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富岡鉄斎は学者ですか?画家ですよね?

富岡鉄斎の作品を見てとても絵心が豊かで感動しました。 そこで富岡鉄斎は『万巻の書を読み、万里の道を行く』と言っていましたが、相当な読書人だったと言う事ですか? 学者なら著書を出していますよね?

みんなの回答

回答No.3

明治・大正期の文人画家、儒学者、教員。 日本最後の文人と謳われる。と書いてあります。本を出す出さないは関係有りません。

回答No.2

展覧会のサイトにもあるように、富岡鉄斎は、現代では「最後の文人画家」と称えられている画家、として認識されています。だから「学者か、画家か」という二者択一ができない、ってことですね。本来はプロの画家ではなかった、教養人や学者などが(江戸時代以後の日本では文人とは、、中国的な教養を身につけた人物のことです)教養の一つ、高尚な趣味として描いたのが文人画です。 「相当な読書人だったと言う事ですか?」 はい。鉄斎と、考古学者になった息子が集めた書籍は膨大な数だったそうです。うち貴重なものは「富岡文庫」とよばれるほどの数でした。その数は後に競売会にかけられた貴重なものだけで1700点近く、中には国宝となった紙本墨書唐王勃集、重文の永楽大典、古鈔本論語義疏、韓非子翼毳 など、春風さんが興味ありそうなのもありますね。当然、これらの総額で今なら20億といわれるような金額で売れた貴重書以外のものがこの何倍もあったはず。 当時は論文を提出するとか、学術書を出版するとかしなくても、学者とよばれることはごく普通にあったようです。

回答No.1

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E9%89%84%E6%96%8E 画家です。出版物も画集がほとんどで、文集が一冊。学術書は出していません。 読書家は「万巻の書を読み」と言ってるならそうでしょう。

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