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黒沢明と三船敏郎について

映画「赤ひげ」を境に黒沢明監督と俳優・三船敏郎が袂を分けたと聞きました。 その原因とか経過を教えて下さい。

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  • ojiq
  • ベストアンサー率41% (121/291)
回答No.1

キネマ旬報社から出ている「黒澤明集成」などを頼りに、自分なりに推測してみました。 三船敏郎は「トラ・トラ・トラ!」〔1969年トラブルにより撮影断念〕の問題について次のように語っている。 ~黒澤さんに対して今回の不始末をしでかした同じ人物が前に『暴走機関車』という、ジョセフ・E・レビン・プロの映画のことを、黒澤さんのところに、もちこんだことがあった。この時のこともぼくは、アフレコやなんかで、アメリカに年間二・三回往復していた頃で、いろいろ聞いていた。アメリカ側の出版物には「黒澤監督の『暴走機関車』は製作費百万ドル、スタンダードの白黒」と出ている。レビン側の発表としてね。それが日本に帰って来たら、「八百万ドルでカラー・70ミリだ」という。「向こうで聞いてきた話とだいぶ違うな」「だけど大丈夫なのかな」なんて思っていたら、あれは流れてしまった〔1966年の話〕。…で、黒澤さんの問題がこじれてから、私がFOX側〔「トラ・トラ・トラ!」の製作会社〕から正式に申し入れを受け…FOXの日本支社長が来て「〔山本〕五十六役で出てくれないか」という。それに対して、ぼくは「いま入院中だし、その間の事情もよくわからない。結局、黒澤さんの問題がもめているようだけれど、その問題を円満に解決していただきたい」ということ。それから「私は一応三船プロダクションの代表で、いま社員からスタッフを含めて百二十人ぐらいの人間が常時いるから、自分が役者としてだけ演技を切り売りして、かせぎに行くわけにはいかない。日本側の製作を全部三船プロに一任するという形であれば、三船は山本五十六役を引き受けるだろう」と答えたのです。…「これは黒澤さんが二年も三年もかかって、二十六回も改訂して、たいへん苦心して書かれた本だ。黒澤さんはいつでもそういう場合、あらゆるカットが頭の中に入っている。これは黒澤さん以外に撮る人はないのじゃないか」ということで、あくまでも黒澤さんに演出させていただきたい、と申し入れた。~〔「黒澤明集成3」.三船敏郎近況を語る〕 結果的には、黒澤明は「トラ・トラ・トラ!」の監督から下りることになり、三船敏郎も出演することはなかった。そして、三船敏郎は「風林火山」完成披露パーティでの自らの発言について、次のように説明する。 ~「出演者にしろうとばかりを使ったことがやはりこういう結果になる一つの原因だったのじゃなかろうか」…「しろうとを使ってけしからん」などとは、言っていません。プロの俳優として、「挑戦状をたたきつけられたのと同じだ」みたいなことは言った。役者仲間で「われわれは無視されたのか」みたいなことは言っていましたから。そして、ぼくとしては、黒澤さんと一緒に二十年間もやってきた人間だし、みんなが等しく心配しているんだ、ということを声を大にして言いたかったのです。…黒澤さんにぼくたちは辞表を出したわけでも、絶縁状をたたきつけられたわけでも何でもない。旧交をあたためようじゃないか、という気運が高まっています。一部の雑誌が「不仲説」なんておもしろがって書いているが、何にもありはしません。…そして、一日も早く「黒澤健在なり」という作品を、発表していただきたいと、元黒澤組のみんなが、思っているんです。~〔「黒澤明集成3」.三船敏郎近況を語る〕 そして、1969年6月24日「黒澤明よ映画を作れの会」が開かれる。発起人は三船敏郎、黒澤プロの松江陽一、黒澤組のスクリプター・野上照代である。参加したのは、黒澤明と旧黒澤組のメンバー。三船のあいさつ「とにかく、ある人物のために、こんなに気心のしれた仲間が、疎遠になってしまっていた。疎遠になれば疑心暗鬼も生じてくる。でも、今はみんな、何のこだわりもありはしません。黒澤さんが作品製作をはじめられれば、いつでもはせ参じさせていただきます」それに対して黒澤はこの三日間で原稿用紙七十枚のシナリオを書いたと言い、五本の作品の構想をたてたと話す。そしてさらに「三船君にも、現在の彼にふさわしい役で、何をやってもらうべきか、いろいろ考えました。ギリシア悲劇から戯曲から小説まで、古今東西の本をいろいろと読んだ。そして、最もいいものを選んだつもりでいます。これも、いい作品になるでしょう」と言いながら、最後にこんなことを言った。「『トラ・トラ・トラ!』で、僕は素人の、社会人の出演者たちを使いました。そして、この、社会生活の年輪を経てきた素人の人たちの演技が、プロの俳優生活で年数を経てきた人たちの演技を、はるかに上回る質の高いものだったことを、どう考えるべきか。これは、大変重要なことだと、僕は思います。…『トラ・トラ・トラ!』の僕の撮影したフィルムは、その意味で、みんなにぜひ、見てもらいたいものでした。今までの僕の監督生活の中でも、びっくりするほどの、いいものだった」〔「黒澤明集成3」.動き出した黒澤プロダクション〕 よりリアルなものを求めようとした黒澤が今や「世界の三船」となったリアリティを欠く三船敏郎から離れていくのは、自然なことだったのかもしれない。結局、「赤ひげ」の次の作品となったのは「どですかでん」〔1970.〕で、ここでは黒澤映画初めてのカラー作品ということで、鮮やかな色彩と共に、今までの物語性豊かな黒澤映画とは全く違った世界が繰り広げられていく。群像劇であり、特別な主役は登場しないこの作品に三船敏郎は不要である。その次が「デルス・ウザーラ」〔1975.〕で、これはソ連映画でロシアの話だから、当然三船敏郎の出番はない。次が「影武者」〔1980.〕。黒澤明久々の時代劇である。 黒澤明は「影武者」のキャスティングについて、次のように言っている。 「新鮮なものを作りたいんで、オーディションを行なって自由に選んでゆきたいと思っています。日本映画を再建するためには新しい人を育てなくちゃあ。それをこの機会にやってみたい。一つの作品で新しい俳優さんを発掘して、ある程度まで育て上げることは不可能でないと思うんです。で、それを今度全面的にやろうと考えています。」〔「黒澤明集成」.ドキュメント「影武者」〕 「影武者」については、勝新太郎から仲代達矢への主役交代という事件があったのは有名な話です。その際、緒方拳、原田芳雄の名前もあがったといいますが、スケジュールがとれたことと「はじめての人とは時間がかかる」ということで、黒澤映画とは馴染みの深い仲代達矢に決定したということです。この時にも、三船敏郎の出番は考えられなかったと思われます。それぞれの年齢を考えると、勝新太郎は1931年生まれ、緒方拳は1937年生まれ、原田芳雄は1941年生まれ、仲代達矢は1932年生まれ、ですが、三船敏郎は1920年生まれです。武田信玄の役としては少々年をとり過ぎているのではないでしょうか。しかも、三船敏郎の場合、「グランプリ」〔1967.〕「レッドサン」〔1971.〕「ミッドウェイ」〔1976.〕「1941」〔1979.〕「将軍」〔1980.〕というように、「赤ひげ」〔1965.〕以降は主役こそ余りないとはいえ、アメリカ映画への出演が続いています。とても「影武者」に出ることなど考えられなかったと思われます。「トラ・トラ・トラ!」でアメリカ映画の監督から下りざるを得なかった黒澤監督としては、心中複雑なものもあったでしょう。山田洋次の話によると、晩年の黒澤明は、若い頃の彼とは正反対の作風であった小津安二郎の映画をしみじみと懐かしむように観ていたと言います。志村喬から三船敏郎へと主役が変わった黒澤明の気持ちの中には、三船敏郎の動作が今までの日本の俳優と比べて驚くほど速いということがありました。その流れから「隠し砦の三悪人」〔1958.〕「用心棒」〔1961.〕「椿三十郎」〔1962.〕という優れた活劇も生まれました。しかし、黒澤も年老いていくに連れて、より静かで優しい世界に惹かれていったのだと思います。そんな小津的世界には三船敏郎は不要なのです。「夢」〔1990.〕で小津映画の支柱となっていた笠智衆が重要な役を果たすのも決して偶然ではないと思います。

kazu-hiro
質問者

お礼

とても興味深い話し、有り難うございました。

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