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日本開国後の攘夷思想
ipa222の回答
- ipa222
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富国強兵 和魂洋才という言葉に尽きると思います。 和の魂でありながら、服装も食生活も西洋化し、西洋化された軍隊で、西洋に侵略されないようにがんばるということです。 これは勝の思想の延長線上にあります。 攘夷というのは、元々中国の発想で、日本では言葉だけが一人歩きしました。 欧米人を夷(えびす)として、下等な人間として打ち払う思想ですから、火力によって一瞬で負けるわけです。 現実に、清はイギリスに負けましたし、明治日本が朝鮮を訪問して開国を要求しても、洋装をあざ笑って、和服に着替えたら話をしてやってもいいと言ったそうです。 攘夷思想を支えたのは、幕末に流行した尊皇思想です。カルト風神道原理主義というものでした。 吉田松陰によって洗礼を受けた長州藩士は、明治以後、陸軍や、関東軍として朝鮮半島や満州で過剰防衛的戦争を繰り広げ、日本を亡国へと導きます。 明治の日本では長州藩士によって尊皇攘夷思想は国家のベースとして国家の機軸になりました。 が、洋装で欧米と戦うという意識(勝の思想に近い)は、下関戦争で負けたことで、大きく変わりました。 日本刀で大砲と戦えば気付くのです。
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