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徳川御三家
家康が、将軍家の嫡嗣が次期将軍にならない場合は、次男以下ではなく御三家から次期将軍を出せと遺言したのは、なぜですか? もしかしたら、将軍の座を狙って一家の中で下剋上が起こることを防ぐためですか?
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- oska2
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回答No.2
>家康が、将軍家の嫡嗣が次期将軍にならない場合は、次男以下ではなく御三家から次期将軍を出せと遺言したのは、なぜですか? その様な、遺言は存在しません。 徳川家の公式記録にも、存在しません。 家康が望んだのは「長幼の序列」です。 相続の順番を誤ると、幕府が崩壊すると考えたのです。 次期将軍問題で、内部分裂しますまらね。 実際、3代将軍の座は「竹千代(家光)と国松(忠長)」で家臣団・幕府内でもめましたよね。 この争いを春日局から聞いた家康が「次期将軍は竹千代」と宣言したのです。 ※江戸城内で「竹千代を上座に座らせ、国松は下座に座らせた」 要は、長幼の序列と血筋を優先した訳です。 >将軍の座を狙って一家の中で下剋上が起こることを防ぐためですか? その通りです。 5代将軍綱吉の将軍就任でも、理解できるでしようね。 父・3代将軍家光が亡くなり、兄の家綱が4代将軍に就任。 家綱は子宝に恵まれず死去。 兄の後を継いで、綱吉が5代将軍になります。
お礼
補足
では、家光になかなか子が出来ないので、紀伊・尾張から世継ぎを出そうと準備を進めたのは何故ですか。家光の弟の国松(忠長)がいるにもかかわらず。 やはり、家の中での下克上を予防するためではありませんか。貴方はこれは肯定しておられるので、前半の回答と矛盾していませんか?