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高度情報化時代はボーダーレス化を促進する?
高度情報化時代は国際化という意味で世界のボーダーレスかを促進すると思いますか? 日本の場合、個人的には文化的衝突が各種社会問題を引き起こし、法律を複雑化し、民族主義に基ずく各種圧力団体を増加させると思われますがいかがでしょう。 情報化が進んでも別に文化面で自分だけ異なる文化の人に妥協したいとは思いません。 多民族国家の現状、多民族国家の歴史的苦悩などについても触れてください。 推測、うわさ抜きでお願いします。
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>高度情報化時代は国際化という意味で世界のボーダーレスかを促進すると思いますか? 間違い無くyesです。世界の情報を、瞬時に共有するということからすれば、間違いありません。日本の場合、>個人的には文化的衝突が各種社会問題を引き起こし、法律を複雑化し、民族主義に基ずく各種圧力団体を増加させると思われますがいかがでしょう。 日本は、これまで、「みんないっしょみたいな、日本人全てが運命共同体的社会でしたが、今後は分裂の時代を迎えると思います。 小泉首相の登場で、地方と都心の対立が顕在化しているのは確かです。 今、日本は不況だと言われているが、外国人は日本を見て不況とは思えないといいます。それは都心の喧騒を見てのこと。地方は深刻です。これは、80年代のイギリスのようらしいです。80年代のイギリスは街から人が消えたと言われました。リヴァプ-ルやマンチェスターなどはひどかったらしいですが、いまの日本の地方都市はそうなってます。地方は通りから人が消えたような気がします。こうしたことから、都市部と地方の利害対立はおきるでしょう。 また、今後少子高齢化で、移民を入れざるを得ず、その移民と日本人の対立も生じるでしょう。 >情報化が進んでも別に文化面で自分だけ異なる文化の人に妥協したいとは思いません。 このような心情はよく理解できます。人間は、あまりに同一化してしまうと、自分のアイデンティティーを問うようにできています。人間は自分のレゾン・デートル(存在価値)を考える生き物です。それが、このようなあなたの気持ちにつながっているのです。 >多民族国家の現状、多民族国家の歴史的苦悩などについても触れてください。 オーストラリアがいい例ではないですか? むかし、オーストラリアは白人が入植し、アボリジニーを差別し、白豪主義(ようするに、白人優越政策)をとりました。そして、ポリネシア系の住民にも差別しました。 しかし、その反省から、白豪主義を止め、マルチ・カルチュアイズム(まあ、ようするに多用な価値観を認めようという考え)に転じました。 しかし、白人の不満からか、ワン・ネーション党という 白人至上主義組織が生まれそのトップのポーリンハリソンというのは、大変なカリスマです。 オーストラリアでは、こういう国内事情があります。シドニーオリンピックでは、アボリジニーが出て注目を浴びましたが,こういう一面もあります。 また、ヨーロッパ各国でもかつての植民地からの移民に悩まされているのが現状です。 日本もこれから、こういう移民問題が顕在化してくるでしょう。そのとき自分はこれをどう受け入れるかを、考えなければいけません。
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- cse_ri
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>高度情報化時代は国際化という意味で世界のボーダーレスかを促進すると >思いますか? 上記の問いについてはyesです。 既にインターネットの普及によって、国境の壁が相当に取り払われています。 言語にさえこだわらなければ、世界中の情報が一瞬にして入手できます。 インターネットが普及する以前は、そういうことは非常に難しかったのです。 情報の壁が取り払われるにつれて、人の壁も少しずつなくなってきています。 IT分野に限れば、人もや企業も世界中にどんどん進出しています。 例によって、日本企業の出足は鈍いですが。 >日本の場合、個人的には文化的衝突が各種社会問題を引き起こし、法律を >複雑化し、民族主義に基ずく各種圧力団体を増加させると思われますが >いかがでしょう。 うーん、どうでしょうか? 現在のところ、文化摩擦による社会問題はそれほど表面化していないように 思いますが。あえて言えば、外国人によると思われる刑事事件が増加してい ることですね。 日本に民族主義はそれほど根付いていないと思いますし、民族主義に基づいて 国際的に偏狭な立場を取っていけば、経済的にプラスになることは何も無い ように思います。 >情報化が進んでも別に文化面で自分だけ異なる文化の人に妥協したいとは >思いません。 日本国内にいる限り、日本人の方で異文化に妥協するという事態はちょっと 想像し難いですね。
お礼
お返事ありがとうございます。 文化的な衝突はいくらでもありうると思います。 歴史的に見ても、文化面での衝突は多いですから。 たしかにいまは表面化していないかも知れませんがこれからはあるのではないでしょうか? 例えば、ヒンドゥー教徒においては牛を殺すことは人を殺すことより罪深いことであるとされているようですが、 その彼らが日本来て、牛を食肉とすることに反対するデモを行ったり(しかも公共の場で大々的に)、 非合法な圧力団体を形成し制度化を求めたりするとどうでしょう。 中にはスーパーなどに火炎瓶を投げるような連中も出てくるかも知れません。 そうなってからでは遅いのではないですか? 文化的軋轢は社会不安を増加させると思います。
お礼
まじめに答えていただきたいへんありがとうございます。 オーストラリアの例はたいへん参考になります。 私としては移民受け入れ拡大の方向での国際化に反対という立場は大切だと思います。 高度情報化時代だから喜んで外国人を受け入れるというのはかなり飛躍した発想であると感じます。 私に同感する人というのは回りにに少ないので肩身が狭いですがもっと同感する人が増えてほしいです。