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ストレスによる脳への影響について
今、日本で一番人口密度の多い所に住んでいます。一応大通りから離れた比較的静かなアパートを借りたのですが。四六時中の騒音に心を小さくしてます。 気にする必要は無いと思うかもしれませんが、人が行動を起こすときは、小さな物音できっかけが出来るようで、タイピング、またはマウスをクリックした後に窓を開けたり物を動かす音がしたりして、非常に行動するときのやる気に影響します。 何もしていないときに音がするのはいいんですけど、 特定の、思考を巡らしているときに音がすると、思考が停止します。これは脳が勝手に外部からの危険に反応していて、どうしようも無いことだとわかってはいるものの、なれることが出来ません。 工事現場と違って、騒音が一定に続いているのではなく、自分の行動毎に物音がするので、恐怖です。言っておきますが、精神障害はありません。 この間TVで見たんですが、ストレスで記憶障害になるとか・・長期間ストレスにさらされたサラリーマンが モノを覚えれなくなるという障害でした。 都会に住んでて入ってくる知識も多いものの、そういう細かいストレスはものすごい多い状態です、このままストレスを受け続ければ、脳神経が変異して、頭が悪くなる可能性が多いと思うのですが、どうなのでしょうか。 脳は元に戻らないようなので、病気の原因になるようなら引っ越そうとも考えてます。何分、自分の体は自分で守らないといけないので・・コメントお願いします(静かな明け方の時間帯に打ちました)
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引越しできるのであれば、そうしたほうが良いと想います。 ストレスホルモンのコルチゾールは記憶力を奪う力を持ってます。 でも、脳は再生するんです。 今は、神経幹細胞というのが見つかってますので、脳細胞も筋肉と同様に使えば使うだけ発達するんだそうです。(希望の光ですね) あと私は仏教の瞑想法の「ヴィパッサナー瞑想」というのをやってますが、雑音に関しては一切の詮索をせずに、ただ「音、音・・」と確認していくという作業をします。 音とそれを認知する心を分離していくんです。 「あ、XXの音だ」と詮索すると、心を奪われてしまいます。 そうなると「心、此処に在らず」状態になってしまいます。 心、此処に在らず状態になると、心身の健康に悪いんです。 ですから、仏教的なメソッドで、心と現象を分離して、心を穏やかに、平常心を育てるという瞑想をします。 まあ、最終的には悟りにいたるという瞑想なので、大変、奥が深いのですが、興味があったら勉強してみてください。
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- Syo-ya
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お返事ありがとうございます、再度の2です。 >>隣の人の会話に気持を持っていかれるようなことがあります 例えば、こういう時は、”そんな自分”に気が付くようにするんです。 聞き耳を立てている自分の姿だけを客観的に観察するんです。 そして「あ、この状態が”聞き耳を立てる”というものか・・」と気が付くようにするんです。 「音、音・・」とだけ認識する作業も一緒です。 音を詮索するのではなく、自分の耳を客観視するようなものなんです。 自分の心の状態を言葉で確認する(ラベリング)作業をします。 そして「我に帰る」ように努めます。 こうやって気が付く作業をすれば「心、此処に在らず」から「我に帰る」になります。 これは繰り返しの練習で、強い精神力を養うようなものですから、時間はかかりますし、一時的に苦しくなるほど大変な作業です。自分の状態を観察するというのは、意外と大変なんです。 ですから、監視カメラで自分を観察するようにするのもコツです。 あとは、努力次第です。この瞑想を勉強してみてください。坐禅のようなものです。 で、こういう努力が脳の筋肉トレーニングになると想うんです。 こうやって脳を使えば、使った分だけ発達するのではないでしょうか。 ですから、耳栓なんかは心(脳)を鍛えるのには逆効果かも知れませんね。 頑張ってみてください。
お礼
そうなんですか!非常に難しいのですが、ちょっと取り組んでみます。 東京は烏でさえ変な鳴きかたしたりするので田舎ものの自分には不慣れなんですが、 自分のしている行動がきっかけで近所の騒音が発生した場合 そっちがきになると、余計音がうるさくなったりします。 自分が気にしていないということをアピールするのも大事かもしれませんね。 よく音消しにTVとかつけっぱなしにしていることがあるのですがやめて、開放的になってみようと 思います、思ったほど人は気にしていないということもあるので、極力壁をたたいたりするのは やめようと思いました。 耳から入ってくる情報は、今のところすべて入ってくる状態なので、気になるキーワードが はいっていると手が止まってしまいます。 フィルタをつけるとか一時的難聴になりたいと思うくらいです 何度か読んで、なんとなく意味が分かりました。 耳から入ってくる情報は言語中枢を使ってるので、 自分で言葉を出すことによって回路を回復させるということですね。 それにしても「我ここにあらず」は恐ろしいですね。 外の音に支配されている状態なんですもの。 長く続けば自我がなくなるような気がします。コントロール、されている気分です。
『ストレス』とは、溜め込んだ結果どうなるかが人によって様々で「こうなる」と言い切れる答えを用意できません。(だからこれだけ大きな問題になってるんです) ゆえに、環境があなたの性格に合わないならば引越すことも考えなければいけないでしょう。 でも、他人がその判断をしてあげることはできません。 ものは試しに、新しい家をインターネットで探してみてはどうですか?(今は、別に不動産屋に行かなくても家探しができる時代ですからね) ここぞという好みの家が見つかれば、引越すべきかどうかもおのずと分かるかもしれません。
お礼
だからこれだけ大きな問題になってるんです<どれくらいなんでしょうか・・ そうですね、あたたらしいせいかつを始めるのもいいかと思いました、
お礼
ものすごい的確な回答有り難うございます。 余計な詮索をしないようにすればいいんですね。 確かに、何の音だろう、とかひどいときは「確信犯ぽくて、気に入らない」とか、 いちいち気にしすぎていたかもしれません。 それにしてもやっぱり記憶力が悪くなるんですね 自覚はありました。集中し始めたときに大きな音で手が止まる と、もう駄目です、モチベーションも集中力も持って いかれます・・。すごい腹が立つんですが悪気が無いので余計たちが悪いです。 都会は雑音なんかが多く、例えば 電車の中で考え事をしてても、隣の人の会話に気持ち を持っていかれるようなことがあります。第3者だけ ならかまいませんが、会社なんかで他の人がする会話 なんかが気になるので、これはどうでしょうか・・ 集中力を欠くのは仲間の声でもあるんですが、呼んでるわけでもないのに こちらを向いて話す人がいるのですが、これは明らかな確信犯的集中力妨害行為ですよね。 コミニケーションが大事な分周りに気をめぐらしてるので ストレスはたまる一方です。 家にいるときと会社にいるときとで頭を切り替えるようにするといいんでしょうか・・。 何分若いのに記憶力も集中力も無いとなると、立場が無いです。 心無い人のせいで頭が悪くなるのは非常に腹が立ちます。何か良い策は無いでしょか。