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自分はなぜ存在してるのでしょう?
自分がなぜこの世に存在してるか教えて下さい。 私は私自信を見たことがありません。でも私は 私自信のことを一番知ってます。私はこの世界の 中心にいます。 私は人として生まれました。私は日本人として 生まれました。私は人間が原始的生活から解き放た れたこの時期に生まれました。 私は常に私と一緒にいます。私は偶然に存在して いるのでしょうか?それとも誰かが使わして私が 存在しているのでしょうか? 貴方はなぜこの世に存在しているのですか?
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全てのものは「偶然」に存在するのではなく「必然」だと思っています。 「因果応報」説からすればあなたも私も肉体をもって存在していることも「必然」であり、また「結果」です。 宿命、運命や社会や個人の意識が森羅万象の中から、自分を存在させる何かを選択する(させる)のではないかと・・・。 今生きていて、これまでにもいろんなことがあって、これからも色々なことが起きることは確実で、そのときどきは「事件」で済んだけれど、それが来たる時間(未来)のうちに、まったく関連性のない過去のそれらのことが、いつか(瞬間)に意味あるものとして自分の中でリンクされます。 過去が現在にとって、時間と共に客観性を帯びてくるものだとすれば、過去で出会った事件の主観性が、そのように客観性を帯びて蘇るとき、点と点が線で結ばれたように感じます。そのような意味で、一見意味のないものでも、必ず意味があると信じていますし(というよりか感じます)、実体のないものや抽象的なものもそのようにして存在すると思います。 「カルマ」論からすれば前世での課題をこの世で成し遂げるためのものだそうですが、業深い(笑)私にとっては最も思い込みのある説です。同じ業をもった人間同士が神様からもらったそれぞれの宿題をお互いに教えあったり諭しあったりするようなことだと思います。 (だから人生や、まず初めに自分を産む存在としての両親も自分で選ぶといいます) また、神様からみれば私たちは肉体を伴った客体であり、神という主体を存在するものはその中心に据えている。霊体も有機物もすべてはきちんと意味を持たされて「存在している」と感じます。 神様の世界が「唯一絶対」だとしたら、私たちはこの世に送られる際に、一度失われた「意味」を探すために存在するのだとも思えます。このような疑問を問うことすらも、神様の存在を忘れさせないようにインプットされたものだとも(神の存在を思う人間は、神からすれば最も好ましい在り方だと聞いたこともあります。神様ってよく言われるように「孤独」だと改めて思いました)。 >私はこの世界の中心にいます。 よく「世界が自分中心で回っていると思うな!」など、よくワガママな人のことを怒ることもこういう言い方をしますよね。あと最近話題の「世界の中心で愛を叫ぶ」という小説もありますよね。関係ないですが・・・。 世界って色々な要素の無限のパズルで成っていて、その種類や数もまた無限ですが、一人一人にとっては、「絶対」でいてほしいものなんですよね。 皆それぞれそう思っていて、その中心とのぶつかり合い、それは例えばビックバンのようなもので、人生も世界と捉えたとき、人との繋がりや事件や心の発露が「点」であるとするのならば、それらは「線」となって、世界をリンクさせている。そして自分というオリジナリティな世界、環境としての実際の世界を形造るのはないでしょうか。 「ビックバン」といえばビックバンの存在がある前は無の世界でした。「白」という色さえなかった世界といいます(今では違う説もあると思いますが)。ではその前の世界はどういう世界だったのか??いや「世界」すら存在しなかったのならば・・・。でも神がいて全てを作ったのならば「存在」という「存在」はあったはず。でもその始まり自体どのようにしてできたのか?そもそも神を「存在」させたのは何か?存在を否定する存在はあるのか??・・・こういうことに思いを馳せることは難しくて無限で楽しいですが、つまるところクラクラしてきます。 結論でいうと「存在」=「記憶」だと思います。自分や他人の肉体やあらゆる有機体は確固として「在る」けれど、記憶をなくせばそれまでの人生はすべてリセットされる。そこにはもう思い出やアイディンティティや人生哲学なんてないですよね。しかし心理学では潜在意識は自分に起きたことはすべて記憶しているといいますから、顕在意識レベルで考えるとそのようなことだと思います。 このご質問は私が死んだあと神様に出会えるのならばまず最初に聞いてみたい質問ですね。
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知っているようで知らないのが自分自身だ.
その理由は、前提なしにはきめられません。 どんな枠組みで理由づけるかによって変わります。どの枠組みを選ぶかで理由は変わります。 「自分はなぜ存在してるのでしょう?」と問いたくなった理由は、あなたにそう問う枠組みが内臓されているためです。 その枠組みがなんであるかはご自身で調べてください。
- shiara
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数学に「不完全性定理」というのがあります。正しいとも間違っているとも証明できない命題がある、ということだそうです。厳密さを求められる数学の世界にあって、証明できないものがあるというのは驚きですが、逆に言うと、人間が勝手に決められる余地があるとも言えます。 人生と数学は同じに論じられませんが、自分がなぜ存在しているのか、も、自分が勝手に決めればよいことではないでしょうか。
ひとつの答えはありません。いくとおりの答えがあり、それぞれ皆さんがその中から選択して生きているのです。 どの答えが正しく、どの答えが誤りという事もないと思います。 それから、「自分のことは自分が一番知っている」というのは正しくないと思います。 「思い込み」などもありますから、自分を客観的に見つめるような努力も必要です。 いろいろな人生に対する疑問を抱えつつ、目の前にある 日々の生活を大事に生きていった時に、いつかふと自分なりの答えが見つかるのではないでしょうか。 あせらずに気長に答えを探し求めてくださいね。
- adaypajimy
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私達は貴方がつくりだした存在かもしれませんよ。 そう…夢の中であった人と同じで。 私は存在しないんです。
私も私自身を見たことはありません。 それに私は私自身のことを全部知ってるわけではありません。 私は自分でも時々自分のことがわからなくなります。 それは主観と客観においても違うと思います。 また私はこの世界の中心に居るのでもない。 世界の中に自分は存在するだけです。 もちろん私は偶然に存在しています。 それは世の中の草や木や虫が存在しているのと同じ理由です。 自然界の事物の中で人間だけが特別な存在ではないはずです。 ごめんなさい。 哲学はわかりませんがこれが私の思っていることです。
- Kon1701
- ベストアンサー率24% (1445/5856)
私がなぜ存在するのか? それはわかりません。 ですが、今ここに存在している、これは事実です。 否定はできません。 であるならば、有意義な存在であるように努力するのが望ましいと考えます。 それが存在する意義かもしれません。
この世には、時間があります。 その時間の連なりの中で、すべてのものが変化し続け、一瞬たりとも同じかたちであり続けることなく存在し続けています。そして、今、その中に人間のかたちをとった日本人の自分がいるだけのこと。 私が存在しているのは、偶然でも必然でも、誰かが使わしたわけでもありません。 自分がなぜこの世に存在しているのか。 それは、人の意識が作り出した幻想。
- y_u
- ベストアンサー率44% (4/9)
自分がなぜ存在しているのか、というのは百人に聞いたら百通りの答えがありますよね、わたしも色んな答えに興味があります。 わたし個人の拙い考えなのですが、 「何故存在しているのか」という問いに答えは無いと思っています。 存在する理由なんか本当は無いものだと思っています。 ただ、良く分からない広大な宇宙空間の中に在るじりじり太陽に近づいていっている小さな惑星に住んでいるもっと小さな生き物の男と女が結ばれてちっぽけなわたしが産まれ、今地面に足をつけて立っています。 それだけなんだと思います。 たとえば、サバンナに住むライオンが子供を産んだとしても、果たしてその子供に産まれながらの存在理由ってあるのでしょうか。また同じように、存在してはいけない理由も無いのではないでしょうか? みんながみんな生まれたものは必ず死んでゆきます。 その輪の中でわたしは生きています、立っています、 それだけが事実だと思っています。 人は理由があるから存在しているのではなく、存在し生きて歩いてゆく間に愛すべき人や守るべき人や夢やそういったかけがえの無い大切なものを抱えてゆくのではないでしょうか? 色々的外れな回答でしたらすみません><
- guramezo
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別にむずかしいことではありません。 「誰かが使わして私が存在しているのでしょうか?」 ⇒あなたの存在をコントロールしている物は存在しません。 無神論で言っているのではありません。人間を「構成しているもの」があるだけです。 この「もの」は、唯物論なら原始であり、素粒子であるでしょう。 精神主義なら「愛」とか「神」とかでしょう。 「私は偶然に存在しているのでしょうか?」 ⇒そうです。 前に述べたことから、人間の存在、あなたの存在は、 「目的」があってのことではありません。 それは「結果」です。 「貴方はなぜこの世に存在しているのですか?」 ⇒「結果」存在しているのです。 そして、「存在と言う結果」を受けて、その人生を「楽しく過ごそう」と思う人もいれば、「有意義だったと思えるように過ごそう」と思う人もいるわけです。 或いは「家族愛」や「人類愛」、はたまた「真実の探求」「知的向上」を目指す人もいるでしょう。 中には「世界制覇」や「人類の滅亡」などという恐ろしいことを目指す人もいます。 自分の存在という事実があるのですから、自分の生き方を自分で見つけるだけのことです。
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