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「なめとこ山の熊」について。
宮沢賢治の「なめとこ山の熊」についてやっているのですが、表現についてわからなかったことがあります。 1、「僕はしばらくの間でも、……しゃくにさわってたまらない。」と語り手の気持ちが直接語られたのはなぜか? 2、最後のほうで「黒い大きなもの」と言う表現には、どのような効果があるか? 参考になるHPのURLでもいいんので、よろしくお願いします。
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個人的な解釈なので参考になるかわかりませんが・・ 1、このお話は全体的に「聞いた話」という視点と「実際見た話」という視点とがところどころ入り混じる、ちょっと不思議な見方で書かれているような気がします。 「しゃくにさわってたまらない」というところではいきなり語り手の感想が出てくるので、私も確かに戸惑いました。それまでは淡々と描いてきたつもりが、愛すべき小十郎がやられているところを書かなくてはならなくなって忍びない、という気持ちを表現したかったのではないでしょうか。 2、攻撃性のない、ただの大きな生き物が静かに死を悼んでいる様子を描くために使った表現だと感じます。 このお話、とても好きです。 何度読んでも、熊の母子の会話の場面では胸が苦しくなってしまいます。
お礼
どうも、ありがとうございます。私は今回はじめて読んだのですが、読みこんで理解するのは大変ですけど切なかったりして大好きです。本当にありがとうございました。