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Jリーグ発足して発足して間もない頃について
【Jリーグ発足して発足して間もない頃】「Jリーグが発足して間もない頃」についての質問です。 日本代表だった福田正博選手が活躍していた頃、浦和レッズは人気のあるチームだったのですが、負けが込む時期が続いた主な要因は何だったのでしょうか? ☆詳しい方、よろしくお願い致します。
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強いスポーツチームというのは、野球でもサッカーでもディフェンスが優れているんですよね。 そう考えると、当時のレッズはDFと守備的MFのラインがいかにも弱いですよね。当時は日本代表はヴェルディとマリノスでほとんどを占めていましたが、エスパルスにはDFの要堀池がいて、この年に新人王になる沢登がいました。アントラーズには秋田、大野、本田泰人がいます。サンフレッチェで中盤の底を支えていたのは、現監督の森保です。 それに比べるとレッズのエースにしてスターは質問者さんもいう福田ですが、FWだから決定的な形でボールが来ないと活躍する余地がありません。まあ要は福田にボールがいかないようにすればいいだけだし、福田に守備の選手が気をとられている間に抜け出して仕事ができる実力を持った選手が他にいないとなれば、活躍できるチャンスはなかなかないですよね。 でも当時からレッズは「サッカー界の阪神タイガース」と既にネタ枠扱いでしたね。阪神ファンもレッズサポーターも血の気が多かったから「ケンカしたらどっちが強いか?」なんてよくネタになってましたね。
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- BUN910
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私も若い頃からサッカーをやっていて、Jリーグ発足当時(1993年)は、会社の社会人チームでプレーしていました。 あの当時の盛り上がりはすごかったですね。 多くの人がにわかサッカーファンになり、私の住んでいる市の市長杯は100チーム参加でそれ以上は拒否したぐらいです。(それまでは40チーム位) あの当時、日本代表のスター選手の殆どが読売クラブ(ヴェルディ川崎)と日産自動車(横浜マリノス)所属だった。 各チームが、海外の有名どころの補強を図ったが、失敗したのが浦和。 確かに福田は後に得点王になるなど活躍したが、守りが機能せず失点が多くて初年度は最下位に転じた。 ちなみに私の住んでいる県は、住友金属と前身のJSLでは2部ではあったが、本田技研と手を組んだり、ジーコなど補強に成功し、初代Jの王者になりました。 ここにJリーグ発足当時のオリジナル10について乗っています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8A%E3%83%AB10 浦和レッズに関しての情報は以下のところ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E5%92%8C%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BA
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