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豊臣秀吉と明国について

豊臣秀吉は、なぜ明国を征服しようと考えたのですか?普通に考えれば無理なことは分かると思うのですが。やはり認知症が進んでいたのですか?

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  • eroero4649
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回答No.1

「一代カリスマ企業の宿命」みたいなもんじゃないでしょうかね。 ライブドアを率いていた頃の堀江貴文氏は、イケイケの拡大路線でした。当時のライブドアは株主への配当金がなく株主からは不満の声が上がりましたが、堀江氏は事業拡大により株価が上昇していて株主は含み益を持っているから配当金に相当するといって配当金を出しませんでした。実際はそのお金があったら事業拡大のM&Aに回す感じでしたね。 しかしライブドアという企業はこれといった根幹事業が何もない会社でした。ポータルサイトをしていたけれど、世界を支配しつつあったGoogleや日本では人気のYahoo!に比べるとはるかに利用者数は低く、そのためあちこちの企業をM&Aで買収し企業規模を大きくし時価総額を上げて会社を大きく見せるというやり方をしていました。 そんなやり方、いつかどこかで必ず破綻しますよね。ライブドアは国税庁からの捜査を受けて「国に潰され」てしまいました。しかしそれが逆に堀江氏の命を救うことになったのではないかと私は思っています。 あのままライブドアが拡大路線を続けていたら、いつかどこかで必ず「バブル崩壊」が起きます。何か軸にある事業や技術があってそこから日銭が入ってくるわけではありませんでしたから。 そうなったら「無茶な事業をしたかつての時代の寵児」になり、その名声は地に落ちて復活することは不可能だったでしょう。 ではあのときのライブドアが拡大路線をやめて堅実な事業にシフトすることができたかというと、それは100%無理といっていいくらい無理だったと思います。だって今まで何年もずーっとそのやり方で上手くいってたのですもの。「いつかは終わりが来る」とは誰もが思っていたとしても「まさか今年ではないだろう」と思うでしょうね。 戦国時代に話を戻すと、天下が泰平になると「浪人(失業武士)問題」が出てくるんですね。当時は戦さのときにだけ雇われる「フリーランス武士」が沢山いました。そんなフリーランス武士を題材にしたのがあの「七人の侍」です。ああいう人が戦国時代には沢山いて「いつか一軍の大将になる」と夢見ていたのです。宮本武蔵もそんな一人でした。 しかし戦国の世が終わると、彼らは仕事がなくなり失業します。「じゃあ他の仕事をすればいい」と他人はいうけれど、他の仕事ができないからフリー武士をやっているという人が大勢いるわけです。 彼らは武装しているし、戦闘にも慣れています。傭兵がライフルを背負って街中をプラプラしてるようなもんですから、治安の脅威ですよね。 なので豊臣政権としては、そんなフリーランス武士に仕事を用意しなければならなかったのです。 これは徳川政権になったときも、徳川幕府の頭を悩ませた問題でした。まず徳川幕府は、豊臣家にいいがかりをつけて大阪の陣を行いました。真田信繫(幸村)を始めとして多くの失業武士が大阪に集められ、それを打ち破ることで彼らの多くを一掃しました。敗残兵となって這う這うの体で逃げた彼らは「こうなったらもう農民にでも戻るしかないか」と諦めることができました。 けれどそれでも浪人(失業武士)は多く、次は島原の乱に彼らの多くが集まりました。実は徳川幕府は、そういった浪人が全国から島原に集まっていることを知っていてわざと放置しました。いちいちこっちから探さなくても、一か所に集まってくれれば「処分」が楽じゃないですか。 しかしその頃には徳川幕府の大名たちの武士の多くが実戦経験がない「武士という名前のただの役人」になっていました。一方の島原の浪人たちは百戦錬磨の男たち。なので幕府軍は当初に大損害を出して大敗北を喫します。宮本武蔵も「最後のジャパニーズドリーム」を夢見てこの戦いに参戦しますが大けがを負い、夢見た仕官も叶いませんでした。戦いの時代が終わるのに戦いに強いことを売りにして仕官したいって、そりゃ今のご時世にムード歌謡曲を売ろうみたいなもんですよね。 大苦戦の挙句にようやく島原の乱を鎮圧して戦国時代を終わらせた(実は島原の乱は「江戸時代最後の戦い」でした)徳川幕府でしたが、それでもまだ世間に不満を持つ浪人はあちこちにいて、彼らが鎮圧されて「パックス・トクガワーナ(徳川の平和)」が訪れるのは1651年の「由井正雪の乱(慶安の変)」が終わってからになります。なんと三代目家光の時代でした。 もしかしたら私たちも今、そういう「パラダイムシフト(時代の転換点)」にいるかもしれません。 日本の労働者のおよそ10%は、何らかの形で自動車産業に関わっているといわれます。自動車工場だけではなく、部品を作る下請企業、自動車修理工場、ディーラーの営業マン、自動車保険会社の従業員などです。 けれど世界の自動車産業の潮流は、EV化です。故障が多いだの走行距離が短いだのEV車を否定する保守系カーマニアは多いですが、しかしこの先EV車もハイブリッド車も廃れてガソリンエンジン車の時代が戻ってくるかというと、それは絶対にありません。しかし日本の自動車産業が次世代のEV化の先頭を走っているのかというと、先頭どころかむしろ周回遅れの立場です。 過去に似た事例があります。スマホが世間に登場した頃、日本では「ガラケー」とりわけdocomoの「iモード」が圧倒的な人気でした。それが売れているので日本企業はスマホへのシフトが遅れ、携帯端末事業から滑り落ちてしまいました。今はSONYがかろうじて作っている程度です。 さてそんな日本社会で、先行きが明らかにオワコンな(ガソリン)自動車産業に見切りをつけられる政治家や経済人、経営者がいるでしょうか。 それまで「大成功」をおさめてきたやり方を捨てて全く新しいやり方にシフトをするというのは、その大成功をおさめた創業者には無理なのです。孫正義氏や柳井正氏や三木谷浩史氏に「アンタそのやり方をすぐに捨てて全く新しいやり方のビジネスをしなよ」っていっても無理なのと同じです。

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。いつもありがとうございます。

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