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戦争・軍国教育はいけない。では、平和・人権教育は…?

sinobu_wednesdayの回答

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回答No.5

#1の回答者です。 > 1.良いことって何? 誰が決めるの? 判断基準は? 概ね社会的な常識によって決められます。ただし、時の社会権力によって社会的な常識にない行為が「良いこと」に強制的に加えられることはあります。 例えば人を殺すことは良くないことです。これは社会的な常識といってよいでしょう。健康な若者が電車の中でお婆さんに席を譲る行為、これは良いことと見なされますが、これも常識的な基準と言えます。 例えば、今の権力者は、「卒業式で国旗を掲げ国歌を歌うことは良いことだ」と定義しましたが、これが社会的な常識であるかは難しいところです。また、教室内の権力者といっていい学校の先生も、同じように「これが良いこと、これは悪いこと」という基準を持っているでしょう。常識的に定められる「良いこと」「悪いこと」という基準に、これらの外的要因による調整が加えられて「良いこと」「悪いこと」が定められます。 このように、「良いこと」「悪いこと」というのは、概ねは多くの国民に共有できる基準より導かれますが、細かい部分では必ずしも絶対的な基準はなく、相対的、流動的な部分があることは否めないと思います。 > 2.それは何で強制されるのか? (極一部の義務教育免除試験受験生を除いて全国民が小中学校に行くわけですから、小中学校の教員の発言は「強制」と受け取れますよね) 何を教え、教えられるかという行為については強制はなされますが、それは教育というものの本質です。かけ算九九が嫌いな子供にもかけ算九九の暗記は強制されます。それと同じことです。道徳教育について上記に書いたような基準のブレが存在するのは確かでしょうが、それは本質的なことではありません(かけ算九九のような自然科学は判断基準が明確ですが、それ以外の分野においてはもともと判断基準が明確ではないものが多く、それですらある判断基準によって教育は為されねばならない)。 行為については教育の本質として強制されますが、思考については強制はされません。平和・人権教育によってアンチ平和・人権教育派の質問者さんができたことが、思考を強制された訳でないことの反証です。何かを強制されたときにそれをどう感じるかという人間の思考は自由なのです。これもまた教育の本質です。

tabocado
質問者

お礼

>(かけ算九九のような自然科学は判断基準が明確ですが、それ以外の分野においてはもともと判断基準が明確ではないものが多く、それですらある判断基準によって教育は為されねばならない) きれいごとではありますが、人文社会科学の場合は多様な説を取り上げて、なるべく中立、なるべく多くの意見を紹介するのがいいんですね、とおもいました。(これを平和団体の集会で言ったら「中立なんてありえない!(左に)偏って何が悪い」と怒られちゃいました…)

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