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大名・旗本
6dou_rinneの回答
- 6dou_rinne
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老中同志が互いに呼び合うときは讃岐殿、信濃殿といって守の字を略して呼び合い、また老中が将軍に大名を披露するときはそれが国主であろうと安芸、薩摩といったように守の字抜きで披露したようです。 それ以外の大名同士であれば「薩摩守殿、陸奥守殿」と呼ぶこともあったでしょうが、同じ名乗りを何名かが使用している場合もあり「島津殿、伊達殿」というように呼びかたも使い分けていたのではないでしょうか。 旗本同志も、旗本が名乗ることのできる守名乗りは同名が何人もいましたから、時と場合によって苗字で呼んだり、あるいは苗字+名乗りで呼んだりと使い分けていたのではないでしょうか。
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