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信長はゲイというよりショタだったのですか小姓は若い
信長はゲイというよりショタだったのですか小姓はそんなに若いのですかよろしくお願いしますよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
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- moritaroh
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ショタではないですねぇ、たぶん。 いや、ショタという概念ではなく、戦国武将の多くが小姓を抱え、男色はタブーではなく「たしなみ」としてごく普通に存在していたと考えられます。 また、少年は女性よりも崇高、という考え(生理により血を流さない=死を連想させる血から遠い)もあったので、戦国武将の多くが、ショタ的な好みを「普通のもの」として持っていたと考えられます。 戦国武将の婚姻は、ほとんどが政略結婚、たとえば、敵対していた武将の嫁に娘を差し出すことで関係をつくる、武将の側からすれば人質を取る、というものでもありましたが、しかしそれはいつ裏切られるかわからない。いや、そもそもスパイ的な意図で娘を嫁として送り込むことも考えられます。 すなわち結婚とは、戦略であり、武将自らの個人的な好みでできるものではありません。 それゆえ、妻・嫁とは言え寝室を共にすることはそれほど多くなく(子づくりのための行為をするだけして寝るときは別室)、武将の傍には忠実な小姓を置いていたのでしょう。 小姓は、忠臣の息子などを武将自らが選定し召し抱えるということができます。小姓は一般的な家臣よりもさらに武将の身近に置かれるため、意図せずとも、重要情報を知り得てしまうので、それを知っていても良い、信用がおける存在で、幹部候補生ともいえます。 ただ、かなりプライベートな部分にも入り込むため、場合によっては武将の性的な好みが反映されていたかもしれません。 さて、信長の話に戻しますが、小姓として有名なのは森成利(森蘭丸)でしょう。また、後の前田利家も小姓でした。 森成利(森蘭丸)は、創作等では見目麗しい美青年のように描かれることが多いですね。 幼年期はそうであったかもしれませんが、本能寺の変で討ち死にする18歳の段階くらいでは、比較的、家臣の中でも体格に恵まれたとも言われています。 また、前田利家が信長の小姓であった頃は、喧嘩っ早く派手好きの歌舞伎もの(ある意味で信長の若い頃のよう)であったと伝えられています。 また、非常に体格にも恵まれていたともされています。 森成利(森蘭丸)が、誠実で寡黙な柔道家…のような存在であれば、前田利家はヤンキー風味の格闘家といったところでしょうか。 このように考えると、当時の戦国武将のたしなみとしての男色に相手は、主に少年(今日でいうショタ)であったことに対し、信長はどちらかと言うと端正なスポーツマンが好きな、ゲイ的な気質の方が強かったのでは、と思います。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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ゲイというか、バイかもしれません。 正妻と妾合わせて10人以上いましたから。 小姓は必ずしも男色の「お相手」という訳ではありません。 寵愛していたとされる小姓は犬千代こと前田利家や乱丸こと森成利(創作では森蘭丸表記が有名)らは大柄で体格が良かったようです。 身の回りの世話兼ボディガードだった可能性があります。 乱丸の父森可成は信長の忠臣でしたが、戦死してしまったために弟(坊丸、力丸)らと共に小姓として召抱えられました。 創作では信長が父の代わりとして兄弟を召し抱えるというのがありました。 が、兄弟の末弟、千丸は13歳で小姓として出仕するも、信長の前で同僚と喧嘩をしてしまい「幼い」からと母元に返されてしまいました。 おかげで千丸は本能寺の変に巻き込まれなかったそうです。 信長の小姓の年齢は13~20歳くらいのようですが、先に述べた通り幼いと親元に返してしまうので、ショタとは異なると思われます。
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