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虹と人の死について
奇妙なタイトルですが,次のようなことです。 私は,俗に言う霊感などなく,心霊体験もないのですが,一昨年胃ガンで父が亡くる前後に,ちょっと不思議な体験をしました。 そのときの父は胃ガンの7年越しの再発で,手術を試みたのですが,お腹を開いてみると,癌がお腹中に拡がってるということで,そのまま手を施すことなく,私は長男なので,手術服を着たままのドクターから余命3ヶ月を告げられました。非常につらく,母と泣きながら帰宅しました。 それから3ヶ月が過ぎ,いろいろ駆け回ってはみたものの,最後の病院でやっぱりダメだと死の1週間ほど前に主治医から引導を渡されました。覚悟はしていたものの,つらくてうなだれて帰宅しました。 それで,話ですが,これらの2度の医師からの,死の宣告とでも言いますか,があったまさにその帰りに2度とも割りとしっかりした虹を見たのです。この10年来(もっとかもしれません),虹をこの目で見たのはこの2度だけです。 1度目は運転中,涙にかすんだ目に飛び込んできました。そのときは母も一緒で,「ああ,人は死んだら生まれ変わるに違いない,それを虹が教えてくれているんだ」というような感慨が湧いたのを覚えています。 2度目は,うなだれて病院の駐車場に歩いている途中で見たもので,幻覚でないことは,前を歩いていた家族が虹の方を指さしていたことで気づいたのです。そのときはボンヤリして特別な感想はなかったのですが,今でもしっかり記憶しています。 それで伺いたいのは,似たような体験,虹でなくともいいのですが,いわば「死の暗示」のような体験,とくに自然体験をお持ちのかた,いらっしゃいましたら書き込みいただけたら幸いです。 「それはただの偶然だ」とか科学的分析めいたことは自分でもできるので,されるのは構いませんが,希望はしません。
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- yoh001
- ベストアンサー率34% (24/70)
goodsheepさん、こんにちは。 僕の父も数年前に他界しました。 父は、その日の朝、いつもと変わらず元気に、 家の前の花壇の手入れをしていました。 父は母と家の離れで暮らしていたのですが、 夕方頃、胸が急に痛くなって寝込んだようです。 母は、救急車を呼ぼうかどうか父に聞いたのですが、 生来、医者嫌いで辛抱強いため、 「大丈夫」と断続的な苦しみに耐えていたようです。 そして、苦しみはおさまったようです。 後に、母が僕にそのことを知らせ、 僕が離れの二階の父の寝床まで様子を見に行くと、 父は上半身を起こして、敷いたフトンに座っていました。 しばらく、話し込んだ後で、部屋から出ようとして立ち上がり、 ふと振り返り父の後ろ姿を見ました。 すると、頑丈で大きなはずの父が、異様に小さく見えたのです。 アレッ?と思いましたが、 薄情にも?階段を降りながらそのことも忘れてしまいました。 そしてその夜、トイレに降りてきて、 階下で用事をしている母となにげない会話を交わし、 階段を上り、フトンの近くにドサッと倒れ、 そのまま意識不明となり、病院に搬送され、 数時間後あっけなく他界しました。 後で色々と気がついたのですが、 人間が「死ぬ」ということは、 この世での今回の修行を終え、 人間の本体である魂が、肉体から抜け出ることだと思います。 その抜け出る前は、生命の輝き(オーラ)が減り、 小さく見えるのだと思います。 そして、その後に霊界へ導かれてゆき、 そこでの修行が始まるのでしょう。 そして、またまたその後、地上界へ生まれてくるのでしょう。 死期が来たとき、病気であれば、一時的にその症状が回復し、 しかるべき人と最後の挨拶をする機会を与えられるようです。 僕の父の場合は、 僕と、そして最後に母と会話を交わして往きました。 決して偶然はないように思います。
- harusamme-33
- ベストアンサー率14% (28/197)
「死の暗示」ですね。 新入社員だった私の向かいの机には、定年退職後も嘱託で勤めていてる(当時多分70代後半)おじいさんがいました。 半年後の土曜の午後(半ドンだった)、おじいさんは会社で倒れ病院へ運ばれました。家に帰った私は二階で姉と話した後、階下へ降りて何かをしていました。するとそこへ血相を変えた姉が二階から降りてきて「窓ガラスを烏がたたいてる」と言うのです。一緒に二階へ行くともう烏はいなかったのですが、姉が言うには烏が一羽くちばしで窓ガラスをコンコンとつついた、との事。そこで私は会社であった事を家族に話しましたが、「あ~それは危ないかもしれないね」と言われました。 月曜日出社した時に、おじいさんは運ばれた翌日の日曜日に亡くなったと聞かされました。 カラスはわりと多いです。
お礼
カラスで思い出すのは,芥川龍之介の「歯車」という作品です。「・・・砂山にはブランコのないブランコ台が一つ突っ立っていた。・・・ブランコ台の上には鴉が2,3羽とまっていた。・・・まん中にとまっていた鴉は大きい嘴(くちばし)を空へ挙げながら,確かに四たび声を出した。」 気味が悪い一節ですが,これは芥川の自殺の直前に書かれたものです。小説というよりも実際の体験談のような書き方です。彼は今でいう統合失調症だったという説があり,そうであれば幻覚の可能性も否定できないとはいえ,個人的にはこの小説に不思議とリアリティを感じるんです。
- 6dou_rinne
- ベストアンサー率25% (1361/5264)
ついタイトルをみてのぞいてしまいました。 仏教の場合、人が死すると次に生まれ変わるまで虹の身体でいるとされます。もちろんふつうの人間に見えるわけじゃないんですけど。
お礼
貴重な情報ありがとうございます。余談ですが,父の命日は父が生前一番尊敬していた一番上の兄が戦死した日と同じ月日で,何かそういうとこにも因縁を感じてしまうんですよね。
- haruki00
- ベストアンサー率42% (8/19)
こんにちわ。 なんかとっても不思議というか、素敵と言ったら不謹慎でしょうか?な体験をなさったんですねぇ。 申し訳ないのですが、私は特にそういった体験をした事はないのですが、漫画で「虹の向こうに会いたい人が待っている」というような漫画を見てとても感動したのを思い浮かべました。 「虹の向こうに会いたい人が待っているんだよ」と言った人が死んでしまって、それを言われたキャラクターがある日、虹を見て追いかける。でもその人が本当にいる訳じゃない。・・・・・という切ない話でした。人の死と虹が関係があるっていうのは私が知らないだけでメジャーな事なんでしょうか?そうじゃなかったらなんか不思議な力を感じますね。 たまたま見かけた文に、なんか思いつきのコメントを残してしまってごめんなさい。
お礼
>なんか思いつきのコメントを残してしまってごめんなさい。 いえ,まったく問題ありませんよ。だいたい,僕もヒマの興味本位の質問ですから。書いたことは事実ですけど。
お礼
>死期が来たとき、しかるべき人と最後の挨拶をする機会を与えられるようです。 かもしれませんね。僕というか父の場合は,最後は僕がたまたま休日だったので一晩中付き添うことができましたし(早朝逝きました),前夜には孫を含め主だった家族みんなが集まってちょうど最後の別れみたくなりました(意識があるんですよね,癌というのは最後まで)。それも偶然だったんですが。 なにより僕自身が不思議なことに父の死の前日にはすごく超然とした感じになって,喜怒哀楽の感情だけで言えばすごくニュートラルな状態になったのを今でもハッキリ覚えています。