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古代の人口推測方法と遺跡規模からの推測例
- 古代の人口を推測する際、弥生時代後期や古墳時代初期の「戸」や「郷」を基にする方法があります。質問者は戸、所帯、自治会、郷のような現代の区分で類推したいと考えています。
- 古代の人口推測には「戸」(所帯)、自治会のような班や組、複数の班が集まる自治会、郷といった単位が考えられます。4人から5人が一戸を構成する基準で郷の人口を知りたいというリクエストに基づきました。
- 地域の遺跡を紹介する際、当時の人口を尋ねられることがあるため、質問者は遺跡規模から推測される郷の人口を知りたいと考えています。適切なWEBサイトや参考文献の紹介を求めています。
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弥生時代は調べるのは不可能といってよいでしょうね。当時は国家のようなきちんとした組織が存在していませんでしたからね。 飛鳥時代に「戸籍を作ったよ」という記録は残っているものの、あくまで一部が残っているだけですから記録が残っている分しか分かりません。また当時の戸籍というのがどこまで「ちゃんとしている」かも分かりません。おそらく実数とはかなりの乖離があるのではないかなと推測します。実数との乖離が大きいと推測する理由は、当時は算数ができる人そのものが貴重だったからです。ソロバンなしにアラビア数字を使わないで「百八十七に加えるところの六十五はいくつか」を答えるのは困難ですから、真面目にやっても計算間違いは起きます。 また戸籍制度ってのは根本として「ちゃんと税金をとるためのシステム」なので、庶民からすれば戸籍にカウントされるってことは税金の対象にカウントされることでもありますから、なるべくカウントされたくないわけです。 また近代以前は飢饉は日常の出来事でした。そして飢饉が起きれば人々は村を捨てて「難民」になるのもまた日常です。 ある時期にはこのくらいの人たちが住んでいたけれど、飢饉や疫病の流行である時期は半分に減ったみたいなことは、特に古代や中世ではよくあることだったと思います。 遺跡を発掘すれば、ここの遺跡は何人くらいが住んでいた集落だったということを推測することはできると思います。それはその遺跡の発掘調査をした人に聞くのが一番手っ取り早いでしょうね。結構、面倒みたいなので「そこまで(面倒だから)調べてません」といわれる可能性もありますけど。 質問者さんのご質問は「(内戦で無政府状態である)アフガニスタンの人口ってどのくらいですか?」って聞くようなものでしょうね。アフガニスタンの人口統計も一応あるにはありますが、国家が国家の体を成していないので全く信用できません。
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- D-Gabacho
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そのエリアに同時に存在した住居は何戸だったかを推定し、1戸あたりの住人を平均5~6人と仮定して人口を推計しているようです。 たとえば、弥生時代末期から古墳時代初頭の遺跡である兵庫県の大中遺跡では、これまでに全体の20%の面積を調査して73軒の竪穴住居跡が発見され、未調査エリアを含む遺跡全体では少なくとも250軒くらいの住居があったと推定されています。ただし、この数は遺跡が存続した150年間に建てられた全住居数であり、同時に存在した住居数は20~25軒くらいで、1軒あたり5人が住んでいたとして集落の人口は100~125人くらいと推計されています。 ひょうご考古楽倶楽部「大中遺跡」 https://koukogakuclub.sakura.ne.jp/onakaguide.pdf
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