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こういう理由でキリスト教を選んでよい?
40代の既婚男性、子供ありです。 仕事は自信持ってしています。 最近、自己中心的な性格、短気が家庭に悪影響を及ぼしていることに、気付き、驚いています。 そして、できるならば、人間的に脱皮、成長したいと考えます。 先日、あるキリスト教徒の方に会いました。(同性、20代) そして、衝撃的な感動を受けます。 私は効率を重んじて人生を生きてきました。それが仕事の成功を生んだのでしょうが、結婚生活、妻とのこと、子供のことは「もっと別の価値観、愛、優しさ」が必要だと、彼から教えられました。 そして、「君は若いのにどうしてそんな事を知っているの?」と聞いたときに「ゲスから聞いた」と答えたのです。 今の私は乾いた砂の様に、何でも受け入れられる状態です。 夫婦の愛、家庭の愛、人間的なつきあい方について、もっと学びたいのです。 この動機でキリスト教に教えを請う、教会に行く、入信する、などの事はどう考えますか? 神を教えるところに、人生の生き方や人間性について教えて、行くことは、その内に、教会が苦痛になりますか? 神は信じていません。 よろしくお願いします。
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自分自身を変革したくてキリスト教に入ったという人は結構いるようです。しかし、下の方も触れているように、神の存在を現実のものとしてとらえているかどうかで、その追求の仕方が違ってくると思います。 例えば、誰も見ていないところに、1万円落ちていたとします。誰かが急に来たとしても、自分が落としたものを拾うかのように振舞うことは可能です。そのような時に、どうしますか?ごくまれに、純粋な良心を生まれ持っていて、警察に届ける人もいるかもしれませんが、大多数の人は、拾って自分のポケットに入れてしまうでしょう。しかし、聖書に、「盗みはいけない」と書いてあることを知っていて、神の存在を意識しているなら、「神が見ている。神を悲しませたくないので警察に届けよう」と良心の声に動かされ、その教えを守り抜こうと実行するでしょう。要するに、人格の変革は信仰と結びついているということです。教会に行かれると分かると思いますが、本当に「いい人」って、信仰において円熟している人が多いです。神やイエスは完全な訳ですから、それに不完全な人間が見習おうとする挑戦はエンドレスなのです。質問者さんが、人格変革のためだけと割り切っておられるなら、それはそれで構わないと思いますが、神抜きでチャレンジするなら、成果は浅いものになるような気がします。
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- nocurry
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あまり参考にならないかもしれませんが・・。 私は、キリスト教はまったく信じてません。 でも、教会に泊まったことがあります。(しかも3泊も!!) 人生に行き詰っていたときに、 心配した友達に友達に誘われて、旅行気分で行ってきました。 (ちなみにその時点では友達もクリスチャンではありませんでした。その後洗礼を受けましたが) いろいろな人の価値観に触れることで キリスト教への偏見はさらに強くなりましたが(爆) いい経験ができたと思っています。 その教会はいろいろなイベントを行っていたので(ゴスペルサークルとか、国際交流など) 信者ばかりでなく、神を信じていない人もたくさん来ていました。 牧師さんのありがたいお話とか、聖書の勉強会があったりとキリスト教にふれる機会も多く、 最初の目的はゴスペルだったけど、信者になったという人が多かったです。 最初から神を信じていないといけないわけではないと思います。 キリスト教についてよく知りたい。その気持ちで十分だと思います。 それから、自分にあうか合わないか判断していけばよいのではないでしょうか?
- banana777
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うちの旦那はイタリア人でカトリックです。 結婚してから教会に通う姿見てないです。 確かに、夫婦や家庭に関してはたくさんの愛を注いでくれます。 でも、宗教が影響を与えたものではないと思います。 お金に貪欲だし、怠惰だし・・・。 行きたいのならば、行って話しをきいてみるのもいいでしょうが、 行ったから変わるものではないですね。 だって、既に40数年そうやってきたのですから・・・ それならば、 効率を重んじて生きてきたならば 1日1回「ありがとう」を奥さんに言う。とか 子供の寝顔にチューするとか ノルマを課していく方があなたにはあっているような・・・。 話を聞いて感銘を受けても、変わるには自分の行動が不可欠ですから。 教会はいつでも門戸を開いてます。神をしんじていようがいまいが・・・。
- kagu
- ベストアンサー率26% (57/212)
あんまり上手くもないし、見方によっては嫌らしい例えですが、 「携帯を買うつもりはないけど、携帯ショップで説明を聞いても良い?」という感じでしょうか。 まぁこの例えは一つおいといて。 仏教や神道教、キリスト教などにおいて、私が知る限り本音で神様仏様の実在を信じていない方は結構おられますよ。 入信しているわけではない方も多数おられます。 けれど、そういう人にも優しいです、キリスト教の人々の多くは。 逆に言うと、ですね。 別に教会には本気で神様にお祈りをしに行かなければならないわけでもないし、 入信しなければ生き方や人間性について話し合う事が許されないわけでもないです。 なので、単にキリスト教の人と語り合いたいというだけなら、無理に入信をする必要は無いと思いますよ。 現状では信じてもいない神様という偶像に対し跪いて形だけの祈りをする事は、人によっては苦痛を覚えます。 周りの人は真剣に信じていると思えば余計に、何だか自分がその人達を騙している気分になるという人もいます。 彼らと話すうち、何かきっかけがあれば、その時に入信すれば良いのではないでしょうか。
信仰心を持ってなくても、神を信じていなくても、 教会側はそんな動機で大歓迎のはずですよ。 「迷える子羊」を導くのが仕事なんですから。
- santana-3
- ベストアンサー率27% (3891/13901)
私の主観的な意見なので聞き流しても結構ですが、神を信じてなくて教会へ行くのはどうかな? 私の周囲で教会に通っているのは、小さい時からキリスト教に触れ曲がりなりにも神を信じている人ばかりです。 大人になって教会へ行ってもせいぜい一年がいい所の人が多く見受けられる。 貴方の動機はどうであれキリスト教あるいは、教会を自分の為に利用するなら、それは本質から外れている様に思えます。 人間的に成長したいと言う意見には賛同できますが、教会に行くより家の中でやる事がもっと有る様な気がします。
- la-luna
- ベストアンサー率37% (36/96)
クリスチャンではないので、あくまでアウトサイダーの私見ですが… きっかけがどんなものであれ、キリスト教について学ぼうということは良いことだと思います。 キリスト教に限らず、真摯な信仰を持つ方々の人間性の素晴らしさにはいつも感嘆させられますから、そういった方々の根幹にある教えを学ぶことは、質問者さまにとっても有意義なものとなるでしょう。 教会に行くのに資格は要りません。 もちろん、洗礼を受けていなくても(=入信していなくても)全く問題ありません。 教会によっては、入信していない人向けの勉強会を開いているところもあります。 まずはそういった勉強会に行ったり、日曜礼拝に参加してみるといったことから始めてみてはいかがでしょうか。 神を信じていないということについても、気にしなくて構わないと思います。 信仰は強制されて持つものではありませんし、ある日突然信仰に目覚めることもあります。 実際、クリスチャンになられた方でも、神の存在そのものよりもキリスト教の愛の精神に惹かれたのがきっかけだったということをよくお聞きします。 クリスチャン的に言うと、「神のお導き」なのでしょう。 せっかくの機会ですから、あまり難しく考えずに神父さんや牧師さんのお話を聞いてみると良いと思います。
お礼
みなさん ご回答をありがとうございます。 いろいろな ご意見があり、大変参考になります。 少し考えてから、行動をおこすか、決めようとおもいます。 ありがとうございました。