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靖国のA級戦犯
何かと話題になっている靖国問題ですが、A級戦犯を祀ったのはかなり最近になってからですね。 質問です。靖国の問題の大半がこのA級戦犯問題ですが、どのような経緯の元に靖国神社でA級戦犯を祀ることになったのでしょうか。、
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軍人遺族会のご機嫌取りのために自民党が行いました。 複数ある遺族会は自民党の大きな票田の一つです。 その遺族会のご機嫌を取る為に極東軍事法廷で戦争犯罪人と認定された軍人を祀ったわけです。 城山三郎著の『広田弘毅』は読んでいないのですが靖国神社には遺骨や遺品等は一切納められていないと記憶していますが。 実際、徴兵された祖父は遺骨も遺品も無いのに靖国にいます。 祖父を徴兵し無謀な作戦を立案した無能な作戦指揮官に殺されたようなものなのに、同じ扱いと言うのは納得いきません。 父が分祀しようとしたらしいですが拒否されたのも信教の自由を侵害していると思っています。
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- shoyosi
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まず、靖国神社の運営方針に影響力を持っていた遺族会は、A級戦犯は江戸時代に家老が切腹することによって藩 の断絶を免れた人身御供の様に考えていましたので、賛成でしょう。 政府は外交の上では、よく思わなかったにせよ、政教分離の現憲法のもとでは、意見をいう事は正に、憲法違反です。当時、在野勢力は、まだ社会党、共産党を中心にしていました。この問題にコミットすれば、みずからのA級戦犯を他の従軍戦没者と同等の地位においたとする過去の政治的態度の自己批判が不可欠です。これらの政党は無謬制を基本としていますので無理な相談です。これらの政党に率いられたいわゆる民主団体はなにもしませんでした。 外国もあまりなじみのない一宗教法人のことについてはほとんど興味がありません。今度の問題でも、韓国は中国報道に引きずられる感じで報道しました。
- p_nonoko
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shoyosiさんのおっしゃる通りですが、 >講和条約後の昭和28年(略)通常の戦死者と同様に扱うことを社会党・共産党を含む全会一致で決定 から、昭和54年の合祀まで間があきますね。 この間には以下の経緯があります。 国会決議後、比較的すぐに厚生省から(靖国に祀る人の名簿は、戦後は厚生省から出ています)A級戦犯を含む名簿が出ているのですが、すぐに合祀すると物議を醸すとの配慮があったのかわかりませんが、ずっと靖国の宮司預かりになっていました。昭和54年に、その宮司さんが亡くなって今の宮司さんになられて、合祀の次第となりました。 従って、一応、すべて国の承認を得た経過であったことは確かです。 また、靖国は魂を祀る場所です。宗教的には、人のたましいは死後「魂(こん)」と「はく(漢字は白がへんで、鬼がつくり)」にわかれます。「魂」は、死後、天にのぼる精神部分で、「はく」は死後、地上の肉体(骨など)に留まる精神部分です。靖国は「魂」を祀る場所ですので、遺骨などとは無縁なはずです。遺骨は「はく」と関係してくる部分ですから。したがって、国立墓苑等の議論は本質的にはナンセンスです。まあ、それがわかっていても政治的方便として行う、というのであれば別ですが。
お礼
なるほどよくわかりました。魂、とはくといってもこれは他国で通用するものではありませんね。また、今説明を受けて初めて知ったぐらいですから日本国民でも、このあたりを理解しているものは少ないと思います。対外的には国立墓苑が理解されやすいのでしょうね。
empty_head様のご意見と同様です. まさに,靖国神社参拝は, >軍人遺族会のご機嫌取りのために自民党が行いました。 >複数ある遺族会は自民党の大きな票田の一つです。 >その遺族会のご機嫌を取る為に極東軍事法廷で戦争犯罪人と認定された軍人を祀ったわけです。 というものです. 自民党の支持母体の一つと考えていいでしょう.
お礼
しかし、そうすると宗教に政治が介入したことになりますね。 53年当時、この問題でもめていたという記憶がないのですが。
- shoyosi
- ベストアンサー率46% (1678/3631)
講和条約後の昭和28年第16回特別国会で改正遺族援護法を成立し、東京裁判その他で戦犯となったものを恩給の対象などで通常の戦死者と同様に扱うことを社会党・共産党を含む全会一致で決定しました。すなわち当時の国会は保革問わず、軍事裁判で命を奪われた軍人は、戦争の犠牲者であると認識していました。これを受けまして、昭和53年秋、A級戦犯14名(刑死7名、獄死7名)を含む戦死者230万余の英霊の靖国神社への合祀作業ようやく完了しました。当時としては自然なことでした。
補足
53年といえば最近ですよね。当時問題にならなかったのでしょうか。時期的に考えると国内外から激しい反対がありそうな気がしますが。
- ROYFF
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私の好きな本の中に『広田弘毅』城山三郎著 があります。 広田氏は福岡の石屋の出、外務官僚から総理大臣も勤め、戦時中も一貫して和平を目指した方ですが、戦後軍事裁判で一切自己弁護をしなかった結果、A級戦犯として他の軍出身有罪者と共に絞首刑になりました。 この本の最後の部分で、絞首刑後の全ての遺体が火葬された後、全員の骨が一緒にどこかに散骨されたが、これが後日集められて靖国神社に移された、というような終り方だったと思います。 当時から戦勝国側は、後年A級戦犯者達が英雄扱いされる事がないよう、上のような処理をした訳だが不十分だった為、靖国神社に葬られた形になり 現在のような問題が起こっている、という事だと思います。 ご興味あれば文庫本で出ていますので、冒頭の本のご一読をお勧めします。
お礼
有り難うございます『広田弘毅』ですね。呼んでみます。
お礼
結局は自民党の票集めのためですか。分祀の拒否というのも確かに信教の自由の侵害ですね。