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幼児の前で鶏を殺して食べるという食育

年長児の娘の担任の先生が「命の大切さ」を伝えるために ひよこを飼って、鶏にして、子供の目の前で 殺して食べる食育を行いたいと言いました。 「食べる」ということは「命をいただく」と言うことを 伝えるのが目的だそうです。 これまでにも、生きた魚を目の前でさばいて食べるという ことは行いました。 子ども達は「残しては魚に申し訳ないと」綺麗に 全部食べたそうです。 私は以前に金森先生の著書「いのちの教科書」を 読んだことがあり、その本の中で 鶏を食べるという授業が紹介されていて それはとても感動的な内容でした。 ただ、その本は小学校の話であり、 年長児には刺激が強すぎるのでは、、、と 心配もあります。 クラスのお母さん達は「鳥肉が食べられなくならないか、、、」 「残酷なシーンを見て耐えられるだろうか、、」 など反対意見を持つ人もいます。 みなさんは、この件に関してどのように思いますか? 私は食材に宿る命を意識する良い機会だと 思って、基本的には賛成の立場にいます。 でも、娘がショックを受けすぎないか 心配でもあります、、。 賛成、反対、色々な意見を聞かせてください。

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noname#70030
noname#70030
回答No.34

私は反対です! 確かに私たちは動植物の命を頂いて生きています。それは私たち人間が生きるため行っている事だと私は思います。 子供の時飼っていた鶏がいなくなり、母に聞いたら「逃げた」と言いましたが台所にあった新聞紙に鶏の首が包んであったのを見つけた時すべてを悟りました。 その後しばらくは肉が食べれませんでした。最近は食べれますが・・・ 肉食動物は草食動物の命を奪って生きます。これは自然の流れですが肉食動物は満腹の時には狩りはしません。これは自然界のルールです。 子供たちの前で鶏を殺せば、その鶏は死ななくてもいいのに子供たちのために死ぬ事になります。それこそ命を尊ぶという事から外れる事になると私は思います。 命の大切さを教えたいという事ですが、それは子供自身に親が教える事だと思います。一緒に歩いて「ほら花が咲いているでしょ。この花は種から一生懸命大きくなったのよ。だから踏んだりしないでそっとしておこうね」と言えば子供たちは自分の感性でわかります。 小さい子供を持つ親さんたちはぜひ自分自身を振り返って頂いて、自分が「嫌だな」と思う事は子供さんにも同じ思いをさせないで欲しいです。

yorukuma2
質問者

お礼

お返事ありがとうございました。 その後、先生と親が話し合って 「飼っている鶏はショックが大きいから避けよう」ということになり 別に鶏を準備して、実際に実行する事となりました。 (反対の家庭は欠席していましたが、ほぼ全家庭出席でした。) 素人では無理だと言う事で、専門の方を呼び、 場所も園内は避け、キャンプ場のような 山奥で行いました。 専門の方が、とても上手に進行していただき 結果として、参加者だれもトラウマになりませんでした。 私たち親も「命」について深く考えさせられました。 その後、魚や肉を調理する時に、「命をいただいているんだ」という 気持ちが強くなったと思います。 このような試みを子どもに行うのが 良いのか悪いのか、正直私には分かりません、、。 ただ、担任の先生が伝えたかった 「食べた命の分、精一杯生きる」というメッセージは 子ども達に伝わったと思います。

その他の回答 (33)

  • ume_ume
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回答No.33

興味深い質問だったので、回答させていただきます。 私は2歳6ヶ月の子を持つ母ですが、驚いてしまいました。 お友達には、4歳児や5歳児がいますので、年長児ぐらいの子供と接する機会がありますが、このような授業はまだまだ早いと思います。 「食べる」=「命をいただく」を教えるということは良いことだと思います。 授業そのものを否定するわけではありません。 ですが、そんなことをする前に、まず、その命がどれだけ大切なものか、どうやって生まれてきた命なのか、どれだけの愛情が注がれているか、などを子供たちに教えなければ、意味がないと思います。 実際に家庭でやられている方は、上記のことが徹底されているんだと思います。 60代の恩師に伺った話に、小さい頃に家で飼っていた鶏を食べたという話がありました。 その光景は、なんともいえないぐらい辛かったとその年齢になっても思い出し、話されていたので、相当な衝撃があったんだと思います。 家で実際に家畜として飼っていた人でもトラウマになるんですから、集団でちょっと世話をして・・・というような環境で、先生や保護者の望む「食育」ができるのか疑問です。 この先生は、今回の「食育」を通して、子供たちに伝えたいのは本当に「食べる」=「命をいただく」ということなのでしょうか? 魚での授業の時はそうだったのかもしれませんが、「残しては魚に申し訳ないから」と成功したから、次は鶏にエスカレートしたように私には思えます。 そうでないなら、魚でも動物でも植物でも同じだということを教えるのが先生や親の役目なんじゃないでしょうか。 年長児なら、給食やお弁当などご飯は残さずに食べるようにとか。 (「お百姓さんが一生懸命作ってくれたお米だから・・・」とか、「お父さんが一生懸命働いて買ってくれたものだから・・・」「お母さんが一生懸命作ってくれたんだから・・・」って言って聞かされた方は多いと思います。) また、他の回答にもありましたが、命というなら動物だけではなく植物も同じだと思うので、野菜や豆など植物を種から育てるとか。 魚の授業を参考にして、動物や植物の場合は、実際に目の前で見せなくても、イラストにしたり、人形を作ったりして教えてるとか。 (充分に理解できると思います。) せっかく命をいただくなら、おいしく楽しくいただくとか。 世の中には満足に食べられない子供もいるということや。 赤ちゃんから今までに、母乳(ミルク)から離乳食になり、普通職になり・・・と、どれだけ自分たちが大きくなるのに、愛情いっぱいかけて育てもらっているかとか。 もっと、他にも大切なことがあると思うので、視野を広げて「食育」を考えて欲しいと思いました。 そして、是非どうなったか教えて下さい。 宜しくお願いします。

回答No.32

反対です! 危険極まりないというか まだ早過ぎます!! もう少し 大きくなってからでも十分です。 まったく その先生は何を考えてんだか。。。。。 >クラスのお母さん達は「鳥肉が食べられなくならないか、、、」 食えなくなりますよ!! >「残酷なシーンを見て耐えられるだろうか、、」 耐えられません!! >でも、娘がショックを受けすぎないか ショック受け過ぎますよ!! 教えようとしている事自体は大変良い事ですが、幼稚園児に見せるものではないでしょう?

  • ouico
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回答No.31

絶対に反対です。 何も、見せなくてもいい筈です。 どういった過程を経て食卓に上るのか、口頭で教えることだってできます。 要は大人も子供も想像力を使えばいいだけの話。 だって、何のために想像力があるの? そういう大事なところを育てるのが【教育】でしょう?と思います。 「食育」を行わずとも、命を戴くという実感は、他のアプローチからも十分可能な筈です。 年齢的にも早すぎます。 この先生がお子さんと対するのは、多くてもほんの数年の間に過ぎません。 事後のケアができるとは到底思えません。 「昔は当然のことだった」という意見もありますが、時代が違います。 家庭で食用として飼い、それを手にかけ食卓に上らせるということが生活に根ざしていた時代とは変ってしまったのです。 今の子供達はすぐには適応できないと思われます。 まだ、経験が少なく正しい判断能力をもたない、選択もできない子供です。 押し付けるより、その子の持っている「優しさ」を伸ばすべきです。 低年齢での「食育」は寧ろ危険ではないでしょうか…。

回答No.30

素晴らしい先生ですね。 他人の痛みがわからない人間は平気で他人の嫌がることが出来ますから。 そんな先生でしたら最初から食べるために育てるのはどんなに大変なことなのかちゃんと教えてくれそうな気がします。 ただ頭では理解出来てもそれを見て耐えれるかは子供次第ですね。

回答No.29

賛成も何もありません。 というかそれって普通の事なんじゃないんですか??? それが悪い理由が(他の回答者の方の意見を読んで尚且つ)よくわかりません。 早すぎる、、時期尚早、、残酷、、、、トラウマ??? そんな話が出来るのはここ数十年の事じゃないんですか? ついこの前まではそれぞれの家庭でなされていた事でしょう?? あくまでも、ここ最近の(しかも日本の)価値観でしょ?それって? 今の時代それが必要ないといわれればそれまでですが ある意味(若い)親の価値観を子供に押し付けてませんか? ピーマン嫌いだから子供も食べなくても良い、、レベルの話だと思います(私見ですが) 参考ですが似たような質問がありましたので紹介します http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=631899 ちなみに私は3人の子供持ち(うち二人は年少、年中) クリスマスには飼っている鳥を殺して皆で感謝して食べます。 親がその光景に耐えられない、、といのが本音じゃないんですか? まぁ、あくまでも私見ということで。

yorukuma2
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 園も行事で忙しく、この件に関して 話し合いができなかったのですが、 来月、自由参加で行う予定です。 また、後日、御報告させていただきます。

noname#27115
noname#27115
回答No.28

私の家には子供の頃、鶏がいました。卵をとるためです。卵を産んでいるうちはいいのですが産まなくなると、つぶして食べていました。つぶし役は父でしたが、近所の川まで行ってやっていました。大体は一人で行っていましたが、数回、一緒に連れて行かれました。 幼稚園か保育園の頃でしたが、今でもはっきりおぼえています。「行くぞ」と誘われたときは何ともいえない恐怖心みたいのがあったように思います。一方、好奇心みないのもあったかもしれません。 おなかを割くところなんかはみていましたけど、最初にクビをちょん切るところはとてもみてられませんでした。逃げてました。w なので、その日の夕食にはその鶏が食卓に上るわけですが、食べられませんでした。 また、それが原因かどうか知りませんが、中学に行くまで肉というものをおいしく食べたことがなかったような気がします。 まあ、このあたりは人によって感じ方がちがうのでむずかしいと思いますが、食育という観点からは、何も現物を殺すことをしなくてもいいのじゃないかと思います。イラストとか写真でもいいのでは?と思います。 また、生き物の命の尊さを教えるのであれば、殺すのでなくて、一生を全うするまで育てるのもいいかと思います。

yorukuma2
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 園も行事で忙しく、この件に関して 話し合いができなかったのですが、 来月、自由参加で行う予定となりました。 また、後日、その様子を御報告させていただきます。

  • katyan
  • ベストアンサー率9% (201/2029)
回答No.27

20の補足です。野菜作りに難しく考えないでください もやしでもなんでもいいんです。大切なことはみんなで作ること そして野菜にも命があること、それによって命の大切さ、無駄にしない事を学んでいくんです。

yorukuma2
質問者

お礼

お返事ありがとうございました。 多分、自由参加の方向に いきそうです。 またはっきりしたら御報告します。

回答No.26

魚をさばいて食べるのが授業…? 昔は魚屋さんがあって 店先で魚をさばいている親父さんを いつも見ていたものですが すでに魚をさばくのは 日常ではないのですね。 鶏肉を食べられなくなる… 絶対そういう人もでてきます。 そういう殺しが日常なら 子供も、あまりショックはないんでしょうが 今は鶏肉はスーパーで買う時代ですからね。 目の前で、実演したりしなくても 絵本とかマンガで伝えられないでしょうか? 血を見せたりするのは 人格が固まった18歳以上がよいと思います。 その際は、とさつ場につれていくのが よいと思います。

yorukuma2
質問者

お礼

お返事ありがとうございました。 多分、自由参加の方向に いきそうです。 またはっきりしたら御報告します。

noname#15057
noname#15057
回答No.25

ご紹介の本も読んでいないのに一方的な意見で申し訳内のですが、絶対に反対です。 私は命を粗末に思ってません。 自分で魚をさばきますし、肉も大きな固まりから料理したりします。 残さず食べるように心掛け、食べる分しか作りません。 でも、トラウマがあって鶏肉は今でも食べる事ができません。 私は10才くらいのとき、縁日で買ったひよこを大きくして鶏まで育てました。 とても可愛がり、慈しんで育てました。 運悪くその頃に2軒隣の家で鶏を絞めるのを見てしまい、また田舎の親戚にうちの鶏を親が黙っていきなりあげてしまいました。 悲しむ私に母は「もう遅い、食べられてるよ」と言い放ちました。 近所で絞められていた鶏の姿が目に浮かびました。 その日から鶏肉のにおいを嗅いだだけで嘔吐し、体調を崩すようになりました。 大切な友達を助けてくれなかった親も憎みました。 鶏は20歳をこえるまで一口も食べれませんでした。 今は少しなら食べますが。 手順を踏んで、受け入れる心が万全なように出来なければ、ただの幼児虐待だと思います。 わが子の幼稚園であれば、絶対に反対します。 一人でも心に傷を持った時、その子の一生に責任がもてますか? 必要だと思うなら、園では無く、賛同する方達で個人的に行ってはいかがかと思います。 賛同者の家庭であれば、前後のフォローもケアもできるのではないでしょうか? 「園」という単位でやる事に意味は感じません。色んな考えの方が集まっていて当然です。 小さくて周りの環境から逃れられない幼児の頃に、よその子でも可哀想でやめて欲しい気持ちで一杯です。

yorukuma2
質問者

お礼

お返事ありがとうございました。 そうですね、幼児には残酷だと思います。 みなさんの意見を、クラスの集まりの際に お伝えしようと思います。 また結果がはっきりしたら 書き込みしますね。

回答No.24

No22です。 この質問がかなり衝撃的だったもので ネット上ではありますが金森俊朗氏著書「いのちの教科書」について調べてみました。 この本に書かれている7匹の鶏の話は 命という物をこの先生と一緒に2年かけて学んできた生徒たち(当時4年生)の集大成として行った物であって 2年という時間をかけて生と死について深く、学習したようでした。 そういう積み重ねの上にあるものに感動なさったのではないですか? この先生は鶏の話のほかにも出産間近の母親と末期ガン患者を小学三・四年生の教室に迎えて、性について、同時に死について 子供たちに深く考えさせるという授業を行っているところから見ると 幼稚園の先生が鶏の話だけを取り出して 実行したところで、 この先生が2年かけて小学生に毎日語りかけて積み重ねた物を これから半年足らずで、幼稚園児対して同様の事が出来るのでしょうか? この先生だって授業の冒頭に鶏を殺して食べたわけではなく、そこへ行くまでに 命とは??という問いかけを2年かけて積み重ねた上で行っていることですから 思いつきで出来ることではないと思いました。 どんなに感動する映画でも、ラストシーンのみを見ても感動しないように、 この著者の行った2年間の学習すべてをやらなければ同じ感動は得られないのではないでしょうか。

yorukuma2
質問者

お礼

お返事ありがとうございました。 クラスでこの件に関して 徹底的に話し合おうと思います。 結論が出たら書き込みをしますね。

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