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【歴史・日本史】豊臣秀吉の時代。豊臣秀吉の事を妻は
【歴史・日本史】豊臣秀吉の時代。豊臣秀吉の事を妻は「殿下」、「まこと」と言っていたそうですが、まことの漢字は何ですか? 誠ですか?
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>「まこと」・・・ どのような文献から出たのでしょうか? ★私の知る限りの文献・・・例えば、「吉田物語」「甫庵太閤記」「日本史」(ルイス・フロイト)etc を見る限り、秀吉のことを「まこと」「まことさま」と呼んだという記録は一切ありません。 ★まあ、しいて充てるとすれば、「真」でしょうが、 例えば、文中で「真」の文字が出てきたとしても、読みは、 「まっこと、〇〇が美しい・・・」とか、 「まことに、すがすがしい・・・」 などと一種の「感嘆詞的」役割かと考えます。 ★私の知る限りの文献を読む限り、「おね」(「ね」)が秀吉との会話においては、どちらも「尾張弁」(名古屋弁)をむき出しで会話をした。 ★そして、文献の中でかすかに読み取れる呼び方としては、 「おみゃあさま」(お前さま) また、秀吉が関白になってからは、 「天下さま」 と呼んだという箇所は見受けられます。 ★また、秀吉が「筆まめ」であったことはご存知かと思いますが、それらの手紙の中から秀吉が自らを指す言葉としては、 「こなた」 と出てきます。 ★北政所(ね)が書いたといわれる書状は、10数通ありますが、秀吉の存命中ではただの1通だけです。 しかし、その中にも秀吉を呼んだ言葉は書かれてはいません。 ★後世に書かれた多くの文献では、「おね」または「ね」が名前である・・・としていますが、10数通の手紙の全てで見られるのは「ね」と署名されています。 ★従って、本当は「ね」ではあるが、敬意を表して「お」を付けて「おね」と呼んだものと考えられます。 ★あるいは逆説的に言えば、本当は「おね」だったが、手紙の署名では簡略化して「ね」とだけ書いた。 別の見解では、「お」を付けて「おね」と署名すると自らを表敬しているように見られてしまうので「お」を省いて「ね」とだけ署名した。 などの見解があります。 ★少し横道に逸れてしまいましたが、いずれにしても秀吉のことを「まこと」(「まことさま」)と呼んだ記録は見当たりません。 はてさて、いかがなものでございましょうか・・・・。
お礼
みなさん回答ありがとうございます 本当は豊臣秀吉の子供である豊臣秀頼の妻が「まこと」と言っていました。