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殷の紂王についてお詳しい方どなたか!
中国史の夏・殷・周の時代に登場する殷の紂王は本当に暴君だったのでしょうか?というか実在していたの? 女を殺して干し肉にして食べたとか、羹にして食べたとかありますけど。 当時の中国では食人は当たり前だったんですか?
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>殷の紂王は本当に暴君だったのでしょうか? 史記には、その様に書かれていますね。 が、本当の事は分かりません。 中国では「王朝最後の王は、悪く書く」のが一般的です。 前の王朝を悪く書かないと、新王朝の正当性が疑われますからね。 >当時の中国では食人は当たり前だったんですか? 中国には、色んな少数民族が生活しています。 中国雲南省南西部のカチン族・ワ 族などは、農耕儀式として首狩りを行っていました。 台湾にも、首狩り族が(日本が支配するまで)存在しました。 近代にも儀式が存在したのですから、古代だと人食もあったかもね? 日本でも、琉球王朝時代には「高い年貢に耐えられなくて、人食いで忍んだ」という伝承があります。 ※ここでは、詳しく書きません。
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- eroero4649
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紂王は殷の最後の王です。周の武王によって滅ぼされましたが、周王朝からすれば「紂王ってのはこんなにひどい王様だったから滅ぼしたんですよ」という正統性は欲しいので、そりゃ悪しざまに書かれてしまいます。滅ぼしてしまった人ですからね。 後の時代の支配者が、以前の王朝や政府を否定するというのは当たり前のことです。そうじゃないとなぜ政権が変わらないといけなかったのかの説明がつかないですからね。 「徳川家康は『農民は生かさぬよう、殺さぬようだ』といった」という話は、明治政府が捏造した話です。明治政府は徳川幕府を倒して成立したので「徳川幕府はとても悪い政権だったんだ。だから倒さないといけなかったんだ」と人々に納得してもらう必要があったのです。