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日本開国後の攘夷思想
umigame3の回答
幕末における攘夷思想とは「鎖国を国是」とした場合に成り立つ発想だと思います。 江戸期には「鎖国」とは日本開闢以来の「国是」と思われていたようです。 単純なところでは、「この国是を破って開国した幕府はケシカラン!!」となったわけです。 この世論をうまく利用して政権転覆を狙ったのが長州などの「倒幕派」。 今風に言えば、「郵政民営化」は必然としては必要な事だが、現自民党政権を転覆させたい民主党あたりがこぞって「悪法」と唱えているような状態。 一方、長州や薩摩などは「攘夷派」に薩英戦争や下関戦争をやらせ、結果的にボコボコにやられる事でその無力性を痛感させ、藩論をイッキに「尊王開国」へと向けて行ったとも言えます。 明治以後に直面する最大の危機は「ロシアの南下政策」であったと思います。 これを排除した日本の思想は「夷を排する」という思想より「日本こそNo1」という思想へ変化していったと思います。これが「国粋主義」への変化であると思います。
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