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助郷について

暇があったので図書館に行き、市町村史を見ていました。 助郷のことで、幕末は交通量が増え、とても遠いところに助郷が課されていて、この人たちはお金で代納していたらしいのですが、このことで、宿の近くの助郷の人たちが、訴えみたいなのを出しています。 これはお金で代納なんかせずに働けってことなのか、もっとお金を出せってことなのかどちらなのでしょうか? 気になりましたので皆様の意見をお待ちしています。

みんなの回答

  • ooyatyako
  • ベストアンサー率34% (23/67)
回答No.2

 そのお金で代納をしていた地方の住人です。  助郷の命に対しお金で済ましていた文書はたくさん目にします。結局そのお金で、宿場の近くの村々の人馬が提供させられていたわけですから、その提供させられる村々にとって都合の悪いことが起きたんでしょうね。こちらにはその内容を物語る文書はありませんので想像するしかないのですが、(1)あまりにも出役頻度が多く、日常の農作業等に差し支え、自身の生活に支障が出てきた。(2)人馬提供の代価が安すぎて割が合わず、その是正を求めた、何てことを考えるのですが‥、どうでしょう??

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.1

江戸時代の宿場町には定数の人足、馬を常備して交通の便をはかっていましたが、参勤交代などで大人数の場合は定数では不足するので、近在の村に臨時の人馬の提供を年貢高に応じて割り当てたのが助郷制度です。  臨時の課税制度もようなものです。 多い所では数十ケ村の助郷が割り当てられましたが、交通量の増加に伴い農繁期でも出動を命じられ、農作業にも差し支えるようになりました。 この為宿場町と助郷村との間に争いが生じる事は屡々あったようです。 助郷村には年貢の減免や助成金の下付など色々な恩典はあるようですが、負担に耐えられなくなった村は訴訟を起こしたようです。 ご質問の訴状の内容がわかりませんから、想像するしかありませんが、助郷の負担の軽減か助郷村の増加による負担の軽減ではないでしょうか?

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