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すでに、本は書かれ(すぎ)たの引用は?

すでに本は書かれ(すぎ)た。もしくは書は書かれ(すぎ)た。 と以前、開高健がエッセイの中で、この様な表現をしていたと思います。 大意は字の如くで、続きは「本屋の棚は一杯だ」みたいな後句が付いたと思います。 正確な言い回しか、使われた書名、初出作品を教えて下さい。 作家の事ですから、引用元が有るのかも知れません。 もしオリジナルを御存知でしたらオリジナルも教えて下さい。

みんなの回答

  • zephyrus
  • ベストアンサー率41% (181/433)
回答No.1

「あらゆる書物は書かれたり」という言い方は、色々な作家が色々の言いまわしで書いていて、私などは吉行淳之介氏のエッセーで初めて読んだ記憶があります。 開高健氏も自著で幾度も言及していると思われ、質問者さんの読まれたものとそっくりなものを見つけることが出来ませんが、『耳の物語』前半分冊の『破れた繭』(新潮文庫版 P.156-157) において、  ----- すべての書(ふみ)は読まれたり 肉はかなし  これは学生運動で走りまわっているはずの向井敏が、たまたま貧乏寺の一室でひらいた同人会の席で、マラルメの一句だといって呟やいた一行だったが、(中略)しばらくたってから、何かの本で、"すでに本はたくさん書かれすぎている"という諺がトルコの無名の人民のあいだに流布されていると教えられると、止めの一撃を刺されたように感じてしまった。  ----- とあります。 マラルメはフランス十九世紀を代表する象徴主義の詩人。「牧神の午後」が特に有名ですね。

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