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日本の軍事政策が一時期うまくいったのはどうして?

 日本の軍事政策(太平洋戦争前)がうまくいっていたのは何故でしょうか?。  軍事大国ロシアにも勝利し、島国の小さい国がアジア広域を占領下に出来たのは何故でしょうか?。その力の秘密は?

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  • eria77
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回答No.5

>日本の軍事政策(太平洋戦争前)がうまくいっていたのは何故でしょうか? 日本人は優秀であり、中国、朝鮮人ははるかに劣る。 こう言う教育方針を徹底させたからです。 更に日本語を強制使用させて勉強させ、中国、朝鮮人は学問も劣るように見せ掛けていました。 軍隊、暴力、逮捕と言う、圧政の元治安は維持されていました。 >軍事大国ロシアにも勝利し、島国の小さい国がアジア広域を占領下に出来たのは何故でしょうか?。その力の秘密は? 運と策略です。 第一次大戦でドイツ植民地を委託統治します。(戦勝国) 革命が起きた清で清の皇帝を救出し、中国関東部を占拠し、勝手に満州国を建設してしまいます。 清皇帝を王位に付け、軍備は日本軍、国政は日本の方針の国家を建設したのです。 (もちろん、こんな国家が認められるはずはありません) 明治生まれの方が、「日本は日露戦争に勝って一等国になったんだ」こう言う話をなされました。 一等国ロシアから領土を割譲させ、その後、日本は列強と肩を並べる事になります。 この意味では、国益上「大勝利」であった訳です。 2等国から1等国になった訳です。 (私的には、戦争の勝ち負けとか、細かい部分でなく、「流れ」ここら辺を理解して頂きたいです) 武道で力を身に付けたいなら小者を見ろと言います。 小者は、体のねじりなどの小技で拳の威力を増し、 大男と対等な試合をするからです。 鍛錬、知恵、作戦は、小国日本が勝っていたのかもしれません。

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  • cse_ri2
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回答No.4

明治時代の政治家や軍人は、徹底的なリアリストばかりでした。 列強や日本の国力を客観的に分析することができ、勝ち目 のある場合は戦い、勝ち目がない場合は状況を忍耐すると いうことができたのです。 例えば日清戦争直後の三国干渉については、ロシア・フランス・ ドイツの列強三国を相手にして、勝ち目がないと踏んだので、 遼東半島の租借権放棄という屈辱を耐える選択をしました。 その後の日露戦争においては、日英同盟でイギリスを味方 につけ、さらに短期決戦にすればきわどいながらも勝ち目 はあると読み、戦争に踏み切りました。 そして、最初の読みどおりに、がけっぷちに立たされはしま したが、何とか大国ロシアに勝利することができたわけです。 しかし、その後の昭和の軍人については、海軍の山本五十六 連合艦隊司令長官のようにリアリズム的な思考をもった軍人も 一部にいましたが、特に陸軍において顕著ですが、全体と してリアリストよりも観念論者が大勢を占めていました。 戦力の不足は精神力で補えると本気で信じている軍人が、 本当に多かったのです。 もっとも開戦直後は、東南アジア方面に大挙して押し寄せた 日本軍は広大な領域を占領しましたが、これは元々この地域の 英米の軍事力が不足していたためであり、しばらくして米軍が 反攻をはじめると次々に奪い返され、やがて本土も攻撃され、 やがて敗戦という結果になりました。

  • gendou
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回答No.3

 一般的な対人関係の交渉事においても、(潜在的にせよ)腕力の威圧ということはかなりあるのではないかと思います。国際社会で法律や警察に当たる国際法や国連安保理事会による制裁はまことにたよりないもので、いうなれば強者の論理が横行しているといって過言ではありません。  ましてアジアで日本とタイ以外完全な主権を保った国がなく植民地支配が悪と見なされない第二次大戦以前は、国家の威信を保つための「軍事政策」は常識でした。  それにしてもおそらく太平洋戦争=対米開戦はしないですめばそれにこしたことはなかったでしょうが、米大統領ルーズベルトは日本をどうしても戦争にひきずりこむつもりであったのです。プロレスで相手に反則攻撃させてその凶器でたたきのめすように。開戦が無謀であったというなら、仮に英国にインドを放棄せよというに等しいハルノートに屈服すれば次々に新たな要求がもちだされて結局は覚悟せざるを得なくなるのではないかという設問に答える義務があるでしょう。  「戦争は割に合わない者だから、軍人は国民を感情的にさせて自己の存在を正当化する」(バートランド・ラッセル)という名言があります。日露戦争に先立つ日清戦争でも戦力で上回っていたのは敵国であり勝利できたのは国家のアイデンテティを保とうとする国民の意識、いいかえれば徴兵や戦死も許容する国家意識の高揚が、白人国家支配の20世紀前半までの世界を変容させたと言えるのではないでしょうか。

参考URL:
http://www5.ocn.ne.jp/~hiderich/yoshirin.index.html
  • sanpen
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回答No.2

ロシアには戦闘には勝ちましたが戦争自体は引き分けだったと思います。そもそも日本とロシアの国力には大きな差があり、日本は戦争末期には兵士もこれ以上動員できない、金も無いという状況でした。一方のロシアは余力がありました。米国の斡旋によりロシアと講和することができましたが戦争が長引いていれば日本は負けたかもしれません。アジア広域を占領下に出来たのは当時の中国は共産党と国民党が内戦をしている状況で、そこにつけこむことができた事や軍事的に日本が優位だった(兵士の装備や戦車の有無など)からだと思います。

noname#21649
noname#21649
回答No.1

細かいことは忘却。 ヨーロッパ各国がお国の事情を抱えてしまい.日本の相手をするひまも金もなかった。 と記憶しています。

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