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鎌倉時代の北条氏の嫡子、嫡流、得宗

これらが何なのかとその違いがわかりません。

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  • salad2
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回答No.1

はじめに言葉の意味は次のとおりです。 嫡子とは、(1)家督を相続する者。世継ぎ。跡取り。      (2)正妻が生んだ子。 嫡流とは、本家の血筋。 得宗とは、〔北条義時の法号を徳宗といったことから〕       鎌倉幕府の執権北条氏嫡流の家督のこと。       初代北条時政以下九代を総称。 鎌倉幕府が三代将軍(源氏)で滅亡したのに対して北条氏は御家人を攻略し、独裁体制を築きました。 『得宗専制体制』について 『得宗』は、上記の説明どおり、北条氏嫡流(いわゆる本家)の家長をさします。 五代執権北条時頼までは、『執権』=『得宗』であったが、以降は『執権』と『得宗』が分立した。 結果、幕府の公式役職である『執権』よりも、北条氏の私的な権力者であるはずの『得宗』の権威が強くなる。 このような状態を『得宗専制体制』と呼びます。 ちなみに『執権』とは、鎌倉幕府において、将軍に成り代わり執政権を持つ役職。 源頼朝没直後の二代将軍頼家のとき、北条政子の父である北条時政が初代執権に就いた。以降、北条氏がその地位を独占し、独裁体制を築いた。

negidaku583
質問者

お礼

ありがとうございます! 私はてっきり嫡流と嫡子は似たようなものだと思っていましたが、微妙に違うのですね。 得宗専制体制についても詳しく教えていただいてありがとうございます。

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