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新聞を読んでいてふと目にした文句があり、気になりました。(ただひたすらに生きる)の文。この場合、ひたすらではなく、ひたむきの方法が正しいと思うのですが皆さんはどう思いますか? ネットで調べましたがこれといった答えが見当たらなかったもので。 どなたかお分かりになる方いらっしゃいましたらアドバイスお願いいたします。
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>新聞を読んでいてふと目にした文句があり、気になりました。(ただひたすらに生きる)の文。この場合、ひたすらではなく、ひたむきの方法が正しいと思うのですが皆さんはどう思いますか? ⇒以下のとおりお答えします。 「ひたすらに生きる」と「ひたむきに生きる」ですか。確かに、似ているようで違いがありそうですね。何がどう違うのでしょうか。 まず語形を見ますと、「ひたすら」は副詞なので、「に」なしで単独に用いることができますが、「ひたむきに」は形容動詞(連用形)なので、「に」なしで単独に用いることはできませんね。そんな形式の差以上に重要なことは、「ひたむきに」はその形容詞との近似性のゆえに、「人々は、生きるにひたむきだった」のような表現も可能となることです。 つまり、「ひたすら(に)」が単なる外観的な状況を意味するのに対し、「ひたむきに」は信条・熱意などの内発的な積極性を表し得るという点です。ある外国語(例えば、ロマンス系言語)では、このような用語法を「内関補語」と呼んで、それは発話者の「属性・本性・自発性」の意味合いを添えるという、やや特殊な意味機能があります。 以上は比較参照のためですが、本題に戻って、日本語としての「ひたすらに」・「ひたむきに」の意味を考えてみましょう。偶然かもしれませんが、国語辞典で見ても、上述の「内関補語」と似た意味機能に関わる差異が表されることがあるように思われます。 ・「ひたすらに」:ただそればかりに集中すること。ひとすじに。 ・「ひたむきに」:一つのことに熱中するさま。いちず・一心なさま。 ということで、幾分主観的な判断かもしれませんが、以下のような差異があるのではないか、という印象を抱いています。 ・ひたすらに:動機・原動力が必ずしも内発的でなく、それが成り行きや外圧によって引き起こされる場合が含まれるように思います。(例)「ひたすら修行に専念する。」 ・ひたむきに:動機・原動力が内発的で、自身の願望に突き動かされて取り組む状況を表す、というニュアンスがあるような感触を抱きました。(例)「ひたむきに芸の道を究める。」 このように、どちらの表現も可能ですが、微妙な違いがあると考えます。
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- eroero4649
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「ひたむきに生きる」だと、真面目に一生懸命頑張って生きるイメージがあると思います。 でもそれがシンドイ人も中にはいるでしょう。うつ病などでひたむきに頑張って生きることができないという人もいるでしょうし、そもそも一生懸命生きるのが性に合わないという人もいるでしょう。 それに比べると「ひたすらに生きる」だと、とにかくどうあれ生きていればそれでオッケーとだいぶ寛容な感じがあります。「頑張らなくていいんだよ。生きていれば、それだけでいいんだ」というニュアンスにも受け取れます。「ひたむきに生きる」だと「生きてればそれでオッケー」という感じにはなりません。 まあ、頑張ることを強要されるのがシンドイ今の時代に合わせた言葉ってことなんじゃないでしょうか。
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