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関ヶ原の寝返り
関ヶ原では小早川が寝返りしましたが、石田三成はじめ、豊臣もふくめて全武将が寝返り、徳川につけばどうなりましたか?
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まーそもそも石田三成が上杉征伐のために出陣しているときに家康を糾弾する檄文を出して蜂起したのが関ケ原の合戦のきっかけですからね。 「ゼレンスキーがプーチンに寝返ったらどうなりますか?」みたいな質問ですね。だから回答は「そうなったら戦さは終わりだね」です。
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- oska2
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回答No.2
>関ヶ原では小早川が寝返りしました 徳川幕府(勝者)の記録とか、三成側の記録では「決戦当日の寝返り」となっていますよね。 が、最近の資料では「戦いの前に、秀吉子飼い武将達は徳川方に味方する」事が決まっていた様です。 子飼い武将達は、常時「政所寧々」のいる高台寺で会議を行っています。 推測ですが、淀殿・秀頼とは一線を引いていたのでしようね。 「秀頼は、秀吉の子供でない」という事を、政所・子飼いの武将達は知っていたとの逸話もあります。 >石田三成はじめ、豊臣もふくめて全武将が寝返り、徳川につけばどうなりましたか? 三成が始めた戦ですから、三成が徳川と争う事がなければ関が原はありません。 政治的な権力を無くした「関白世襲として豊臣家+徳川家を中心とした連立政治体制」が続いていたでしようね。 天皇家が続いたのも、何ら権力を持たなかったからですよね。 関白豊臣家も、何ら権力を持たなければ存続したでしよう。 もちろん、(江戸時代)天皇家が3万石ですから豊臣家は1万石程度になりますがね。