、「物体という映像」も歪んで「載る」、 のではないでしょうか? つまり、 「歪んだ空間」に「物体」がやって来ると、その歪みに合わせて物体も歪むのでは? ということなのです。 ですから、問題は、 このような「幾何学的イメージ」が、「重力の作用」として実際に起こっているか? という点だと思うのですが・・・
- shiara
- ベストアンサー率33% (85/251)
横からおじゃまします。 重力と空間の歪の関係について疑問をもたれているようですので、参考までに意見を述べます。 はじめから空間の歪を考えると、誤った方向に考えが行ってしまうことがありますので、重力と空間の歪の関係を明確にしておく必要があります。 重力場内を物体が運動する場合、重力の作用により、その物体の運動方向が変わります。これは通常の万有引力のイメージと同じです。次に、この運動の軌跡を考えるのに、重力という力が働いたと考える代わりに、空間が歪んでいて、歪んだ空間内を物質が力を受けずに運動した、とする考え方もできます。このような考え方ができるのは、すべての物質(光も含めて)が、その質量によらず、同じ運動方程式で表されることによります(等価原理と呼ばれるものです)。つまり、重力場内の運動は、力を受ける物体に着目するか、物体が運動する空間に着目するかで、2通りの見方ができるということです。 重要なことは、現実に起こる現象は、この2つの見方のどちらでもできるということです。逆に言えば、空間の歪みという見方から説明できても、重力の作用という見方から説明できないことは、現実には起こりえないということです。例えば、ワームホールという概念は、空間の歪みという見方からするとあり得そうに思われますが、重力の作用という見方からは、存在するとは考えられません。 もう1点、忘れてはいけないことは、空間の歪みは、その空間を運動する物体が存在して、初めて意味を持つということです。したがって、物質が存在しない空間の歪みを考えることは意味がありません。そこに物質を持ってきて、その運動を考えて初めて、空間の歪みが意味を持つのです。 以上のことから私が申し上げたいのは、空間の歪みがどうなっているのか、を考えたい場合は、重力を受けて物質がどのように運動するのか、を考えれば、理解できるということです。
お礼
再度ご回答をいただき、ありがとうございました。 どうも、話が当初の質問からはやや逸れてきているとは思いますが、 丁寧なアドバイスをいただき、助かりました。 (でも、こういうやり取りをしていると、「削除」の対象になってしまうのでしょうかね・・・?) ご指摘の要点は、 「重力により、光を含めた物体の運動方向が曲げられる」という現実に対して、 「幾何学的な解釈」として、あたかも「重力によって空間が歪み、それにより運動の方向が曲がる」 というように「視覚的に」捉えるとイメージがつかみやすい、 ということでしょうか。 だから、「幾何学的には考えられる現象」であっても、「重力の作用として考えられない現象」は、 現実にはあり得ない、ということですね? そして、「物体が存在しない空間」では、その「歪み」を考えるのは意味がない、という訳ですね。 ・・・すると、重力の働いている空間に剛体でできた「物差し」が差しかかる場面を考えると、 その「物差し」は、「空間の歪み」によってその「速度」に変化を受けるが、 「物差し」そのものが「歪む」訳ではない、ということですよね? つまり、幾何学的解釈によって「空間が歪む」と言っても、「物体までが歪む」訳ではないですよね? ・・・いずれにしろ、ご回答をありがとうございました。
- kobarero
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#13です。 (1) >「空間は歪む」が「物質は歪まない」ということでしょうか? 「空間の歪」=「引力」ですから、物質は、歪み込んだ(日本語が変?)方向に引っ張られてころがり落ちていくのだと思います。もし、何らかの方法で、物質を転がり落ちないように止めておくことができた場合は、最初少し歪んで、その後は耐えられなくなって、こなごなにぶっ壊れて、破片が歪みこんだ方向にころがり落ちていくと思います。 >(i) 「物差し」を形作っている分子や原子はそのままで、それらの間の空間だけが伸びていくのでしょうか? 「物差し」は空間が歪みこんだ方向に滑り落ちていくと思います。ねじ止めしてあった場合は、少し伸びた後、ちぎれて、破片が落ちていくと思います。 >(ii) 「物差し」や「ひも」自体は歪まないということだと、どういうことが起きるでしょうか?? 多少は歪むと思いますが、基本的には、強力な引力で滑り落ちるか、瞬時に分解されると思います。 >空間上を(その長さの方向に沿って)引っ張られるようにずれていくのではないでしょうか? ちょっと質問の意味がわかりにくいのですが、空間の歪んだ方向に引力で引っ張られるという意味では、その通りだと思います。 以上は、「空間の歪」=「引力」が前提ですが、では、何故、「空間の歪」=「引力」かが疑問になりますか? その場合は、私も、アインシュタインを勉強しないと即答できませんので、もう少し時間ください。 (2) >その意味で、「画像(映像)」というのは基本的には「2次元的存在」だと思います。 例えば、机の上のリンゴを見たときの画像も3次元ではなく、2次元だということですね。これは、後続の質問とも関連するのですが、「画像はどこにあるのか?」の答えが「心の中にある」ということなら、リンゴが2次元画像か3次元画像かについては、個々人の「心の中」の問題になるので、直接的に確認する方法はないと思います。ただ、間接的には、以下の質問をすることにより、ある程度、推測できるのではないかと思います。 <質問> 左手の人差し指と親指の先を閉じて輪を作ります(OKのような形にする)。その輪を目の前に持って来ます。両目で輪を見ながら、輪を顔に近づけて来ます。あまり近づくとピントが合わせられなくなるので、ピントが合うぎりぎりところで止めます(目の前10センチ前後でしょうか)。次に、その指の輪を左目と右目を交互に閉じて見比べます。右目で見た映像と左目で見た映像ではかなり異なることがわかると思います。そこで、質問です。 質問1: 右目で見た映像をA、左目で見た映像をB、両目で見た映像をCとします。AとBは2次元ですか? また、Cは、AでもBでもない(また、AとBが別々に同時に見えるのでもない)と思いますが、やはり2次元画像ですか? 次に、上述のように指で作った輪を目の前(10センチくらい)に持って来て、今度は、指の輪を通して見える向こう側の景色を右目と左目を交互に閉じて見比べてください。恐らく、左右の目で見えるものは全く異なるものになる(同じものが少しずれて見えるのではなく、違ったものが見える)と思います。また、指の輪をそのままにして、今度は両目を開けて、指の輪から見える景色を確認してください。何が見えますか? さっき右目で見たものが見えますか、それとも、左目で見たものが見えますか、あるいは、どちらでもないものが見えますか? 質問2: 右目で見た映像をX、左目で見た映像をY、両目で見た映像をZとします。XとYは2次元ですか? また、Zは、XでもYでもないと思いますが、やはり2次元画像ですか? 上述のように指の輪を通して向こうの景色を両目でしっかり見続けながら、今度は、指の輪を見ようとしてください。 質問3: このとき、眼球を動かさないで見ると、ピントのぼけた指の輪と、指の輪をとおして見えるピントの合った向こうの景色が同時に見えると思います。この同時に見えている映像はやはり2次元ですか、それとも3次元ですか? 質問1、質問2、質問3で、回答が全て2次元画像だということであれば、その回答をした人にとって、世界は2次元に見えているのだと思います。ちなみに私は、質問1のC、質問2のZ、質問3は、いづれも3次元に見えます。これは、主観の世界なので、人それぞれ違っていてもおかしくないと思います。 >「物質」ではない「対象(物)」も、存在するのではないでしょうか? 特に、反対意見はありませんが、確認のために質問させてください。 「物質」ではない「対象(物)」が存在するとして、それは、どこに存在しますか? 心の中ですか? すなわち、「心のスクリーンに映った世界の中」ですか? もっと単純に言えば、「見えている世界の中」に存在するということですか? それなら、私も同じ考えです。 >3次元の「物質」ではない2次元的な「対象(物)」も存在するのではないでしょうか? 2次元的な「対象(物)」”も”、とうことであれば、おっしゃる通りだと思いますが、本当は、”しか”と言いたかったのではないでしょうか?
補足
いつも早目で丁寧なご回答を、ありがとうございます。 こちらは仕事が忙しいせいか、「お礼」が遅くなりがちで、すみません。 (また字数の関係で、「補足」の欄に書かせていただきました。) (1) 「空間の歪み」と「物質の歪み」について。 ・・・どうも、私の挙げた例が判りにくかったかもしれませんね。スミマセン。 いずれにしろ、 「空間の歪み」=「引力」 ということのようですが、この意味は、 「空間の歪み」という表現は、あくまでも「引力」を「視覚的に説明するため」のたとえであって、 実際には、「引力」によって光路が曲げられたりしているだけ、 ということですよね? もしそうだとすると、この「重力レンズ」の例の場合は、 それによって「第4の次元」を認識することができる、 というのは難しいのではないでしょうか? (2) 「2次元画像」と「3次元画像」について。 ここは、「画像」の定義に対しての認識の差がお互いでかなり大きいので、 議論がすれ違いになりやすい気がしますが、 私の認識では、 この世の中には「私」の外側に客観的な「3次元的存在」があり、 それらに対して、例えば「視覚」という「2次元的な画像(映像)」や 「触覚」という「2次元的?感覚」などを通して認識していく、 という理解なのですが・・・ そして、「人差し指と親指で作った輪」の件ですが、 質問1:その輪を、右目で見た映像をA、左目で見た映像をB、両目で見た映像をCとします。 このとき、私の認識では 映像A,B,Cはどれも「2次元的」だと思います。 No.14さんは、 映像Cが「3次元」に見える、 と述べていられますが、私もあえて言うなら、 映像Cは「3次元的」に見える、 と言うことには反対はしません。 ここで、「3次元」というのと「3次元的」というのは違うと思うのです。 つまり、「画像」とか「映像」とか「視覚」とかという場合は、すべて「2次元的」存在ということであって、 それらそのものが「2次元」の存在である、という事までは取りあえず言ってはいない、 という感じです。 私が考えるには、 映像Cも、映像Aと映像Bを重ね合わせた「単なる1つの映像」に過ぎないが、 その画像Cがなぜ「3次元的に感じる」か? と言うと、それは その画像からは、生まれてから今までに蓄積してきた膨大な数の「経験(体験)」によって、 「3次元的」な「触覚」や「視覚」を連想できるから、 ではないでしょうか? この「映像C」については、 前にNo.14さんご自身がNo.8の回答の中で挙げられていた「立体メガネ」の件とも、 大いに関係があると思われます。 つまり、その参考URLのページに載っているように、 「「立体視」とは、この視差を利用して、平面画像から奥行のある立体像を浮かび上がらせる方法です。」 という訳です。 つまり、 2つの「平面画像」から人間の錯覚により、1つの「立体」を見ているように感じさせている、 ということであって、決して 立体メガネを通してイメージした「立体そのもの」を見ている のではなく、あくまでも 「立体的な画像」を見ている という訳です。 質問2についても同じような感じですが、 「映像Z」は、2つの映像X,Yがあまりにもずれが大きいので、 1つの「立体的な画像」をイメージすることは出来ないようです。 質問3では、「映像のピント」の件が挙げられていますが、 確かに、「ピントのずれ」によって遠近を認識できるので、 「3次元的映像」というものと「2次元的映像」というものを区別しても構わない、という気もしますが、 これらはあくまでも、3次元「的」とか2次元「的」とかということで、 「3次元画像」とか「2次元画像」とかいう区別は基本的にはない、(画像は基本的には2次元的概念) と考えます、私の認識では。 そして、また長くなってしまいましたが、最後に、 「「物質」ではない「対象(物)」が存在するとして、それは、どこに存在しますか?」 というご質問ですが、 それは、No.14さんのおっしゃる通り我々の「内側」、もっとはっきり言えば、 我々の「心の中」にある、という気がします。 すると、(最後に) 我々の心の外には「3次元的存在」があり、我々の心の中には「2次元的存在」がある、 ということになりますから、結局、 この世の中には、「3次元的存在(対象物)」も「2次元的存在(対象物)」も、両方とも存在する! という感じなのですが・・・ もう何か泥沼といった感じですかね!?!?・・・
- kobarero
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#12です。 (1)について >だから、そのことからは「2点の違いは認識できない」のでは? ・・・違うカナ? 確かに、物差しの映像を曲面に投影機で映し出すと、目盛りが間延びして映るので、実際の物差しも間延びするのではないかという疑惑が出て来ますが、本当かどうかは、考えてみる必要があります。曲面だと混乱の原因になるので、もっと単純な場合を考えてみます。一枚の紙の中央に折れ線を3本入れて、V字型の溝を作ります。真ん中の折れ線がV字の底に来るようにします。この真ん中の折れ線(V字の底)の手前から向こうに向かって、2次元生物に、物差しを持って歩いてもらいます。折れ線のちょっと手前で進行方向に向かって10cmの線を引いてもらいます。次に、折れ線を超えた向こう側で、やはり進行方向へ向かって10cmの線を引いてもらいます。この結果、折れ線を挟んで2本の10cm線分が出来ますが、この2本の線分の長さが異なる理由は見つからないと思います。また、V字谷の入り口や出口の線の前後で行っても同じことだと思います。何故なら、どこも2次元平面だからです。この状況は、V字谷を滑らかなU字谷に変わったとしても、同じだと思います。すなわち、曲面であっても、物差しの目盛りに変化はないと思います。 >「空間が歪んで光が曲がる」というのは、図形的な「解釈」または「表現」なのではないでしょうか? ・・・違ってるカナ??? おしゃる通りだと思います。図形的に「解釈」するということは、仮説により「解釈」することと同じ意味だと思います。すなわち、そのような仮説を立てると、実験事実が矛盾なく説明できるということであり、また、それ以外の仮説では、実験事実がうまく説明できないというだけのことだと思います。要するに「矛盾なく説明できる」ということが肝心であり、実際の世界が”本当に”どうなっているかなどはわからないのです。 (4)については、「画像とは何か」の定義により結論は、変わるということです。quantum2000さんの定義は、<画像3>や<画像2>ですから、前回書きましたように、もし、<画像2>の定義なら「3次元画像」はないし、<画像3>の定義なら「3次元画像」はあるということだと思います。まず、<画像2>の場合は、定義どおり、2枚の2次元図形ですから、これは、当然2次元画像です。また、<画像3>については、フォログラフに表示された図形のみ、3次元画像だと言えると思います。 >「空間に配置された点の集まり」というのが正確には何を意味しているのかは判りませんが、「画像」ではなくて、思考の「対象物」そのものであるような気がしますが・・・ おっしゃる通り、思考の「対象物」そのものです。逆に大変興味があるのですが、もし、画像が思考の対象物でないとしたら、一体、画像とは何ですか? この世界に実在する物ですか? 例えば、<画像3>の定義は、前回、以下のように書きました。 <画像3>画像とは、紙に描かれた図形、テレビ画面に表示された図形などの他、フォログラフに表示された図形も含む。 短く縮めると「画像とは、......図形」です。では、「図形」は物ですか、それとも、思考の「対象物」ですか? もし、物だとすると、厚みがありますか? 厚みがあるとすると、それは、2次元画像ではなく、3次元物体だと思います。厚みがないとすると、それは、”常識的には”物として存在できないと思います。”常識的には”物として存在できないものは、思考の「対象物」ではないですか? >これは、これ以上は埋め合わせられないギャップみたいなものでしょうか・・・ まだ、そこまで行っていないような気がします。今のところ、何がどのようにわからないのかが、お互いに十分に伝わっていないだけの段階だと思います。ただ、「重力レンズ」については、アインシュタインが、実際どのような計算をして、重力レンズ現象を予測したのかを知らないと、だんだん、あやふやな話(ギャップではなくて)になるかも知れません。
補足
毎回丁寧にご回答をいただき、すみません。 また質問させてください! (字数の関係で、「補足」の欄で失礼します!) (1) の「空間の歪み」についてですが、 「V字型の溝」の例でNo.13さんが言いたいのは、 「空間は歪む」が「物質は歪まない」 ということでしょうか? もし、万が一そうだとすると、 (i) 物質で出来た「物差し」を「歪んだ(伸びた)空間」に遠くから近づけていくとき、 「物差し」を形作っている分子や原子はそのままで、それらの間の空間だけが伸びていくのでしょうか? (私は相対性理論はまったく理解していません。) もっと言うと、それらの分子や原子を形作っている素粒子たちはそのままで、 それら素粒子の間の空間だけが伸びていくのでしょうか? もし、分子・原子・素粒子はもちろん、それらの間の空間も伸びていかないとしたら、 重力によって元々「伸びている空間」と物差しやひもの中の「伸びていない空間」の境目は、 どこにあるのでしょうか? いずれにしろ、へんな気がするのですが?・・・ (ii) 伸び縮みを(ほとんど)しない剛体で出来た、長い「物差し」または長い「ひも」に対して、 (それに垂直方向の)両側から巨大な質量が1つずつ合計2つ、近づいてくるとき、 その「物差し」や「ひも」がある部分の空間は、次第に歪んで伸びていくでしょうが、 「物差し」や「ひも」自体は歪まないということだと、どういうことが起きるでしょうか?? 「入れ物」だけが伸びて「中身」がそのままだと、 結局それらの中央部(2つの巨大質量による変形の中心部)を中心に、 「物差し」や「ひも」が、「第3の方向(空間の変形の方向)」に向かって、 空間上を(その長さの方向に沿って)引っ張られるようにずれていくのではないでしょうか? 別な言い方をすると、「2次元の生物」にとっては、 重力の中心部に向かって、物差しやひもが「縮んでいく」ように引っ張られていく、 ように見える(?)のではないでしょうか? ・・・また違うカナ!?!? (私は相対性理論はまったく分かっていません。) どうなのでしょう? (4) 「画像」と「思考の対象物」について、No.13さんは 「「空間に配置された点の集まり」というのは、思考の「対象物」そのものです。」 ということでよいのでしょうか。 そして、「画像」についてはお互いに定義が違うようなので、その点についての議論は止めておきますが、 「「画像」が「図形」だとしたら、それは物ですか、それとも思考の「対象物」ですか? もし、物だとすると、厚みがありますか?」 という点について、コメントしたいと思います。 「画像」というのは、基本的には「図形」というよりは「映像」と言った方が、 イメージがつかみやすい気がします。 その意味で、「画像(映像)」というのは基本的には「2次元的存在」だと思います。 ですから、「厚みはあるのか、ないのか」という点ですが、 基本的に「厚みという概念はない」と思います。 すると、「厚みのない存在」とは「物質ではないのではないか?」 という点ですが、 「映像」というのは「物質」そのものではない、 と思います。 では「映像」とは何か、というと、 基本的には、可視光線という「物質」によって引き起こされる、「視覚」という「感覚」だと思います。 もちろん、「視覚という感覚」は「脳細胞中の視神経関係の細胞における電気的?変化」 というふうに説明はできるでしょうが、 それだけでは説明し終わってはいない気がします。 「感覚」とか「概念」とか「思考」とかいうものは、「物質」に基づいてはいるでしょうが、 「物質そのもの」ではない、のではないでしょうか? 「物質」ではない「対象(物)」も、存在するのではないでしょうか? 3次元の「物質」ではない2次元的な「対象(物)」も存在するのではないでしょうか? どうでしょうか?
- kobarero
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#11です。 >内容的には初めの質問からは逸れてきましたし、 その後の質問もおもしろくて、楽しんでやってますので大丈夫です。 (1)「2次元の生物」にとっては、その「2個ある中心」というのは認識できていないのではないでしょうか? もし、「認識」の意味を下記<認識1>のように考えるのであれば、おっしゃる通りです。しかし、<認識2>のように考えるのであれば、「2次元の生物」でも、「2個ある中心」を認識できると思います。 <認識1>認識とは、目で見て直感的に認められることのみを意味する。 (例)地球は丸いようには見えないから、平たいだろうと認識する。 <認識2>認識とは、認識1の他に、認識1から推論して得られることも含む。 (例)地球は丸いようには見えないが、海岸から遠く去って行く船が段々に下の方から見えなくなるから、丸いだろうと認識する。あるいは、まっすぐ航海していたら、元の場所に戻って来たので、丸いだろうと認識する。 何故、<認識2>なら、「2次元の生物」が2点を認識できるか? まず、2次元空間のある場所がくぼんでいない(平らな)とき、くぼみを挟む2点A,Bの距離を測る。次に、くぼんだときに、同じ2点A,Bの距離を測る。両者の長さが異なることがわかれば、くぼんでいると推測できると思います。そうすると、そのくぼみの深さを計算して、「2個ある中心」の距離も推測できると思います。もし、測定するとき、太陽が邪魔で測定できるはずがないという場合は、いっそ、以下の例を考えた方がわかりやすいかも知れません。 <2次元の生物が3次元の存在を認識する例> A4の紙を考えます。この上に2次元の生物が住んでいると考えます。このA4の紙をくるくる巻いて筒状にして糊でとめます。2次元の住人は、この筒の上に住んでいることになります。2次元の住人に円周方向にまっすぐ歩いてもらいます。10分位歩くと、「おや? 元の場所に戻ってしまったぞ」と気づきます。そして、考え込んだ結果、この2次元空間は、実は3次元方向に湾曲していて、かつ、閉じているのだと推測します。それ以外には、まっすぐ歩いていたのに元の位置に戻ってしまったことが説明できないからです。全く同様に3次元の人間が、宇宙旅行で、まっすぐ宇宙の果てに向かった飛んで行ったら、いつの間にか地球に戻って来たとすると、3次元が4次元方向に湾曲していることを実感できると思います。もし湾曲の半径が非常に短ければ、天体望遠鏡である星を見ると、実はそれが地球だったということもあり得るわけです。 (4)「3次元情報」というものはありますが、「3次元画像」というものはない気がするのですが・・・ 以下に「画像」とは何かについて、5つの定義を挙げました。もし、画像の定義が、<画像1,2>の場合は、「3次元画像」はないと言えますが、<画像3,4,5>の場合は、「3次元画像」はあると思います。ただし、私は、<画像4>の定義が「画像」の正しい定義だと思います。また、<画像2>と<画像5>の区別は重要だと思います。 <画像1>画像とは、紙に描かれた図形、テレビ画面に表示された図形などであり、フォログラフに表示された図形は含まない。 <画像2>画像とは、左目の網膜に映った図形と、右目の網膜に映った図形の2枚の図形のことである。 <画像3>画像とは、紙に描かれた図形、テレビ画面に表示された図形などの他、フォログラフに表示された図形も含む。 <画像4>画像とは、空間に配置された点の集まりである。 <画像5>画像とは、人間が外界を見たときに見える世界のことである。 (4)例えば、「実物のリンゴ」の画像を見ても、その1つの画像だけからでは、どのようにしても「そのリンゴの今は見えていない裏側には、大きな傷がある」というような情報は得られない、ということなのですが・・・。 昨日書いたことと同じになりますが、これは、3次元かどうかの問題ではなく、見える位置にいるかいないかの問題だと思います。何故なら、リンゴの裏側が見えなくても、すなわち、表側だけ見ていたとしても、「リンゴの表側だけ」で十分「三次元画像」だからです。この「3次元画像」の定義は、<画像4>または<画像5>によります。
お礼
再度丁寧なご回答をありがとうございます。 もう少し質問させてください。 (1)「2次元の生物は、3次元の位置にある2個の点を認識できるか?」 についてですが、 「認識とは、認識1の他に、認識1から推論して得られることも含む」という<認識2>については、 そうしたものも認識の一部と考えてよいと思います。 ただし、 「<認識2>なら、2次元空間のある場所がくぼんでいない(平らな)とき、くぼみを挟む2点A,Bの距離を測る。 次に、くぼんだときに、同じ2点A,Bの距離を測る。両者の長さが異なることがわかれば、 くぼんでいると推測できると思います。」 とありますが、(私は物理は専門ではないのでよくは分かりませんが、) その2点間の距離を測る「物差し」も空間に合わせて歪むので、結局2点間の距離は変わらないのでは? だから、そのことからは「2点の違いは認識できない」のでは? ・・・違うカナ? 「重力レンズ」の例の場合は、あくまでも「重力によって(?)光もその進路が曲げられる」のであって、 「空間が歪んで光が曲がる」というのは、図形的な「解釈」または「表現」なのではないでしょうか? ・・・違ってるカナ??? (4)「3次元情報」と「3次元画像」について、 ですが、「画像」の定義について整理整頓をしていただき、見通しがよくなりました! No.12さんは、 <画像4>画像とは、空間に配置された点の集まりである。 ということですが、私は基本的には、 <画像3>画像とは、紙に描かれた図形、テレビ画面に表示された図形などの他、 フォログラフに表示された図形も含む。 であり、究極的には、 <画像2>画像とは、左目の網膜に映った図形と、右目の網膜に映った図形の2枚の図形のことである。 だと思います。 私にとって、 <画像4>画像とは、空間に配置された点の集まりである。 は、「空間に配置された点の集まり」というのが正確には何を意味しているのかは判りませんが、 「画像」ではなくて、思考の「対象物」そのものであるような気がしますが・・・ この辺りはお互いに何度か述べているように、「認識の違い」というものでしょうかね・・・ これは、これ以上は埋め合わせられないギャップみたいなものでしょうか・・・ 量子力学におけるコペンハーゲン解釈をめぐってのアインシュタインとボーアの論争のように・・・!???
- kobarero
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#10です。 (1)そうです「重力レンズ」のことです。「三角形の内角が本来より大きく見えた」りする例です。 大三角形の中心が2個あるかどうかについては、3次元空間の歪の問題なので、直感的なイメージは沸きにくいと思います。それで、代わりに2次元空間の歪の例で説明して見ます。 2次元の面の中心にくぼみがあるとします。くぼみの向こう側から、くぼみの縁にかかるよう、ボールを転がします(ボールの直径は、くぼみの深さに比べて十分小さいとします)。ボールは、くぼみの縁を通過するとき、少しくぼみの中心に向かって落ちながら、それでも、くぼみを抜けてこちら側に来ます。同じボール操作をくぼみがない場合(全く平らな2次元面)で行うと、ボールは曲がらず、まっすぐこちら側に来ます。以上の2つの場合が、重力レンズで光が曲がる場合と、曲がらない場合に対応すると思います。 ところで、2次元面にくぼみがない場合、くぼみがあるはずの場所の座標は、全て(x1,x2,0)で表されますが、くぼみがあると、(x1,x2,x3)のように、ゼロ以外の3次元方向の座標値x3が必要になります。3次元空間の歪の場合も同様に考えて、歪がなければ、(x1,x2,x3,0)で表せる座標値が、くぼみがある場合は、(x1,x2,x3,x4)のようにゼロ以外の4次元方向の座標値x4が必要になります。大三角形の中心が2個あるというのは、上記の(x1,x2,x3,0)と(x1,x2,x3,x4)のことです。 (4)「情報」とは、ここでは、視覚細胞から脳にパルスによって伝達される信号です。 >これを、片目で見ている「画像」だけからでは、区別できないのではないでしょうか? 厳密に言えば、ピントの問題があるので違うと思いますが、大まかには同じと考えて良いと思います。 >「画像」という場合は、どのような場合でも「2次元情報」ということだと思うのですが・・・ この前後の文の意味があまりよくわかりませんでした。2次元空間と3次元空間の違が自明であるとすると、2次元画像と3次元画像も同じことだと思うのですが、「画像」になると、何故2次元、3次元の区別がなくなるのかよくわかりません。 もしかすると、3次元画像を表示させる表示装置が物理的に存在しないのではないかというご質問でしょうか? 例えば、3次元図形であっても、実際にそれを描画しようとすると、結局、液晶画面などの2次元画面に描画しているから、2次元でしか表示されていないのではないかという意味でしょうか? そうだとすると、確かに、3次元図形を表示させる便利な表示装置はないと言えるかも知れませんが、3Dフォログラフが一応使えるのと、原子模型やDNA模型のようなものを思い浮かべれば、3次元画像も考えられると思うのですが。 >「そのリンゴの見えない裏側には、大きな傷がある」といったことも判るはずですが、 これは、全然別な話だと思います。例えば、2次元画像であっても、画像のサイズが縦横100キロメートルあって、その中心に寝転がっていれば、端の方は見えないと思います。要するに視点と対象との位置関係によって決まることで、2次元、3次元の問題ではないと思います。
補足
繰り返し丁寧なご回答をすみません。 (字数の都合で、「補足」の欄に書かせていただきました。) 内容的には初めの質問からは逸れてきましたし、 そろそろこの「お礼」の欄を使った「再質問」も 終わりにした方がいいでしょうね。 (1) 「重力レンズ」の件ですが、 この宇宙を「2次元の面」に例えて、「空間の歪み」を説明されたのは理解できます。 しかし、 この「2次元の面での歪み」を直接認識できるのは、それを外から見つめている「3次元」の我々 であって、 その「2次元に載っている生物」には、その歪みは直接認識できていないのではないでしょうか? つまり、 「2次元の生物」にとっては、何か変だなあ、「我々の空間」が歪んでいるのかなぁ?といった感じ ではないでしょうか? そしてこのとき、その「2次元の生物」にとっては、その「2次元の面」上の1点はどれも、 たとえ「重力レンズ」によって2か所にあるように見えても、実際には1か所にある訳なので、 その「2次元の面」の歪みが見えるのは、その周りの「3次元の生物」から眺めたときだけ ではないでしょうか? 「大三角形の中心が2個あるというのは、上記の(x1,x2,x3,0)と(x1,x2,x3,x4)のことです。」 とありますが、これはあくまで周りの「3次元の生物」から見た記述で、 「2次元の生物」にとっては、その「2個ある中心」というのは認識できていないのではないでしょうか? (4) 「情報」と「画像」についてですが、 これについては特に「画像」というものについて、認識のずれがかなりありそうですね! 「画像」というのは、私が認識している限りでは、対象から得られる「視覚的な情報」だと思うのですが、 この「視覚」というのは、基本的には対象となる空間から1点(目の玉)に集まってくる情報 だと思います。 (人間の場合は目が2つだから、そうした情報の塊が2つ得られる訳です。) すると、この情報というのは、基本的にはその集まってくる方向に対しては「つぶれ」て、 手前の対象物が、それより遠くの側にある対象物の情報をさえぎるので、 例えば上下と左右のように、2方向のみに関する情報しか得られないのではないでしょうか? 例えば、「実物のリンゴ」の画像を見ても、その1つの画像だけからでは、 どのようにしても「そのリンゴの今は見えていない裏側には、大きな傷がある」 というような情報は得られない、ということなのですが・・・。 つまり、「互いに直交する2方向のみの情報」ということで、 これを「2次元情報」と表現してみたのです。 ですから、「3次元情報」というものはありますが、「3次元画像」というものはない気がするのですが・・・ どうなのでしょうか???
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お礼
どうもすみません。 私が文章を上手く読み取れず、回答者さんの結論を読み違えたようですね。 やはり、文字面のみのやり取りによる議論は、込み入った内容を繰り返していくと、 どうしても行き違いが出てきてしまいますかね・・・ 回答No.20での「結論」は、了解いたしました。 毎回、誠実にご対応をしていただき、感謝しています。 ありがとうございました。